南木佳士「海へ (文春文庫)」

文春文庫、11月の新刊です♪



お初の作家だ。イメージすらわかない、まったくの白紙。
オビの「まったくの海だ」が目を引いた。
そして「心に闇を抱えた医師は、旧友に誘われるまま、
陽光あふれる海辺の町を訪ねる。五日間の休暇が彼にもたらしたものは−。」
何とはなしに気になったので、読んでみることにした。


「拳銃で上司を撃ちたくなることがあるんです。」
いきなりすごい書き出し。そこのあなた「おう、俺もだよ!」とかいわないように。
主人公の〝わたし〟は作家であり、末期癌医療に携わり、その負担で心を病んだ医師。
ここで、まさに、作者の経験をもとに書かれた小説であることがわかる。
いまは逃避を兼ねて、山国の総合病院で内科の初診を担当、
前述のような、突飛な悩みを打ち明ける患者に、自らの悩みもにおわせながら、応対する。
ある日、またもパニックの発作に襲われるわたし。
限界も感じるきょうこのごろですが、いかがお過ごしでしょうか、
とばかりに海の近くに住む旧友、松山から、誘いの声がかかる。
五日間の休養を兼ねて、海の近くに旧友を訪れたわたしは、
松山の娘、千絵との交流の中で、何とはなしに癒やされていく。


こうして聞くと、海が山より偉いみたいに書いてあるのか、
と思うかもしれないけど、山好きの人、ご安心を。って心配してないか。
自らをモチーフに書いた、作者の個人的経験によるものだけだから、あまり他意はなさそう。
人によっては、海の荒涼官から逃れ、ほのぼのとした山村を目指す人だっているだろうし。
そこらへんは、「海へ」だけど、あまり関係ないかも。「山へ」でも。そこらへんはお好きに。
ちなみに僕なら、どーだろか。暖かな海を望む山あい、みたいなのがいいかな。
勝手なことばかり書いていてもしかたないので、まあ置いておく。


「月に三、四人の末期癌患者を看取る、生と死の境界線に渡された細い綱の上で
微妙なバランスを取る生活に疲れ果てた」と、自らを納得させるわたし。
実際、患者の間近で世話をし、看取り、ぼろぼろになっていくのは看護士さんで、
医者ではないような気もするんだが、どうなの? 実際のところ。
そういう個人的な所感は、さておいて、
そんな〝わたし〟を海に誘う松山も、実はけっこう大変だったりする。
病理医としての、将来のポストを約束されながら、
直接的には遺体を持ち上げる際に腰を痛め、
実家の療養所を継ぐことになった〝松山自身の病理〟も、けっこう根深い。
こちらは、解剖という作業が、松山に重い負荷を強いたことになる。
「重すぎたのは遺体そのものではなくて、おそらく死を完成させるという行為の、
 一回ごとに着実に加算されてきた負荷だったのだ」。そりゃ、重いですわな。


そんな、負荷を背負った男たちの感じる、周辺世界への不適応の描写は、
さすが、自らの経験に基づくものとあって、なかなかリアルだ。
病棟の廊下を挟んで、軽症患者と、末期患者が分かれる病室を見比べ、
「頬に触れていた空気が、たしかな圧で皮膚を押し、唇がゆがんだ。
 空気の海の深度がまったく異なっているのだ」。
こういうこといわれる末期患者はたまったモンじゃないだろうが、
まあ、そういう感触がある、というのはリアルな現実でもあるのだろう。


そんなに病んだ〝わたし〟を癒やしてくれちゃう女子高校生、千絵はすごい。
〝わたし〟を岩場の洞穴に連れ込んで、自分で釣ったイワシを焼いてくれちゃう。
色っぽい話じゃなくて、残念でした。
その上、作家の〝わたし〟に文学の話とかしてくれちゃう。
感受性は鋭く、表現力も豊か。
スタイルもよかったりして、オヤジの〝わたし〟はちょいとドギマギ。
現実にこういうコもいるんだろうけど、かなり都合のいいキャラクターだ。


でも、そんな千絵も微妙に雄弁すぎるあたり、
微妙に自分だけでは処理しきれない、何かを抱えて生きていたりする。
こういう感受性の鋭いコは、学校さぼるのにも、いろいろ理由を雄弁に語る。
月に一、二度ある学校に行きたくなくなる日に、無理に行くと、
金属疲労みたいになって、ある日ポッキリ折れたりしそうだから」。
そんな理由つけず、さぼって好きなことすりゃいいのに。
いいかげんちゃんだった、僕なんか、そう思うのだが、
根がまじめな千絵はなかなかそうはいかないようだ。


だから、〝わたし〟に対して、僕が思うのは
「おっさん、自分ばっかり癒やされてないで、千絵ちゃんにも何か働き掛けろよ」
って感じなんだが、いい感じに千絵ちゃんのポジティヴ周波数に影響され、
〝わたし〟は何かを取り戻していく。決してハッピーエンドとは言い難いが、
何かを救いのある形で、物語は終わりを告げる。
もちろん、今後の千絵ちゃんとかに、多少の心配とかは残ったりするんだが、
それは今回の小説の主題でもないようなので、微妙にぼやかしてあったりする。
読み終えて、感動するでもなし、深い余韻が残るでもなし。
ただ、何とはなしに不思議な爽快感は残った。
その理由が、どこからくるのか、それがはっきりしないのも不思議な小説だ。


食いしんぼの僕なら、間違いなく、そのポイントはひとつだ。
たぶん、イワシがおいしかっただろう。
物語の爽快感をよそに、おなかを減らし、イワシの塩焼きを思う。
ああ、読後感台無し。
自省をしつつも、やはり頭の中は、イワシでいっぱいなのだった。