J・G・バラード「楽園への疾走 (海外文学セレクション)」

mike-cat2006-05-28



長編としては「スーパー・カンヌ」以来4年ぶりの最新作。
といってもあちらでの刊行は「コカイン・ナイト」より前の1994年。
バラードに関しては、この2作品含め6、7冊しか読んでいない、
落ちこぼれ読者なのだが、それでもこれは見逃せない1冊。
といっても、刊行から1カ月も気付かないという、
油断しまくりの事態だったことは、否定する余地はないのだが…


〝現代の予言者バラードの問題作〟
〝ごく普通の環境保護運動のはずだった。
 だが、南の島でなにかが少しずつ狂い始める…〟
妄想、倒錯、狂気、暴虐、そして破滅…、
すべてが散りばめられた、いかにもバラード的な世界が展開する。


アホウドリを救え……! いますぐ核実験をやめろ……!」
太平洋、タヒチの南東600マイルの環礁に浮かぶ、サン・エスプリ島。
核実験に妄執的な不安と欲望を抱える16歳のニールは、
環境活動家のドクター・バーバラに連れられ、この島を訪れる。
駐留するフランス軍に対し、過激なキャンペーンを繰り広げるために…
メディアを巻き込んでの〝闘争〟は勝利をおさめ、島は自然保護区へと変身する。
だが、ドクター・バーバラの妄想めいた信念は、島を倒錯した混沌に陥れる。
狂気を孕んだ楽園はいつしか、破滅への道のりをたどる…


こうしてあらすじを書いていても、登場人物さながらに、こう呟いてしまう。
「どうして、こんなことに?」
ドクター・バーバラの創り上げる、倒錯した世界はとことんイッてしまっている。
メディアの注目を集め、なぜか観光名所化していく序盤もすごいが、
アホウドリを救うための楽園だったはずが、
どんどん違うものになっていく中盤以降の展開は、さらにすさまじい倒錯ぶりを見せる。
近作の「コカイン・ナイト」「スーパー・カンヌ」でも見せた、
世界がねじれていくような、シュール・リアリズムの世界が、ここでも展開する。


ドクター・バーバラが、カルト教団の教祖さながら、
どんどんおかしくなっていく過程が恐ろしいほどリアルだ。
自然保護区の尊さを訴えるドクターに、人々が大きな喝采を送る。
腹心たるデーヴィッドが、その姿を見つめ、ニールにこう話す。
「伝動的熱意のもっとも純粋な発露だ−
 絶好の機会を逃さない最良の観察眼と手を取り合った完全な誠実さだ」
「このようにして、新しい宗教が生まれるんですか?」とニール。
だが、デーヴィッドの答えは、策略に満ちたように冷静だ。
「ニール、ニール……ここに新しいものなどなにもない。
 それはあらゆる宗教のなかでもっとも古いものだ−純然たる磁気的な利己主義だ。
 しかし彼女のいっていることは完全に正しい。
 それこそまさにわたしが彼女に期待していることだ」


だが、そんなデーヴィッドの思惑をはるかに凌駕し、
ドクターの世界はどこまでも暴走を続けていく。
自然保護区が、本当に保護したかったものが明らかになるとき、
ドクターの倒錯しきった、はちきれんばかりの倒錯世界が、現実となっていく。
その世界は、果てしなくおかしなもののはずなのに、どこかリアルなのだ。
そしてそのリアルさは、読むものをどこか惹きつけた止まない。
凡庸な表現ではあるが、怖いもの見たさに、のぞかずにはいられないのだ。


歪んだ環境保護運動カルト教団、行きすぎたジェンダー思想…
あらゆる問題を内包した物語世界には、ただただ圧倒される。
そして、読者は主人公のニールを通して、その世界の破滅を目の当たりにする。
その何とも言えないヴァーチャル・リアリティ体験は、まるでトリップのようでもある。


たぶん、解釈的にはかなり表層的な部分しか読み取れなかったと思う。
正統派のバラード読者が読んだら、もっともっと深い解釈もなされるのだろう。
だが、それはそれで、まるで鏡のように読む者の深層心理を映し出し、
読む人なりの恐怖や不安、そして妄想を膨らましてくれる、小説でもあるはずだ。
こうやって書けば書くほどワケわからなくなってはいるのだが、
その一方で、その不条理な感覚が楽しくなってくる、不思議な小説だ。
オビの惹句で〝問題作〟とある場合、
たいてい〝面白くはないけど…〟の意味である場合が多いが、
この小説は文字通りのバラードらしい〝問題作〟。
バラードの歪んだ世界でバッドトリップするなら、まさしくこれ、という作品ともいえるだろう。

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