桐野夏生「アンボス・ムンドス」

mike-cat2005-10-19



いかにも桐野夏生らしい、悪意に満ちた(ほめ言葉)作品集。
主人公はいずれも、ひとクセもふたクセもある連中だ。
自分に自信のない肥満女、誰にも好かれないホームレス、
惰性の不倫にしがみつく女、ある秘密を抱える中年女、
複雑な家族関係に絡められた作家の長女、
家族から邪魔者扱いされる寺の娘、
そして、不倫旅行中の事故で追いつめられた女教師。
それぞれが悪意を抱き、それぞれが悪意に悩まされる。
なるほど「柔らかな頬」「グロテスク」などなど、
悪意にあふれた作品を書かせたら当代一、という作者らしい短編集だ。


悪意といえば、戸梶圭太作品でもお馴染みの題材だが、
衝動的で動物的な、いわゆる〝バカ〟を描いたトカジ作品と比べ、
桐野夏生作品の悪意は、巧妙に社会化され、日常に潜む陰湿さが特徴だ。
もちろん、非日常的な事件も描かれるが、そのネガティブな感情は、
誰もが一度は抱いたことがありそうな、リアルさに満ちている。


肥っていることで自分に自信を持てない女を描いた、
冒頭の「植林」が、いきなり読者を悪意の世界に誘い込む。
〝どうせ男は自分なんか相手にしっこないだろうから、どう思われようと構わない〟
宮本真希は、こんな思いが、すべての原点にある女だ。
安売りドラッグストアで、カツカツの収入を得る毎日は鬱屈にあふれている。
〝搾取される鬱屈、仕事が面白くない鬱屈、
 美しい仲間に対する劣等感という名の鬱屈、そして男に蔑まれる鬱屈〟


だが、記憶の奥底に封印されていた、ある思い出が真希に奇妙な自信を与える。
〝自分が中心人物〟
その思いが、真希のこころの中に巣くっていた悪意を表出させる。
何せすべてに鬱屈していたぐらいだから、腐って、膿んで、どろどろの悪意だ。
目を背けたくなるほど、その悪意は醜い花を咲かせるのだ。


人でなしの作家を父に持つ伊藤藍子を描いた「浮島の森」も秀逸だ。
藍子の父は、愛人と一緒になるため、妻どころか娘までも放擲し、
さらに友人に与えた「妻譲り渡し事件」で知られる作家、北村敬一郎。
その父の回顧録執筆を頼まれた、藍子の回想が物語の中心となる。
「悪人」だった父の行動原理をどこか理解しつつも、整理できない。
回想を通じて、周囲の人を絶えず傷つけてきた父に通じる何かが、
藍子のこころの中でも、むくむくと頭をもたげてくるのだ。


「浮島の森」とは、和歌山県新宮市の観光名所だという。
回顧録を熱望する出版社の編集担当からの手紙を引用する。
〝底無し沼の上に浮かぶ、泥炭マット状の浮遊体です。
 寒暖両性の植物が混成した森が載っている珍しい浮島。
 風が吹けば島は動き、水量によって高さも推移するそうです。
 私が、この「浮島の森」と藍子さんがにているような気がする、
 と申し上げたら、失礼でしょうか。〟
これまで一貫して抑えてきた藍子の激情が、
実はとても不安定な状態にあることがまんまと言い当てられる。
誰にでも「浮島の森」はある。藍子のたどり着いた結論が、何とも深い。


表題作の「アンボス・ムンドス」は、
夏休み、教頭との不倫旅行の最中に担当クラスの生徒が事故死し、
予想外の災難に巻き込まれた元女性教師の〝私〟が、語り部となっている。
不倫旅行の先はキューバ。地球の裏の、一日前の世界。
そして、帰国した先で待っているのは、
〝両方の世界〟を意味するホテルで過ごした日々とは裏腹の世界。
一方で、〝私〟の担任するクラスにも、表裏が存在する。
悪口、陰口を武器にした勢力争い、そしてこども特有の傲慢な陰謀。
「アンボス・ムンドス」を彷徨う〝私〟の苦悩の描写が絶妙だ。


読み終えて残る後味は、すこぶるといっていいほど悪い。
しかし、何とも味わい深い。
ここらへんもいかにも桐野夏生らしさではある。
読み応え、という意味ではこれまでの傑作群には及ばないが、
こころの中でもう一度反芻してしまいたくなる、不思議な引力はやはり強い。
もしかして、もう毒されたかも、なんて思ってしまう、刺激の強い一冊だった。