TOHOシネマズなんばで「ブラック・ダリア」

mike-cat2006-10-14



〝世界一有名な死体、世界一忌まわしい謎。〟
アメリカ文学界の狂犬〟ジェイムズ・エルロイの、
傑作ノワールブラック・ダリア (文春文庫)」を、
アンタッチャブル」「スネーク・アイズ」の巨匠、
そして異才、ブライアン・デ・パルマが映画化!


主演は「ブラックホーク・ダウン」「シャンプー台の向こうに」のジョシュ・ハートネット
共演には「ザ・コア」「エリン・ブロコビッチ」「サンキュー・スモーキング」のアーロン・エッカート
ゴーストワールド」「ロスト・イン・トランスレーション」のスカーレット・ヨハンソン
ボーイズ・ドント・クライ」「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンク…。
この出演陣を向こうに回し、デ・パルマが、
あのエルロイのノワール世界をどこまでスクリーンで再現できるのか−。


1947年1月、ロサンゼルス市内の空き地で、若い女性の死体が見つかった。
死体の口はひき裂かれた上、胴体は腰で切断され、内臓をくりぬかれていた。
女優志望だった彼女を称して、人はこう呼んだ。〝ブラック・ダリア〟と−。
捜査に当たった、ボクサー出身のロサンゼルス市警(LAPD)の名コンビ、
バッキー・ブライカート=ハートネットと、リー・ブランチャード=エッカートは、
いつしか、ブラック・ダリアが垣間見たハリウッドの闇に吸い込まれていく。


率直にいうと、小説のあの衝撃には及ばない。
もちろん、小説を読んで内容を知っている以上、当たり前ではあるのだが、
それ以上に、内容がだいぶ絞り込まれている印象が強いせいだろうか。
あの多層に織り込まれたLAPDの暗部であったり、
ダリア、そして主人公たちににまつわる秘密の数々は、かなり削られている。
ストーリーの中心は、ブライカート(小説ではブライチャートだったが…)と、
ブランチャード、そしてケイ・レイク=ヨハンソンの三角関係と、
ブラック・ダリア事件の真相部分の2本立て、といった印象だ。
あのボリュームを2時間前後に仕立て上げる以上、
仕方のないことだが、やはり小説と比べると、多少もの足りない部分には感じてしまう。


だが、内容をうまく絞り込んだ分、スピード感とテンポ、
そして物語としての完成度では、映画版は小説に引けを取らないといってもいい。
特に、40年代の〝暗黒のLA〟を思わせる映像世界は、なかなかのもの。
デ・パルマということで、ちょっと心配する向きもあったであろう、
ファム・ファタール」「スネーク・アイズ」のような〝好き放題〟はない。
つまり、驚異の長回しだの、分割画面だの、といったトリッキーな技法はなし。
それでも、「アンタッチャブル」の冒頭を思い起こさせるような俯瞰ショットや、
凝りに凝ったアングル、そして焦らしに焦らす映像テクニックは、やはりデ・パルマ印だ。
印象的なのは、ある場面でフラッシュバックするダリアの死体。
カラスとともに現れるその死体は、ちょっと夢に出てきそうな、恐ろしい映像だった。


ヒラリー・スワンクが美人、という設定に微妙な違和感こそ残すものの、
ブライカート、ブランチャード、ケイの3人を始めに、LAPDの面々、
そしてダリアことベティ・ショートを演じたミア・カーシュナー(「エキゾチカ」)も上々といっていい。
ファイア&アイスと称される、ブランチャード=エッカートの無軌道ぶりや、
ブライカート=ハートネットの微妙な頼りなさなんかも、かなりハマっていたと思う。


期待が多すぎたせいだろうか、原作のファン的には100点満点とはいかない。
いかないまでも、商業映画ベースでの製作で、
よくぞこのクオリティで映画化した、と絶賛したい1本だと思う。
何でも、あの「セブン」ファイト・クラブ」のデヴィッド・フィンチャーが、
モノクロで3時間半の映画にするアイデアを持っていたらしいが、
それはそれでファンが満足するだろうけれど、興行的には壊滅するはずだ。
フィンチャー版も観てみたい気もするが、これはこれで満足、ということにしたい。
ああ、面白かったのに、何だか複雑な部分も残るのだった…(支離滅裂)