ラッタウット・ラープチャルーンサップ「観光 (ハヤカワepiブック・プラネット)」
〝人の絆はもろく、はかない。
しかし、それゆえに美しい―――〟
シカゴ生まれバンコック育ちのタイ系作家による7編。
〝色鮮やかなタイを舞台に恋、孤独、別れ、
家族を優しく綴る期待の新人作家による短編集〟
LAタイムズ、ワシントン・ポスト、ガーディアンなど、
英米有力紙から絶賛したという、評判の1冊である。
冒頭の「ガイジン」は、
ガイジンばかりのタイの島で、次々とアメリカ娘に惚れる〝ぼく〟の物語。
六月はドイツ人、七月はイタリア、フランス、イギリス、アメリカ、八月は日本人…
ガイジンによって潤され、ガイジンによって蹂躙される、タイの楽園。
母いわく「セックスと象だよ。あの人たちが求めているのはね」
そんな島に生まれた、アメリカ軍人との間に生まれたハーフの〝ぼく〟。
飼っている豚の名前は、クリント・イーストウッド。
アメリカに憧れ、島を訪れるアメリカ娘のひと夏限りのロマンスの相手を務める。
もう二度と恋しないと誓っても、また惚れてしまう、その切なさが泣かせる。
豚のクリントが醸し出す、何ともいえないペーソスあふれるラストが印象的だ。
「カフェ・ラブリーで」は、
兄に連れられて行った売春宿で11歳のぼくが垣間見た〝大人の世界〟
これもまた、周囲の世界に縛られた〝ぼく〟が切ない。
誕生日祝い、恋い焦がれたハンバーガーを口にした〝ぼく〟だったが、
その憧れのハンバーガーをいきなり戻してしまう。
〝なぜかわからないが、突然ぼくは、
できるだけ早くこれを食べてここから出たほうがいいと思った。
ぼくはもう、ちっともうれしくなかった。〟
実際こうした経験があるわけではないが、すごく伝わってくるエピソードである。
「徴兵の日」は
無二の親友ウィチュとともに出かけた徴兵抽選会の話。
親に徴兵逃れをお膳立てしてもらいながら、それをウィチュに言い出せない、
〝ぼく〟のこころの葛藤と、ウィチュの家族の悲哀がこころに迫る一編だ。
表題作の「観光」は、
失明しつつある母との、最後の旅に臨む〝ぼく〟の物語。
旅先は〝天国〟とも称される美しいリゾート地アンダマン諸島の最南端、コー・ルクマク。
〝観光よ。バンコックの駅で切符を買うと母が言った。ガイジンになるの。観光客になるのよ。
母と過ごす最後の夏だ。夏の終わりにはぼくは北の職業大学に行くつもりでいる。〟
光を失いつつある母に、後ろ髪を引かれつつも…、という切なさ。
アルマーニのサングラスにまつわるエピソードが何とも泣かせる。
「プリシラ」は、
金歯で埋めたカンボジア難民の娘、プリシラとの出会いを描く一編。
難民差別に遭遇し、それでも何もできない自分たちの無力感が、悲しく響く。
タイ人と結婚した息子のもとで晩年を過ごすアメリカ人を描く、
「こんなところで死にたくない」は、
欧米ではかなり評判のよかった一編だとか。
体の自由も利かず、異国で過ごす老年期、というのは、万国共通できっついかもしれない。
「闘鶏師」は、
闘鶏に負け続け、自らだけでなく家庭まで破滅をもたらす父の姿を見つめる娘の話。
これは、どうにもこの〝負け犬〟な父に呆れるばかりで、あまり感情移入できず。
こちらも万国共通で、こういうどうしようもないオトコというのはいるものだ、という印象だ。
以上7編。
多少微妙な部分も含みつつ、それでも、また読んでみたいな、と思わせる、
そんな余韻を残し、駆け抜ける7編といったところか。
ベストを挙げるなら「ガイジン」、次点が「観光」という感じだ。
どちらも思わず涙…、という感じで、各紙絶賛の惹句が頷ける。
タイの風景を思い浮かべながら、読むひととき、なかなかオツである。