桜庭一樹「少女七竈と七人の可愛そうな大人」
〝憤怒と純情の美少女、川村七竈、十七歳。〟
「赤朽葉家の伝説」でようやく桜庭一樹の真価を知る。
で、以前何となくパスした、この1冊をいまさら読む。
〝美しさに呪われた少女七竈の、
せつない冒険を鮮烈に描く、大人の“少女”小説〟
少女の名は、七竈。
突如奔放に目覚めた母の〝辻斬り〟で生を受けた、17歳。
その類い希なる美しさに煩わされながら、毎日を送る。
出奔したままの母、うり二つの親友に温厚な祖父、
そして、ちょっと高飛車なシェパード犬…
優しさと切なさ、哀しさに包まれた、旭川郊外の日々は過ぎてゆく−
〝圧倒的に悲しい。それが読後感だ――古川日出男〟
まさしくおっしゃる通り、という感じだ。
物語全体を貫く、哀しみ、静謐な憤怒、そしてそこはかとない無常感。
小さな田舎町に、多くの因縁を抱えて生まれた美少女、七竈。
その生き様を、その因縁の元となった母や、祖父、親友らの視点から描く。
シニカルなユーモアがあふれる文体も、これまた読ませる傑作だ。
書き出しがいいのだ。
母・優奈が語り手となる、冒頭の〝辻斬りのように〟だ。
〝辻斬りのように男遊びがしたいな、と思った。
ある朝とつぜんに。
そして五月雨に打たれるように濡れそぼってこころのかたちを変えてしまいたいな。〟
二十五歳の誕生日に、何の特徴もない〝白っぽい丸〟から脱却を決めたのだ。
七回も竈に入れても燃え残るという七竈。
七日をかけてつくった七竈の炭は、たいへん上質なものらしい。
優奈の目指したのは、そんな七竈のような女だった。
で、結果〝七竈〟と名づけた娘を授かるわけだが、
その七竈が語り手となる〝一話 遺憾ながら〟がこう。
〝わたし、川村七竈十七歳はたいへん遺憾ながら、美しく生まれてしまった。
母がいんらんだと娘は美しく生まれるものだと馬鹿げた仮説を唱えたのは親友の雪風だが、
しかし遺憾ながらそれは当たらずとも遠からずなのである。〟
そんな、母のいんらんで肩身の狭い少女時代を送る〝わたし〟の独白。
じろじろと眺め回されるために〝男たちなど滅びてしまえ。吹け、滅びの風〟。
七竈の心の中では、まさに憤怒の熱風が、燃えさかるのだ。
そんな七竈の実は〝かたくて、食べるとにがいものもある〟。
〝秋になって赤い実をつけて誘うけれど、
なにやらかたいし、苦いので、鳥も食べずに残してしまうことがある。
そうすると冬になっても赤い実をつけたまま、ただ風に揺れている。〟
なんと悲しい、七竈の運命。
〝ちっともとくべつじゃない自分とむきあう〟普通の少女から、
〝とくべつな〟人間と指摘され、思い悩む七竈。
とくべつな自分と、どうおりあって生きていくのか。
むむむ、美しい少女って、時に悲しい生き物なのだな、と思い知らされる。
そんな七竈の姿もさることながら、
七竈にろくに見向きもしない〝いんらん〟母や、
なぜか七竈を下の地位にしてしまった老犬ビショップ、
古くさい映画館で〝魂を救うため〟赤字覚悟で名画をかける映画館主…
彼ら彼女ら自身ひとつの物語を持つ語り手たちや、しみじみ味わい深い脇役たち。
そんな贅を尽くした物語の膨らみも、この小説の魅力だろう。
だからこそ、痛いほどの悲しみをたたえたラストの美しさが映える。
その深い余韻に浸ることができる。そんな気がしてならない。