岡嶋二人「クラインの壺 (講談社文庫)」

mike-cat2006-03-08



the TEAM」「オルファクトグラム(上) (講談社文庫)」「オルファクトグラム(下) (講談社文庫)」で、
やたらと面白いことをいまさらながらに知った、井上夢人の共作時代の作品。
コンピューターゲームを扱った1989年刊行の作品だが、
何と17年を経た今でも、まったくといっていいほど古さを感じさせない傑作だ。


主人公はゲームクリエイター志望の上杉彰彦。
ある雑誌に応募した原作「ブレイン・シンドローム」が、
新感覚の体験型ゲームを開発するイプシロン・プロジェクトに200万円で買い取られた。
完成間近となったゲーム「クライン2」のモニターとなった彰彦は、
想像を絶するヴァーチャル・リアリティの世界の中にまぎれ込む。
だが、ゲームを進めるに連れて、現実世界をも巻き込んだ混乱が巻き起こる−


こうしたヴァーチャル・リアリティの世界といえば、
かつては、クリストファー・ウォーケン主演で、
リアルな追体験機械開発の顚末を描いた「ブレイン・ストーム」(1983)や、
ジェイムズ・キャメロン監督、レイフ・ファインズ主演で、
違法なヴァーチャル・ディスクをめぐるサスペンスを描いたSF「ストレンジ・デイズ」(1995)がある。
どちらも、この「クラインの壺」同様、現実との区別がつかない仮想現実世界が登場する。
違うのは、この「クラインの壺」で再生するのはあくまでゲーム世界、
映画2作品が再生するのは、レコーダーに記録された他人の体験、という点。


仮想現実の世界と、現実世界が入り交じってワケわかんなくなる、という意味では、
フィリップ・K・ディックの「追憶売ります」を元ネタにした、
SFトンデモアクション「トータル・リコール」(1990)がある。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演作、という〝難〟はあるが、
ポール・ヴァーホーヴェンのイッちゃった演出も含めて、現実と仮想現実はねじれて交わっていく。
ずばりゲーム世界とのねじれ、となると、
デーヴィッド・クローネンバーグ監督の「イグジステンズ」(2000)がそのまんまだ。
〝内臓感覚〟といわれるクローネンバーグらしく、
脊髄に空けた穴に、直接ケーブルを接続するバーチャルリアリティゲーム、
というのが何とも気持ち悪くって、イケてる作品ではあるのだが、
どっちがゲーム? どっちが現実? 的な楽しみはかなり近い。


映画の話が長くなったが、ここで言いたかったのは、
そういう数々の映画を観た上でも、この作品は新鮮に映る、ということ。
コンピューターのスペックの話なんか読むと、
普通のPCのメモリーが1MBとか書いてあって、微笑ましいのだが、
最初に書いた通り、あとは別にどこも古くさいところなどない。
まあ、現実に機械が開発されていない以上、当たり前といえば当たり前だが…


物語の入り組み方も、あざとくないギリギリの線のねじれ具合で、
エンタテイメントとして楽しめるよう、うまく仕上がっていると思う。
講談社文庫の惹句にはオーバーすぎるのが多いが、
背表紙の〝超名作〟という言葉が、珍しいくらいに頷けるのである。


まあ、ひとつだけ気になったことはある。
この作品で登場する〝完璧なヴァーチャル・リアリティ〟マシンの使い道だ。
ゲーム、でいいのか? (もちろん、カラクリはあるのだが…)
シナリオ作成や、ロールプレイングとしての場面場面の作成などを考えると、
あまりに大々的な開発が必要となるし、正直無駄も多いと思う。


じゃあ、このマシンがあったら、何を作るのか?
思い出して欲しい。
ビデオを、パソコンを、インターネットを普及させたのは何だったのか。
そう、エロである。
いや、僕がそういうのが欲しいとか欲しくない、はともかく、
歴史において、こうした新製品の爆発的普及の原動力となったのが、
常にアダルトソフトであることは、誰も異論がないはずだ。


ましてや、これだけの性能を誇るマシンである。
AV仕立てで作ってしまえば、すさまじい需要が発生するだろうし、
あっという間に一般に普及するような価格設定が可能になるだろう。
わざわざ、ロールプレイングにする、というのは、正直不自然でもある。


まあ、それをアダルトにしてしまえば、違う小説になってしまうし、
(まあ、森奈津子の世界ですな…)
小説の中のゲーム開発にしたって、もちろん…なのである。
だから、そここらへんはまああくまでちょっと思ったこと、に過ぎない。
それでも、小説の面白さとはまったく別の次元の話で、
やっぱりこのマシンにはエロだよな…、としょうもない妄想をめぐらすのだった。


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