町田康「きれぎれ (文春文庫)」。

mike-cat2005-07-07



芥川賞を受賞した表題作「きれぎれ」と「人生の聖」の2編。
受賞作をほめるのって、いつもながらに微妙な部分もあるのだが、
やはり町田康の作品は、とことん面白い。


〝無数の大黒天吉祥天女が舞い踊っている〟との書き出しで始まる「きれぎれ」。
冒頭から、妄想と現実のはざまがぐにゃりとゆがみ、交じり合う。
〝ぽんぽんと景気よく、ご祝儀って感じで百貨店の屋上から人間が飛び降りてくる。
 巨大化した僕の顔が空中に君臨して、またひとり落ちていったのは妻。
 みんなと同じように、いきまーす、かなんかいって主体性がない。
 白いブラウス、膝までの丈の赤い襞のあるスカートの、
 ふわっとした感じのなかから黒い靴下に包まれた足がのぞいているのが猥褻だ。
 いちおうノリで、いきまーす、とかいってはみたものの
 やはり怖いのか青ざめて二の腕にあわ粒が生じている。
 でも、あっけなく、ぽーん、と飛んで妻は地面で断裂した。〟


いきなり断裂されてもなぁ…、と戸惑うと、次の瞬間には、妻は焼きそばを食ってる。
ああ、違う。〝ヤキソバ〟だ。それも
〝シュミーズ姿で正座のあげく土下座をするように前屈し、
 垂れる髪の毛を左手で押さえ、眉根に皺を寄せ、口を皿に近づけて〟食べている。
ううん、冷静に見て、状況は改善されているとは言い難いかも。
すごい状況…
いったい、何が起こっているのか、理解に苦しみながらも、
もう気持ちは物語世界にすっかり取り込まれてしまう。


ランパブ好きの絵描きにして、資産家の息子の〝俺〟が、
資産家令嬢との見合いを断り、ランパブ嬢を嫁にもらい、
栄誉ある賞に輝いた、同じく画家の友人をひがみつつ暴走する。
結局何だかよくわからないままの物語を貫くのは、
いろいろ考えて、いろいろ行動してみるんだけど、やたらと空回りする〝俺〟の暴走だ。


たとえば、見合いの断り方。
湖のホテルで行われた見合いの席には、馬鹿馬鹿しい格好の船で向かう。
これを見合い相手の新田富子が
(死んだはずだよ、お富さん、のもじりというのは考えすぎ?)、
素敵だ、とのたまうと、これだけで妄想のスピードが一気に上がる。
〝あんな船を素敵などという馬鹿豚新田富子を妻にしたらどうなるだろうか?
 家庭内はありとあらゆる紋切り型・月並の展示場と化し、
 テレビを見てふたりで笑い、近所のレストランで愚劣ランチ、珍乱弁当を食べるのだ。〟
で、ぶち壊しにすることにする。
で、目の前には鰻重がある。ふつう、お見合いで鰻重か?
ま、それはいいとして、〝俺〟は鰻重を吸うことで、お見合いをぶち壊しにかかる。
吸うのは、肝吸いじゃなく、鰻重だ。〝ちゅるちゅる〟。やめてくれ、腹がよじれる。


こうやって、晴れがましく見合いをぶち壊し、
ランパブ嬢サトエとの結婚にこぎつけた〝俺〟だけど、苦難は続く。
原因はサトエが「場所の適不適という観念に乏しい女」だったこと。
夏目漱石の「我が輩は猫である」から引用して、表現するトコがニクい。
で、〝俺〟はといえば
〝いろいろな仰々しい道具や機械も厭で、なぜかというと、その機械、
 例えば魚焼き機などという、即物的でグロテスクな機械が目の前にあることによって、
 例えば、鯖を焼いて食べたい、
 という自分の貧しい欲望が具現化してそこにあるような気持ちになり、
 そうなると、心の寒さが生活全般に拡大して、
 厭世的な気持ちが心の中でぶんぶんに膨らんで、人生が暗くなるからである〟
鯖、いいじゃん、何が貧しいの、という突っ込みは、とりあえず置いておく。
問題は、そんな〝俺〟なのに、
家の中を見渡してみれば、あらゆる物とゴミが散乱している、という状況だ。
鎌がそこらへんに刺してあったりして、まことに理解不能なほどのカオス状態に、
〝俺〟が悶絶するように、苦悩の思念を暴走させていく。本当に笑える。


そんなこんなで、話はますます混迷の一途をたどりつつ、
〝俺〟の思念は暴走を続けていくのだが、
不思議なほどにその〝もどかしい滑稽さ〟が、ずんずんと伝わってくる。
その後も目が〝富栄養化したどぶ川のよう〟になっている女が出てきたり、
〝ヘドロのような味〟がする〝古ブラシのような剛毛が混入した〟パンが出てきたり、
まことににぎやかな(というか、何というか…)雰囲気を醸し出しながら、
〝俺〟の思念という暴走列車は、世界を蹴散らして、蛇行を続ける。
圧倒的な焦燥感だとか、説明しがたい虚無感だとか、つかみどころのない違和感…
すべてがごったまぜになった、不思議な物語だ。
どう、どこがいいんだ、と訊かれると、
「笑えるトコ」というのが一番だったりするのだが、
それもまた、不条理な感じでいいのかもしれない。


「人生の聖」は「きれぎれ」ともリンクしつつ(ハムだとか、グランドリッチだとか…)、
それこそ〝きれぎれ〟になった小話同志もリンクしつつ、の奇妙な話。
ひと言で言うと、ただただワケわかんない話だが、部分部分がとても笑える。
一番笑ったのは、頭脳の不具合を訴えたオトコの話。
〝テロル。それが俺の魂だった。と思ったら、熱い涙がこぼれたので、
 胸ポケットからコンパクトを取り出して脳を見たら案の定、涙が出る時の特徴だね、
 前のあたりが少し薄紫がかって微妙に蠕動、
 こんななかに俺の気持ちがあるのかと思ったら眼前の七寸間島の馬鹿げた光景、
 さらには、
 七寸間島で身動きが取れなくなっている自分自身のことなどどうでもよくなった。〟
もう、最初からワケわかんないんだけど、ひたすら笑える。
何なんだ劇場 byいしいひさいちだ。
結局、テロルの行く末というのが、とんでもないことになっていくのだが、
これがまたストーリー全体でどう位置付けられているのかが全然わからなくて笑える。
いや、おわかりになる方はもちろん、いらっしゃると思うのだが。


2編を読み終え、つくづく想う。
文学なのか、ギャグなのか。
何か、蛭子能収とか、吾妻ひでおとか、そちらに通じる、ラディカルな凄みを感じる。
これがパンクなのか、何なのか。よくわからない。
しかし、この独特の文体で描き出される、
摩訶不思議な万華鏡の世界、まだまだはまってしまいそうだ。
とはいっても、
いつまで経っても「ワケわかんないけど、面白い」と言い続ける気はするが。