平安寿子「なんにもうまくいかないわ」

徳間書店刊。1500円+税



前作から、苦節9カ月… って、別に何をしていたわけじゃないんだけど。
藤野千夜川上弘美と並ぶ3大フェイバリット作家さんのひとりだから、
新刊予告だけで、もう興奮状態になってしまった。
発売予定日の数日前から、ちょこちょこと書店店頭をのぞき、
手に入れて、すぐ読み始められるよう、読み出す本は分厚いのを避ける。
睡眠を取って、栄養を取って、休暇を取って… というのはウソです。すみません。


一気読みが、もったいないので、味わうようにゆっくりと、少しずつ読んだ。
いや、一日で読んだことは認めるけど、それでも、いつもより全然スローペース。
大傑作「グッドラックららばい」や「素晴らしい一日」を例に挙げるでもなく、
グッドラックららばい 素晴らしい一日
この作家さんの特徴は、日常を描き出しながらも、ドラマチック。
とんでもない人々を描きながらも、心温まる、
ひとつひとつの場面描写の〝リアルな〟素敵さだ。
ちなみに、平安寿子は米国の作家アン・タイラーをもじったものとか。
ハーレクインとかみたいな、歯が浮く台詞はなくても(それはそれでいいのは承知してます)
笑っちゃうけど、とってもドラマチックな世界がそこには展開する。
もちろん、今回の作品もとっても修羅場で、とってもコメディチック。
でも、とってもドラマチックで、こころがあったかくなる。
どんな人にも大推薦の、素敵な作品だ。


志津子は40歳、独身、リサーチ会社のチーフ。
仕事はできるがおっちょこちょい。
誰とでも友達になるが、いいように利用されることもしばしば。
オトコが放っておかない、恋多きいいオンナ。でも、相手はみんなろくでなし…
明け透けな性格で、その恋愛遍歴は、周囲みんながご存じ。
人呼んで〝私生活のない女〟を主人公にした連作だ。


ただ物語は、志津子をめぐる友だちや、不倫相手の奥さん、かつての恋人たちなど、
さまざまな視点から、客観的に描かれる。
志津子の考えや、想いは、あくまで会話から読み取るだけだ。
この感じ、川上弘美ニシノユキヒコの恋と冒険三浦しをん私が語りはじめた彼は」などと同じアプローチ。
このアプローチの印象深さは、ある意味本人の思考を掘り下げるよりも、印象的だったりする。


子ども時代からの友人、令子が幼少時の志津子の寂しがり屋ぶりを振り返る。
〝遊びに来た友達を帰すまいと、冷蔵庫の中身を(プリンからイカの塩辛まで)「これあげる」と、
 どんどん出していた志津子。令子はそういう光景を見て怒っていた。
 志津子はなぜ令子が怒るのかわからず、「令子ちゃん、プリン嫌い?」と、涙目をしていた〟
令子の子どもなりのはがゆい感覚とか、すごく伝わってくるだけではなく、
いまの志津子の、オトコに〝だらしない〟部分にもすごくかかわってくる。


冷蔵庫つながりでは、こちらも印象的だ。
志津子の恋愛経験をパクって、体験談にしてしまった女性運動家兼ルポライターのもとに、
志津子の部下、ナツキが疑惑追及のため、意気揚々と乗り込む。
用事をいいつけられたナツキが、ルポライターの冷蔵庫を開けると、
そこには麦茶とミネラルウォーター、パックの総菜、納豆、卵と寒々とした光景。
それを見て、ナツキは、腐るほどものが入った志津子の冷蔵庫を思い出す。


志津子の意見はこう。
「きれいでおいしそうな食べ物が冷蔵庫に入っているのを見ると、幸せなんだもの」。
僕も同意見です。あっ、聞いてないですね。すみません。
だから、ナツキは思う。
「そんな志津子がこの寒々しい冷蔵庫の中身を見たら、
いたたまれなくなって、あいさつもそこそこに逃げ出してしまうだろう」。
そして、さらに続ける。
「だが、ナツキは必要なものしか入っていない冷蔵庫にタンカを切られたような気がした」。
すごい描写力じゃないだろうか。冷蔵庫に人生を投影してる。


まあ、冷蔵庫の話ばかり紹介してもしかたないので、志津子の恋愛話に戻る。
こちらはこちらで、興味深いものばかりだ。
40を数えても、現役バリバリで恋愛に墜ちる
そんな志津子に、同年代の女性は嫉妬の炎を燃やしたりするが、
志津子は志津子で、やはり忸怩たるものを持ってたりする。


一瞬、何よりも輝く素敵な恋愛が、決して長持ちすることはないのだ。
理由は簡単。ダメオトコにばかり、引っ掛かってしまうのだ。
ダメオトコだから、ならではの素敵さって、もちろんあるんだけど、
志津子がたまにうらやむ、〝人並みの幸せ〟ってやつには、一切関係ない。
どっちがいいか、ってのは、また人それぞれだけど、
やっぱり隣の芝生は青く見えるというのは、人生の真理だからね。


それはともかく、もうひとつ思うのは、こういう志津子みたいな人、
実際にもいるんだろうな、ということだ。
魅力的で、楽しくて、にぎやかで、けっこう迷惑だけど、憎めない。
でも、こういう人は〝ダメ男センサー〟とか兼ね備えてるくらい、
ダメなオトコを見つけ出すのがお得意だ。
その上、ダメオトコのいいトコだけ見て、致命的な欠点には目がいかない。
つまり、見る目がない。だから、最終的には泣くことになる。
さらに、ダメオトコを吸引するフェロモンみたいなのがあるのだろう。
ダメオトコの方から、勝手に寄ってくる。結果、もう見えてる感じだ。


でも、こういう人って、やっぱり幸せだと思う。
楽しかった思い出、素敵な思い出、胸が締め付けられるような思い、
泣きたいくらいつらい思い出、終わってしまった恋の余韻…
そんなのを全部込みで、恋愛の醍醐味だ、ととらえられるのだから。
だから、つらくても、泣かされても、また懲りずに恋に落ちる。
志津子は、恋を忘れた主婦の〝帰れば夫子どもが待つ〟環境にあこがれるけど、
それだって、お互いを大事にする努力を怠れば、むしろ負荷にしかならない。


そんな永遠の命題をテーマにしたベストセラーでは
酒井順子負け犬の遠吠え」があったけど、
こちらもなかなか深い深い掘り下げがあって、興味深い。
それこそ、志津子は負け犬でも何でもないんだけど。


そんなこんなで、語り始めるときりがないくらい、おもしろいお話がぎっしり詰まってる。
ちなみに、単独の短編。「亭主、差し上げます」も珠玉の逸品。
毎月第3土曜日の午後、妻帯者の耕平と、不倫を重ねる恵子のもとに、珍客が訪れる。
それは、ケーキを手土産にした、耕平の妻、光。
興味深げに、しかしおだやかに二人を観察する光が、差し出したある提案。
それは、そう「亭主、差し上げます」だったのだ。
こちらも、味わい深い会話や、描写がたっぷりと詰め込まれてる。
たとえこれ一本でも、買うに値する作品なんで、ぜひに読んでくださいな。
読書の楽しみを、存分に味わえる一冊であること、保証付きだ。