ジョン・ル・カレ「ナイロビの蜂 上 (集英社文庫)」「ナイロビの蜂 下 (集英社文庫)」

mike-cat2006-07-14



先週末の出雲出張で、ちょっと夏バテになったらしく、
なかなか読み進まなかった同名映画の原作。
「テイラー・オブ・パナマ」や「ロシアハウス」など、
ル・カレ原作の映画は何本か観ているのだが、
スパイ小説、というのにはこれまでどうも縁がなく、
ル・カレの小説を読むのは実は初めてだったりする。


シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレスがメガホンを取り、
イングリッシュ・ペイシェント」のレイフ・ファインズ主演の映画は、
レイチェル・ワイズアカデミー賞助演女優賞を獲得するなど、話題を呼んだ。
僕自身、ことし上半期に観た映画の中では、文句なしのナンバー1だった。
http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20060517


ナイロビの高等弁務官事務所に赴任中の外交官、
ジャスティン・クエイルにある日に届けられた、妻テッサの死の報せ。
活動家として、現地で医療活動などに従事していたテッサは、
北部、スーダン国境を臨むトゥルカナ湖の湖畔で、惨殺された。
行動をともにしていた現地の医師との不倫の噂を聞きつけ、
現地の警察は、その後消息を絶った医師を犯人と見定め、捜査を開始する。
妻の活動には一切干渉しなかった〝熱心な園芸家〟クエイルだったが、
テッサの追っていた、巨大な陰謀を探るため、その足跡を追い始める−


サスペンスとしてのカラクリは、映画と同様、序盤で提示される。
テッサの死の裏にある、国際的な製薬会社をめぐる陰謀だ。
だが、映画では、失われたテッサの姿を追い求めるクエイルの姿を、
哀切極まりないロマンスとして描かれる傾向が強かったのだが、
原作小説では、ややミステリー色を濃いめに描き、物語を進めていく。


とはいえ、いわゆるフーダニット、ホワイダニット的要素は、
序盤で明らかにされているわけだから、
残る要素としては、どこの誰までが陰謀に加わっているのか、
製薬会社の巨大な陰謀とは、いったいどんなレベルの悪徳なのか、
という、いうならば〝ハウメニーピープルダニット〟、
もしくは〝ハウマッチダニット〟的な部分が、物語の縦軸となる。


そして、そのめくるめく陰謀の描写は、果てしなく濃厚だ。
一度映画で観てしまっているせいか、
それは読んでいてちょっとテンポが悪く感じられるほどだ。
ただ、その濃厚さこそ、一種のスパイ小説たる、この小説の味である。
単なるお人よしの園芸愛好家が、
じれったいまでの不器用さで謎に迫っていくその様は、
困惑、迷走といったさまざまな要素を、重層的に描いていく。


いい意味でも悪い意味でも純粋培養の〝紳士〟クエイルと、
その上司でテッサに黒い欲望の炎を燃やすサンディの、
思わず目を背けたくなるような俗物ぶりとの対比も面白い。
映画でもダニー・ヒューストン(「21グラム」などに出演。
姉はアンジェリカ・ヒューストン)が、好演していた登場人物だが、
よりその心情描写であったり、その妻の俗物ぶりなんかも描かれていて、
これがちょっとクドいくらいの、イヤなやつぶりを発揮してくれる。


ラストに関しても、原作は映画とだいぶ違う。
(というか、映画が原作を脚色しているんだが…)
事実関係そのものはあまり変わらない。
だが、映画の方がかなりロマンチックに、悲恋の果てを描いたのに対し、
小説は微妙に淡々と悲劇を描いているような、ビターな印象を受ける。
あくまで個人的な好みでいうと、これは映画の方がいいかも…


全体的な印象としては、映画は小説の要素をうまく刈り込み、
ロマンス部分にフォーカスして、うまいこと映画というメディアにまとめた印象だ。
こうして原作を読んでみて、あらためて思うのは、
原作小説、そして映画の脚色がいずれもクオリティの高い傑作であること。
映画にシビれまくって約2カ月、いい感じの追体験ができた気がする。


Amazon.co.jpナイロビの蜂〈上〉ナイロビの蜂〈下〉