樋口有介「林檎の木の道 (創元推理文庫)」

mike-cat2007-04-19



〝気まぐれで面倒なやつだったけど、
 自殺するような子でもなかった〟
創元推理文庫で復刊が進む、樋口有介の青春ミステリ。
〝「ぼくと、ぼくらの夏」「風少女 (創元推理文庫)」に連なる青春ミステリの傑作〟
暑い夏の東京を舞台にした、ボーイ・ミーツ・ガール。
〝元恋人が自殺した暑い夏の日、ぼくはひとりの女の子と再会する〟
クールで繊細な〝ぼく〟とちょっと怒りっぽい彼女の物語が始まる―


十七歳の、暑くて退屈な夏休みのことだった。
〝ぼく〟広田悦至のもとにかかってきた一本の思わせぶりな電話。
由実果はわがままで自分勝手で上昇志向の権化のような、元恋人だった。
渋谷で会おうとの誘いを断ったその日、彼女は千葉の御宿で命を絶ったという。
しかし、彼女は自殺するような子では、決してなかった。
通夜の席で〝ぼく〟を罵倒してきた涼子とともに、由実果の死の真相を探る〝ぼく〟。
次第に明らかになる彼女のほんとうの姿、そして深まる涼子との関係。
切なくて、やるせない、ある暑い夏が、過ぎていく―


96年に中央公論社から刊行されたという、作者の代表作のひとつ。
10年ひと昔とはいうけど、やはり時代の流れを感じざるを得ない点は多い。
もう携帯は普通だったけど、いまほど生活を支配していなかったし、
舞台となる東京の情景も、どこか懐かしさを感じさせるような部分がある。
それでも、林檎の白い花を始めとする、さまざまな夏の花に彩られた物語世界は、
樋口有介独特の饒舌な文体で、瑞々しく、そして心地よく描かれていく。


主人公の〝ぼく〟が、とてもいい。
少女たちとの会話には、まるで三十男を思わせるようなこなれたスケベさも漂うが、
そのクールな受け答えには、あの世代特有の恥ずかしさに対する照れがかいま見える。
ドン・ウィンズロウの「ストリート・キッズ (創元推理文庫)」シリーズの主人公、ニール・ケアリーにも近いだろうか。
繊細なこころを、減らず口に隠し、若さゆえの気概で世界に立ち向かう。


たとえば由実果の遺体に対面した場面だ。
〝ぼくはしばらく、自分の中に湧きあがるはずの官女に耳を澄ましていたが、
 ざわざわとした不安がとおりすぎるだけで、説明できる感情は見当たらなかった。
 涙も、怒りも、無防備な感情移入も、腹立たしいほど感じない。
 ぼくが感じたのは、写真の由実果の目が表現しているものと同じ、客観的な悲しみだった。〟
メディアで垂れ流されるような、通り一遍の世俗的な感情ではなく、
戸惑いと迷い、そしてどこか醒めたような、不思議な感覚を持て余す。
下手な嗚咽より、むしろ遙かに悲しみと切なさが迫ってくる。


〝ぼく〟と再会する涼子や同級生の里美、蓮っ葉な梨花(例のタレントではない)…
夏の日に出逢う、少女たちとのちょっと甘酸っぱい感覚も、とても心地よい。
柚木草平シリーズと比べても、中年の図々しさがない分、そこらへんはとてもストレートだ。
ミステリ的なオチについては、多少なりとも、ミステリを読み込んだ人間なら、
かなり早い段階でピンとくるはずだろうが、それもさほど問題ではない。
ここに落ち着くだろうと思いつつ読んでいても、物語の味わいが色褪せることはないのだ。


柚木草平シリーズに惹かれて、創元推理文庫の復刊を追いかけてきたが、
「風少女」はシリーズ作品ではないので、いったんパスしてしまった。
しかし、こうやって「林檎の木の道」を読んでみると、やはり読み逃せないことに気づく。
柚木草平シリーズの復刊再開の前に、読んでおくことにしようと心に刻むのだった。


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林檎の木の道
林檎の木の道
posted with 簡単リンクくん at 2007. 4.19
樋口 有介著
東京創元社 (2007.4)
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