ダフネ・デュ・モーリア「レイチェル (創元推理文庫)」

mike-cat2007-07-01



〝もうひとつの「レベッカ」として世評高い傑作〟
先日、新訳版「レベッカ」にすっかりはまってしまった。
レベッカ」があれだけ面白かった以上、
もうひとつの、と言われてしまったら、もう見逃せない。
こちらも2004年刊行の新訳、ということで迷わず手にする。


両親を早くに亡くした〝わたし〟フィリップにとって、
従兄のアンブローズは兄であり、父でもある、かけがえのない存在だった。
領地でもある英国コーンウォールを離れ、
療養のためフィレンツェへと渡ったアンブローズから、届いた突然の報せ。
それは、長らく独身を貫いてきた従兄の、結婚の報告だった。
しかし、アンブローズは体調を崩し、旅先で帰らぬ人となってしまう。
死の直前に送られてきた手紙には、妻への疑惑がしたためられていた。
そんなレイチェルに、敵意を燃やしていたフィリップだったが、
ひと目顔を合わせたとき、その憎しみが、思慕へと変わっていった―


帰らぬ人への想いと恋情との板挟みが描かれる一方、
それは現実なのか、妄想なのか、と思い悩む、という文脈では、
まさしく「レベッカ」と同じく、複雑な感情の揺れを描いた作品だと言えるだろう。
ただ、大きく違うのは、「レベッカ」の?わたし?が、罪なき被害者だったのに対し、
今回の「レイチェル」のフィリップは、もしろ愚かさばかりが際立つ自業自得系。
レベッカ」の凍りつくような緊張感に対し、
こちらは「あ〜あ、何やってんだか…」的な、トホホ感がある意味特徴だ。


このレイチェルが、いわゆるファム・ファタールである。
教父で後見人のニック・ケンダルの言葉だ。
「世の中にはな、フィリップ、
 本人には何の咎もないのに、災厄をもたらす女というのもいるんだよ。
 そういう女たちは、触れたものをことごとく不幸にしてしまうんだ」
ましてや、このレイチェルは明らかに、咎がない女ではない雰囲気。
妄想か、それとも…のこころの揺れはないか、と思いきや、なのである。


しかし、こんな悪女にフィリップは、ベタなほどコロリといかれる。
「何であんた、そんな簡単に…」。思わず突っ込みたくなる。
だが、オトコという生き物の、哀しい愚かさはヘンにリアルだ。
アンブローズ、フィリップはどちらも夢想家、つまり一番のカモである。


〝夢想家がみなそうであるように、現実が見えていなかった。
 ふたりは人嫌いでありながら、愛に焦がれていた。
 けれども内気さゆえに、内なる情熱は眠ったままだった。
 何かが心に触れるまでは。
 そしてひとたびそうなると、空がさっと広がり、わたしたちはどちらも、
 世界中のすべての富が手中にあるかのように感じた。〟
これではもう、抗いようがない。
フィリップがどうなってしまうか、にハラハラするよりむしろ、
約束された結末へ、フィリップが堕ちていく様を楽しむだけなのである。


しかし、そんなダメっぷりがどこか、読む者のこころをとらえて離さない。
レイチェルの内面が描かれないだけに、
ファム・ファタールぶり、ではなく、まさしくフィリップの転落である。
そういう意味では、もうひとつの「レベッカ」という表現は、
ちょっと微妙ではあるのだが、その語りの見事さにはやはり相通じるものがある。
またも「さすが」と唸りつつ、ひたすら読みふけった一冊なのだった。


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レイチェル
レイチェル
posted with 簡単リンクくん at 2007. 6.22
ダフネ・デュ・モーリア著 / 務台 夏子訳
東京創元社 (2004.6)
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