瀬尾まいこ「幸福な食卓」

たてつづけに好きな作家さんの新作が出ちゃって、
リンダ困っちゃうんだが、それはそれで幸せなこって、って感じで。
というわけで幸福な嘱託じゃない、食卓なんだけど、
なかなかハードなお話だったりする。
ま、確かに「図書館の神様」も「天国はまだ遠く」も
ほのぼのとしたストーリー展開の割に中身はシビアだったりした。


だけど、今回は微妙にシビア度強し、だったかも。
家族の物語だ。家族構成は4人。
とってもまじめで、けっこう悩んじゃう性質の左和子。
天才的な頭脳を持ちながら、意外に普通にできない、兄の直ちゃん。
一度は自殺未遂するほど思い詰めたけど、こんど「父さんをやめる」ことにした父さん。
父さんのことで傷つき、通いの母さんになった、母さん。
4人は、どこかでつながっているけど、微妙に距離も必要なお年頃だ。
父さんが、「父さんをやめた」ことで、家族の関係はまたも揺れる。
直ちゃんも、左和子も恋してみたり、父さんは一念発起して、受験してみたり。
優しさの一方で、お互いの自立も求める、家族の行方を描いた作品だ。
もちろん、瀬尾まいこならではの、微妙な言い回しは健在だ。
父さんをやめた一連の流れの中での、おどけた言い回しにも味わいがある。
「母さんは家を出て仕事を始め、父さんは父さんを辞めて仕事を辞める」。
父さんをやめたから、当然子どもにも「弘さん」と呼ばせる父、なかなかおもしろい。
かつて、父さんが父さんだった時のルールは
「何があっても朝の食卓には4人がそろう」。なかなかハードなルールだ。
でも、「全員がそろう朝食。バランスと栄養の整ったメニュー。
誰も破らない決まった席順」。それは「私たちを守りすぎている」のだ。
ここらあたりは、そうだよね、と納得。何でもきっちり、はかえってよくない。
そうそう、直ちゃんはかなりの変人だ。大学に行かなかった理由。
「広く深い知識? 何について? 僕は何も深く知りたくない。
本当に知りたいことは、自分一人でだって知ることができる。
せいぜいが千人前後の同世代の集団の中でそんなに視野が広がるとは思えない」。
そうですねぇ、ごもっともだけど、大学行くか行かないかで、そう力まんでも…
そうかと思えば、父が自殺未遂したときは、お風呂場で手首から血を流す父をよそに、
「どうして死ぬのか」を知るべく、遺書を捜しに父の部屋に向かうのだ。
ちょっと、このキャラクター造型、微妙だな、と感じたのは確か。
これまでの瀬尾まいこ作品の中の、達観した人物とはひと味違う。
でも、微妙に説教クサイのが、引っ掛かった点かもしれない。
引っ掛かった点その2。「高校生の一日は大人の十分と同じなんだって」の台詞。
高校生の一日の方が中身が濃いと思うんだけど、
大人の十分にしか相当しないのかな、と。僕は逆に思ったりもした。
大人になってからの一日は、高校生の時の十分程度にしか、中身がなかったりするような。
もちろん、意味深く生きようとはしてるし、
楽しいこと、意味深いこともたくさんあるけど、
仕事の時間と授業の時間だったら、間違いなく授業の時間の方が、濃く生きてたかな。
そんな部分で珍しく引っ掛かり気味に読み進んだこの作品。
最後の方は、正直あまり好きになれない部分もあった。
そういうこと、必要あるの、と思うようなストーリー展開だったりする。
ドラマチックを狙いすぎた感あり、といったら失礼かな。
でも、僕的にはそんなことしなくても、いい話だと思うのに、とやや不満。
何が不満って、ここで書くわけにいかないのが、苦しいトコだけど。
まあ、そんなこんなで書いてしまったが、それも瀬尾まいこだからこそ、の厳しさ。
クオリティは凡百の小説を軽く、テイクオーバーするレベルだ。
だから、ぜひ読んでほしいな、とは思う。
読んだ上で、厳しく批評してほしいな、とも。
傑作を生み出した作家さんなんだから、また、と勝手に期待するのは、ファンの権利。
頑張ってくださいね、のエールを込めて偉そうに書いてみた。
だったら、自分で書いてみろ、とはいわないであげて。
書けないから、ここでこうしてレビューに明け暮れてるわけで。
以上、言い訳がましいから、本日はここまで。お粗末様でした。ちゃんちゃん♪
コンドウアキ「だららん日和―リラックマ生活〈2〉」

新宿でのお買い物ついでに、三越の上にできたジュンク堂をのぞく。
相も変わらず、こりもせず、何冊も本を買い込んでしまったのだが、
本棚に光り輝く一冊を発見!
コンドウアキ「だららん日和―リラックマ生活〈2〉」だったりする。
ついでにこっちも購入「リラックマ だらだらシールブック」
以前もこのブログで紹介した、ええかげんクマの絵本だ。
肩の力抜いて、リラックスして生きていこうよ、みたいな癒やし系。
あっ、でもオビにとんでもないこと書いてある。
「がんばりやのあなたに…
いっぱいいっぱいのあなたに…
ピンチにおちいっているあなたに…」
ほう、僕は対象にない、といいたいわけね。って難癖つけてどうする。
確かなぁ、前にも書いたけど、http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20040821
この本って〝きまじめな頑張り屋さんが、リラックスできるように〟書かれた本で、
僕みたいな〝ふまじめなだらだらさんが、自己弁護するために〟読む本とは違うし。
http://www.san-x.co.jp/relaxuma/top.html
でも、いいんだいってことで。リラックマかわいいし。
実は昨夜、UFOキャッチャーに燃えすぎてしまったし。
でも、ちゃんと5種類コンプリートしたんでいいんだもんね。
かぶり物コリラックマ、信じられないくらいキュートだったりするわけで。
今回はコリラックマがけっこう登場してる。
こちらも、いつの間にか住み込んでた白いコグマ。
胸の赤いボタンがとってもかわいい。もちろん、えぐいし。
いつもマイペースのリラックマが、コリラックマのいたずらにまいってる姿は、
かなりほのぼの、ほほえましい光景だったりする。
やや説教くささも強くなったし、ちょっとネタ切れくさいけど、
脱力系、セルフィッシュの勧めっぽいひとことは今回も健在だ。
「我慢は体に毒ですよ」とか、
「耳は閉店いたしました」とか、
「人生の息継ぎ中なんですよ」とか、
「人がどういおうといいじゃないですか」だとか…
クマのイラストがなかったら、ただの横暴にも聞こえるひとことが、
文字通り、立て続けに繰り出される。勝手なことばっかいってら、って感じで。
しかし、これぐらい僕にとっては当たり前のことだけど(いいのか? それで)、
きまじめな人は、これくらいの心構えがないと、大変なんだろうな。肩凝って…
でも、やっぱり今回のお楽しみはコリラックマだ。
唐草模様のずきんをかぶって、走り回るコリラックマに、リラックマのひとこと。
「夢がかわったんですか また楽しめますね」とか、強烈にかわいい。
おなかに落書きされたリラックマが、複雑な表情でいう。
「油性でかかなくなったんですよ」。これが「日々成長」だったり。
ここらへん見てると、このキャラクターが、
よりかわいい系癒やしの方向にシフトチェンジしつつあるのも感じられる。
リラックマ分析してどうすんだ、とも思うけど。
最近、けっこう商品化もどんどん進んでるし、一大産業にもなりつつあるからな。
夜、飲み会に出かけた渋谷の書店の店頭では
「リラックマ生活2 きょう発売」の横断幕発見。
すごい、そんなメジャーになってきてるのか。
あんまりメジャー化できそうなキャラクターと思っていなかったので結構意外。
ケータイで「きょうのリラックマ」とか見てにやけてる30オトコが、
偉そうにいうことじゃないな。
待ち受けもリラックマだし。ストラップにリラックマのマスコットついてるし。
あほな自分をまたも痛感しつつ、リラックマ見てにやける。
ああ、こんなんで僕の人生は大丈夫? とかは絶対考えない。
「だって、何とかなるんだもん、人生なんて」。
ちょっとリラックマ風に語ってみたんだが、説得力ないかも。
そうだよなぁ、僕、リラックマみたいな癒やし要素ないし。ま、いいか。
神楽坂のクレープリー「ル・ブルターニュ」

表参道にもある、ガレット=そば粉のクレープがいただけるお店だ。
http://www.le-bretagne.com/index.html
これまではランチタイムとかしか行ったことないから、ディナーはお初。
お店到着が21時前だったのだが満席。
店先で待ってる人が、お店の主人(だと思う)のフランス人の方と会話してる。
ひぃ〜、フランス語だ。なじみの客なんだろか。
ただでさえ、お客さんのフランス人含有率かなり高いのに、と気後れしてみる。
少し待って、屋外のテラス席に通された。
寒いかな、と思ったけど、ストーブが予想以上に暖かい。
この季節の夜のテラスも、なかなかけっこういい感じの雰囲気だ。
食前酒はカルヴァドスとシードルを使ったオリジナルのカクテル。
比較的アルコール感は強いけど、甘い香りとフルーティーな味わいが、
まだ空腹〝気味〟だった胃を、一気に飢餓状態にまで導いていく。
連れは洋なしの紅茶。こちらも香り高くて、ほのかな甘みがたまらない。
続いて前菜、「セルヴェラ」とかいう名前のソーセージとポテトのサラダ。
名前失念。きょうはそういうの多いけど、ごかんべんを。
軽くソテーした感じのソーセージとポテトが、ハーブとからんで香ばしい。
おいしい、おいしい、と食べ進むうちに、はて、と気付く。「何か、食べたことのある味だ」。
連れがきっちり言い当てる。「魚肉ソーセージ」。確かに。
おいしさのグレードは全然違うんだが、系統は間違いなく魚肉っぽい。
しかし、お店の人にそれとなく尋ねると「違います」ときっぱり。
ハーブとか、肉の部位でこうなるらしい。ふむふむ。
ま、魚肉ソーセージがそれだけ偉大な食べ物だ、ということで。
いよいよ本題に移り、ガレットが出てくる。
まずは、いわしとポテト、グリーンサラダのガレット。
無類のイワシ好きとしては、もちろん外せない一品だ。
イワシと、アンディーヴやレタスをたっぷりと巻いて、ガレットをほお張る。
ああ、たまらない。イワシの至福。口の中で、ほろりほろりと崩れる食感もナイスだ。
暴走する食欲が、さらに加速していく感触が、手に取るようにわかる。
続いては季節のお勧め。〝フォレスティエ〟とかいう名前のキノコのガレット。
これまた軽くソテーした感じのキノコをたっぷり包み込んだ、これまた香ばしい一品。
見た目かなり圧巻なんだが、どんどん胃に吸い込まれていく。
キノコの香りと、ガレットの香りがこんなに合うなんて、けっこう意外。
どんなものにも合う、ガレットの万能ぶりがよくわかる。
そして、メインがわりには定番系のガレットをいただく。
〝プロヴァンサル〟はタマゴ+トマト+ハム+タマネギ+アンチョビ+チーズ+プロヴァンスのハーブ。
ちょっとしたオールスターキャストの、ボリューム感たっぷりのガレットだ。
どろっと広がる半熟の黄身が、ほかの具材と混ざり合って、濃厚なうま味を醸し出す。
でも、ハーブがけっこう効いているので、決してしつこくない。
アンチョビがしょっぱかったり、トマトが酸っぱかったり、タマネギがシャキシャキしたり、
さまざまな味と食感が加わるから、不思議なくらい飽きもこない。
これはボリューム感はけっこうあるから、満ち足りた感覚も得られ、もうたまらない。
だからといって、これで食事を終えてしまってはいけないのは、ご承知の通り。
別腹に収納すべきメニューも、このお店にはたっぷりとある。
ミントティーなどをいただきながら、デザートに取り掛かった。
まずは比較的ベーシックな〝カレモンキャラメル〟。
こちらは小麦粉の生地に塩バターカラメルのソース、塩バターカラメルのアイス。
ふわふわっと、ホイップクリームを添えて頂く。
クリーミーで濃厚なカラメルが口の中でとろける感覚は、まさに至福の瞬間だ。
塩バターキャラメルと聞くと一瞬、確かに抵抗はある。
でも、無塩バターとの対比の問題だから、考えてみると別にたいした問題じゃない。
塩バターキャラメルがおいしいお店といえば、
吉祥寺と西荻窪の間にある、パティスリー「アテスウェイ」が印象深いお店。
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0501/P056074.html
http://allabout.co.jp/gourmet/sweets/closeup/CU20020124A/
「アテスウェイのキャラメルもおいしかったな」なんて、思い出しながら、というのはウソで、
あまりのうまさにガレットはあっという間に視界から消えていった。
次も塩バターカラメルのソースを使った、オレンジアイス添えのクレープ。
こちらも、カラメルソースとアイスのハーモニーがたまらなくいい。
どちらも香り高い一品なのに、決してケンカすることはない。
オレンジのさわやかな香りが、いい感じのアクセントになったりして、
これまた、たまらない。
同じ表現ばっかりなんだが、もう夢中で食べてたので、許してください。
最後に、バナナとチョコレートソースをラムでフランベしたやつ。
炎による華やかな演出と、鮮烈な香りがシメの一品として抜群にいい。
定番っぽい響きのチョコバナナも、こうやって演出すると全然違うものになるのだな、と。
ただ、ボリュームけっこうあるので、よほどの甘もの好きでないと、
2人で6品目のクレープにするには、やや危険かもしれない。
いや、僕はもちろんペロッと平らげたんですけどね。
ここで、お店の人がサービスで、塩バターキャラメルのリキュールを持ってきてくれる。
アルコール度数はかなり高めだが、濃厚な味わいに思わず顔がほころぶ。
これ、どんどん出されたらいくらでも飲めそうでこわいかも。
威勢よく食べた二人に、お店の人からも感謝の言葉をいただく。
そうか、みんなふつうそんなにガッついて食べないのね。
またも自分のいやしさを思い知ったりもするが、それはまあ、よしとしよう。
おいしかったし。いつも、そればっかりだ。ホントにもう…
平安寿子「なんにもうまくいかないわ」

前作から、苦節9カ月… って、別に何をしていたわけじゃないんだけど。
藤野千夜、川上弘美と並ぶ3大フェイバリット作家さんのひとりだから、
新刊予告だけで、もう興奮状態になってしまった。
発売予定日の数日前から、ちょこちょこと書店店頭をのぞき、
手に入れて、すぐ読み始められるよう、読み出す本は分厚いのを避ける。
睡眠を取って、栄養を取って、休暇を取って… というのはウソです。すみません。
一気読みが、もったいないので、味わうようにゆっくりと、少しずつ読んだ。
いや、一日で読んだことは認めるけど、それでも、いつもより全然スローペース。
大傑作「グッドラックららばい」や「素晴らしい一日」を例に挙げるでもなく、

この作家さんの特徴は、日常を描き出しながらも、ドラマチック。
とんでもない人々を描きながらも、心温まる、
ひとつひとつの場面描写の〝リアルな〟素敵さだ。
ちなみに、平安寿子は米国の作家アン・タイラーをもじったものとか。
ハーレクインとかみたいな、歯が浮く台詞はなくても(それはそれでいいのは承知してます)
笑っちゃうけど、とってもドラマチックな世界がそこには展開する。
もちろん、今回の作品もとっても修羅場で、とってもコメディチック。
でも、とってもドラマチックで、こころがあったかくなる。
どんな人にも大推薦の、素敵な作品だ。
志津子は40歳、独身、リサーチ会社のチーフ。
仕事はできるがおっちょこちょい。
誰とでも友達になるが、いいように利用されることもしばしば。
オトコが放っておかない、恋多きいいオンナ。でも、相手はみんなろくでなし…
明け透けな性格で、その恋愛遍歴は、周囲みんながご存じ。
人呼んで〝私生活のない女〟を主人公にした連作だ。
ただ物語は、志津子をめぐる友だちや、不倫相手の奥さん、かつての恋人たちなど、
さまざまな視点から、客観的に描かれる。
志津子の考えや、想いは、あくまで会話から読み取るだけだ。
この感じ、川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」三浦しをん「私が語りはじめた彼は」などと同じアプローチ。
このアプローチの印象深さは、ある意味本人の思考を掘り下げるよりも、印象的だったりする。
子ども時代からの友人、令子が幼少時の志津子の寂しがり屋ぶりを振り返る。
〝遊びに来た友達を帰すまいと、冷蔵庫の中身を(プリンからイカの塩辛まで)「これあげる」と、
どんどん出していた志津子。令子はそういう光景を見て怒っていた。
志津子はなぜ令子が怒るのかわからず、「令子ちゃん、プリン嫌い?」と、涙目をしていた〟
令子の子どもなりのはがゆい感覚とか、すごく伝わってくるだけではなく、
いまの志津子の、オトコに〝だらしない〟部分にもすごくかかわってくる。
冷蔵庫つながりでは、こちらも印象的だ。
志津子の恋愛経験をパクって、体験談にしてしまった女性運動家兼ルポライターのもとに、
志津子の部下、ナツキが疑惑追及のため、意気揚々と乗り込む。
用事をいいつけられたナツキが、ルポライターの冷蔵庫を開けると、
そこには麦茶とミネラルウォーター、パックの総菜、納豆、卵と寒々とした光景。
それを見て、ナツキは、腐るほどものが入った志津子の冷蔵庫を思い出す。
志津子の意見はこう。
「きれいでおいしそうな食べ物が冷蔵庫に入っているのを見ると、幸せなんだもの」。
僕も同意見です。あっ、聞いてないですね。すみません。
だから、ナツキは思う。
「そんな志津子がこの寒々しい冷蔵庫の中身を見たら、
いたたまれなくなって、あいさつもそこそこに逃げ出してしまうだろう」。
そして、さらに続ける。
「だが、ナツキは必要なものしか入っていない冷蔵庫にタンカを切られたような気がした」。
すごい描写力じゃないだろうか。冷蔵庫に人生を投影してる。
まあ、冷蔵庫の話ばかり紹介してもしかたないので、志津子の恋愛話に戻る。
こちらはこちらで、興味深いものばかりだ。
40を数えても、現役バリバリで恋愛に墜ちる
そんな志津子に、同年代の女性は嫉妬の炎を燃やしたりするが、
志津子は志津子で、やはり忸怩たるものを持ってたりする。
一瞬、何よりも輝く素敵な恋愛が、決して長持ちすることはないのだ。
理由は簡単。ダメオトコにばかり、引っ掛かってしまうのだ。
ダメオトコだから、ならではの素敵さって、もちろんあるんだけど、
志津子がたまにうらやむ、〝人並みの幸せ〟ってやつには、一切関係ない。
どっちがいいか、ってのは、また人それぞれだけど、
やっぱり隣の芝生は青く見えるというのは、人生の真理だからね。
それはともかく、もうひとつ思うのは、こういう志津子みたいな人、
実際にもいるんだろうな、ということだ。
魅力的で、楽しくて、にぎやかで、けっこう迷惑だけど、憎めない。
でも、こういう人は〝ダメ男センサー〟とか兼ね備えてるくらい、
ダメなオトコを見つけ出すのがお得意だ。
その上、ダメオトコのいいトコだけ見て、致命的な欠点には目がいかない。
つまり、見る目がない。だから、最終的には泣くことになる。
さらに、ダメオトコを吸引するフェロモンみたいなのがあるのだろう。
ダメオトコの方から、勝手に寄ってくる。結果、もう見えてる感じだ。
でも、こういう人って、やっぱり幸せだと思う。
楽しかった思い出、素敵な思い出、胸が締め付けられるような思い、
泣きたいくらいつらい思い出、終わってしまった恋の余韻…
そんなのを全部込みで、恋愛の醍醐味だ、ととらえられるのだから。
だから、つらくても、泣かされても、また懲りずに恋に落ちる。
志津子は、恋を忘れた主婦の〝帰れば夫子どもが待つ〟環境にあこがれるけど、
それだって、お互いを大事にする努力を怠れば、むしろ負荷にしかならない。
そんな永遠の命題をテーマにしたベストセラーでは
酒井順子「負け犬の遠吠え」があったけど、
こちらもなかなか深い深い掘り下げがあって、興味深い。
それこそ、志津子は負け犬でも何でもないんだけど。
そんなこんなで、語り始めるときりがないくらい、おもしろいお話がぎっしり詰まってる。
ちなみに、単独の短編。「亭主、差し上げます」も珠玉の逸品。
毎月第3土曜日の午後、妻帯者の耕平と、不倫を重ねる恵子のもとに、珍客が訪れる。
それは、ケーキを手土産にした、耕平の妻、光。
興味深げに、しかしおだやかに二人を観察する光が、差し出したある提案。
それは、そう「亭主、差し上げます」だったのだ。
こちらも、味わい深い会話や、描写がたっぷりと詰め込まれてる。
たとえこれ一本でも、買うに値する作品なんで、ぜひに読んでくださいな。
読書の楽しみを、存分に味わえる一冊であること、保証付きだ。
大泉りか「ファック・ミー・テンダー」

この作家さんも、初めて聞く名前。
このタイトル。いや、ファック・ミーっていわれても。ああ、優しく、ね。
表紙の女のコは、中指立ててるし…
よくわからないので、ちょっと検索してみた。サイト「フシダラな果実」はこちら
http://home.att.ne.jp/apple/rika/index.html
これでも、何だかよくわからないが、ここ↓のメンバーらしい。
「脱ぎアリレズありチンコアリ。エロユニット、ピンクローターズ」
いやすごいね、まったく… よけいよくわからない状態になった。
http://home.att.ne.jp/apple/rika/pink/index.html
主役は二人の女子大生。
ミキは「ウリもあり」の高級キャバクラ嬢。
リカはロリコン系のヌードモデル。
これまでの生活に違和感を感じていた二人は、
引き込まれるように夜の、そして裏の世界に入り込んで行く。
もともとが、けっこう刺激的なモチーフな上、ちょっと実録ものっぽい、どぎつい描写。
だからといって、おミズの世界に墜ちていく、とかいうネガティブな要素はない。
もちろん、そちらの世界だから、悪いオトコたちは、掃いて捨てるほどいる。
ただ単に若さを利用されるだけ、だったり、だまされて痛い目にあってみたり。
世間一般の杓子定規な基準でいえば、二人は墜ちていってる、墜ちまくっている。
でも、あまり落ち込んだりはしないし、〝墜ちていくわたし〟に自己陶酔するでもない。
体を売ろうが、裸を売ろうが、別に変わったことをしている本人たちには意識はない。
事実、特別変わっていることしているわけではないから、そう考える必要もないが、
当然、周囲は〝特別変わっていること〟をしているんだ、と意識させようとするから、
なかなか、平常心を保つのも、大変な作業なんではないかと思う。
ま、そこらへんに苦悩とかないのは、作者の思想も大いに影響してそうだ。
サイトとか見る限り、そういう悩みとは無関係そうだし、
そういう悩みを持つことすら、プライドにかかわる、みたいな雰囲気も感じる。
風俗嬢を主人公にした小説だと、菜摘ひかるの「依存姫」が印象的だった。
どうやっても満たされないわたし、を私小説風に描いていて、
ものすごく乾いた感じの哀しさや切なさは、
グッと胸に迫るものがある一方、一種のさわやかさも感じられて、不思議な小説だった。

- 作者: 菜摘ひかる
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こちらはその点、騙されても、痛い目にあってもたくましい二人の女のコが、
ある意味で共感を呼ぶし、ある意味で現実感を損なわせる。
日常の違和感に溺れそうになってたリカは、ヌードモデルの仕事を通じて、
〝人に受け入れられる実感〟を得て、立ち直っていく。
同僚のキャバクラ嬢に嵌められ、オトコたちに拉致られたミキも、
傷つけられ、立ち直っていく過程で、自分という人間の価値を再発見する。
ううん、常識的な物言いになっちゃうけど、ホントにそれでだいじょぶ?
という感じは、やはり否めない。もちろん、物語としては自然な流れに感じるんだけどね。
そんな感じで、風俗の世界を特殊なもの、ととらえてないので、
たまに出てくる常識的な物差しは、かえって不自然に感じられるのがけっこう興味深いかも。
就職先や、親バレの際の、リカの父親の反応なんか、陳腐そのものだ。
ここらへんの、常識への挑戦、という部分も意識されているんだろう。
そうそう、ちょっと思ったこと。
風俗の世界って、遅刻の罰金とか多いんだな、とけっこうふむふむ。
そういう型にはまったことがイヤで、その世界に足を踏み入れる人もいるのか、
と思ってたけど、やたらと厳しいし、ヘンなルールが多い。
社会不適格者の集団みたいな業界にいる僕なんか、
絶対に通用しなさそうだな、とあらためて実感。
つくづく、自分のつぶしのきかなさ、を思わぬトコで思い知らされてしまった。
南木佳士「海へ (文春文庫)」

お初の作家だ。イメージすらわかない、まったくの白紙。
オビの「まったくの海だ」が目を引いた。
そして「心に闇を抱えた医師は、旧友に誘われるまま、
陽光あふれる海辺の町を訪ねる。五日間の休暇が彼にもたらしたものは−。」
何とはなしに気になったので、読んでみることにした。
「拳銃で上司を撃ちたくなることがあるんです。」
いきなりすごい書き出し。そこのあなた「おう、俺もだよ!」とかいわないように。
主人公の〝わたし〟は作家であり、末期癌医療に携わり、その負担で心を病んだ医師。
ここで、まさに、作者の経験をもとに書かれた小説であることがわかる。
いまは逃避を兼ねて、山国の総合病院で内科の初診を担当、
前述のような、突飛な悩みを打ち明ける患者に、自らの悩みもにおわせながら、応対する。
ある日、またもパニックの発作に襲われるわたし。
限界も感じるきょうこのごろですが、いかがお過ごしでしょうか、
とばかりに海の近くに住む旧友、松山から、誘いの声がかかる。
五日間の休養を兼ねて、海の近くに旧友を訪れたわたしは、
松山の娘、千絵との交流の中で、何とはなしに癒やされていく。
こうして聞くと、海が山より偉いみたいに書いてあるのか、
と思うかもしれないけど、山好きの人、ご安心を。って心配してないか。
自らをモチーフに書いた、作者の個人的経験によるものだけだから、あまり他意はなさそう。
人によっては、海の荒涼官から逃れ、ほのぼのとした山村を目指す人だっているだろうし。
そこらへんは、「海へ」だけど、あまり関係ないかも。「山へ」でも。そこらへんはお好きに。
ちなみに僕なら、どーだろか。暖かな海を望む山あい、みたいなのがいいかな。
勝手なことばかり書いていてもしかたないので、まあ置いておく。
「月に三、四人の末期癌患者を看取る、生と死の境界線に渡された細い綱の上で
微妙なバランスを取る生活に疲れ果てた」と、自らを納得させるわたし。
実際、患者の間近で世話をし、看取り、ぼろぼろになっていくのは看護士さんで、
医者ではないような気もするんだが、どうなの? 実際のところ。
そういう個人的な所感は、さておいて、
そんな〝わたし〟を海に誘う松山も、実はけっこう大変だったりする。
病理医としての、将来のポストを約束されながら、
直接的には遺体を持ち上げる際に腰を痛め、
実家の療養所を継ぐことになった〝松山自身の病理〟も、けっこう根深い。
こちらは、解剖という作業が、松山に重い負荷を強いたことになる。
「重すぎたのは遺体そのものではなくて、おそらく死を完成させるという行為の、
一回ごとに着実に加算されてきた負荷だったのだ」。そりゃ、重いですわな。
そんな、負荷を背負った男たちの感じる、周辺世界への不適応の描写は、
さすが、自らの経験に基づくものとあって、なかなかリアルだ。
病棟の廊下を挟んで、軽症患者と、末期患者が分かれる病室を見比べ、
「頬に触れていた空気が、たしかな圧で皮膚を押し、唇がゆがんだ。
空気の海の深度がまったく異なっているのだ」。
こういうこといわれる末期患者はたまったモンじゃないだろうが、
まあ、そういう感触がある、というのはリアルな現実でもあるのだろう。
そんなに病んだ〝わたし〟を癒やしてくれちゃう女子高校生、千絵はすごい。
〝わたし〟を岩場の洞穴に連れ込んで、自分で釣ったイワシを焼いてくれちゃう。
色っぽい話じゃなくて、残念でした。
その上、作家の〝わたし〟に文学の話とかしてくれちゃう。
感受性は鋭く、表現力も豊か。
スタイルもよかったりして、オヤジの〝わたし〟はちょいとドギマギ。
現実にこういうコもいるんだろうけど、かなり都合のいいキャラクターだ。
でも、そんな千絵も微妙に雄弁すぎるあたり、
微妙に自分だけでは処理しきれない、何かを抱えて生きていたりする。
こういう感受性の鋭いコは、学校さぼるのにも、いろいろ理由を雄弁に語る。
月に一、二度ある学校に行きたくなくなる日に、無理に行くと、
「金属疲労みたいになって、ある日ポッキリ折れたりしそうだから」。
そんな理由つけず、さぼって好きなことすりゃいいのに。
いいかげんちゃんだった、僕なんか、そう思うのだが、
根がまじめな千絵はなかなかそうはいかないようだ。
だから、〝わたし〟に対して、僕が思うのは
「おっさん、自分ばっかり癒やされてないで、千絵ちゃんにも何か働き掛けろよ」
って感じなんだが、いい感じに千絵ちゃんのポジティヴ周波数に影響され、
〝わたし〟は何かを取り戻していく。決してハッピーエンドとは言い難いが、
何かを救いのある形で、物語は終わりを告げる。
もちろん、今後の千絵ちゃんとかに、多少の心配とかは残ったりするんだが、
それは今回の小説の主題でもないようなので、微妙にぼやかしてあったりする。
読み終えて、感動するでもなし、深い余韻が残るでもなし。
ただ、何とはなしに不思議な爽快感は残った。
その理由が、どこからくるのか、それがはっきりしないのも不思議な小説だ。
食いしんぼの僕なら、間違いなく、そのポイントはひとつだ。
たぶん、イワシがおいしかっただろう。
物語の爽快感をよそに、おなかを減らし、イワシの塩焼きを思う。
ああ、読後感台無し。
自省をしつつも、やはり頭の中は、イワシでいっぱいなのだった。
渡部千春、『デザインの現場』編集部「これ、誰がデザインしたの?」

先々週の書評で見つけた、デザインものの写真本。
歯ブラシ、乾電池から、ヤクルト、カップヌードル、
そして百貨店の包装紙にプロ野球のユニフォーム、成田空港のピクトグラム…
さまざまな暮らしのデザインの誕生秘話や、その変遷、バリエーションなどをまとめている。
書評子も指摘していたように、百貨店の包装紙には伊勢丹が入ってない。
小田急だの、西武、東武だの、京王だの、明らかに格下のデパートは入ってるのに…
何か、伊勢丹に恨みでもありましたか?
お洋服があんまりに高くて、手が出なかったとか…
あっ、それは僕でした。恨んではいないけどね。
しかし、最近はブランドもののお洋服とか買った時は、
間違っても百貨店オリジナルのでもらおうと思わないからなぁ。
別に特別な感慨もなくなってしまった感じだ。
成田のピクトグラムは、3分の1近くがようわからん、みたいなデザイン。
目的の多様化に、追いついていっていないのだろう。
というか、単純な絵柄でそんなに多様な表現は難しいのかも。
オーディオ・ヴィジュアルルームなんて、想像もつかない柄だし、
両替所と銀行、並べれば区別できるけど、単独だとちょっときつい。
ミーティング・ポイントなんかも、下手すると商談ルームみたいに見えるし。
で、本題、でもないんだけど、カールの変遷がなかなか興味深かった。
カールといえば、チーズとカレーが原点だ、と思っていた、僕の蒙を開いたよ、この本は。
別にたいしたことじゃないんだけどさ。
とりあえずけっこうびっくりしたんで、ちょっとオーバーに書いてみた。
何と、チーズといチキンスープなのだよ。昭和43年(1968)の発売時は。
44年(1969)からは、カレーとチーズ。46年(1971)からうすあじが加わる。
あれ、これデザインの話じゃないな。ただの味の話になってる。
そうそう、そのカールといえばカールおじさんだけど、
パッケージデザインに登場したのは、昭和63年(1988)だったりする。
昭和最後の年じゃん、なんて感慨深くもないけど、とりあえず驚いてみる。
「それにつけても♪」は古くても、
「はぁ、おらがぁの村でぇは♪」なんてのは意外と新しいんだな、なんて思ってみる。
そして再び味の話に戻ると、長らく数種類の味を守っていたカールの、
近年の暴走ぶりがけっこうおもしろい。
「うめがつお」だの、「のりバターしょうゆ」だの、「牛丼」「煮込みカレー」…
チョコ味のもあったのね。あんまりそれはカールじゃないと思うが。
そう考えると、地方限定のカールとか、もう何が何だかわからなくなってるから、
もう把握しきれないかもしれない。
こんど、地方限定菓子だけ、とか、地方限定フレーバーのカップラーメンだとか、
地方限定キティ携帯ストラップの本、誰か出してくれないかしら。
もしくは、定番お菓子のさまざまなフレーバーの変遷を集めた本とか。
あ、ファンタだけでもいいすよ。少なくとも、ぼくは買うからさ。
まあ、そんな感じでさまざまな思い出とかが頭をよぎり出すと、
この本、俄然と物足りなくなる。写真足らないし、あんまり網羅していない。
もともと、図鑑とも何とも書いていないし、
むしろ蘊蓄を語るのがメインの本ではあるだろうから、的違いな批判は承知の上だけど。
アメリカでよく出ているコレクターが編纂した「〜コレクティブル」みたいなの、
日本でもどんどん出ないかな、とひそかに期待は抱いている。
向こうだと、バービーだとか、ファーストフードのキッズミールだの、
いろいろなコレクティブル図鑑ものがたっくさん出てる。
コレクター王国、アメリカの奥深さを感じたりするのだけど、
いまや国際語となった〝オタク〟の国、ニッポンだって負けてられないでしょ。
誰か、ぜひ作ってください。待ってますぜ。