フィリップ・ゴーレイヴィッチ「ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実」「ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実」

mike-cat2006-02-21



わが家の本棚で長らく?積ん読?になってた1冊(上下巻で2冊だが)。
ようやく「ホテル・ルワンダ」を観ることができたので、ついに本を開く。
スティーヴン・キングの作品を思わせるおどろおどろしい表紙からは、
ホラーの佇まいを見せているが、れっきとしたルポルタージュである。
それは?ヴァーモント州よりも小さく、シカゴよりわずかに人口が少なく、
 隣りあうコンゴウガンダタンザニアにおしこごめられた?
中央アフリカの小国、ルワンダで起こった。
多数派フツ族による、少数派ツチ族への100万人ともいわれる大虐殺。
その諸悪の根源でありながら、当初は無視を決め込んだあげく、
重い腰を上げてからはよぶんな手出しばかりを続けた国連、そして国際社会への告発だ。


記事は最初、雑誌「ニューヨーカー」に掲載された。
筆者は、両親と祖父母がナチスの手を逃れ、米国に移民してきたユダヤ系。
その部分にさほどページが割かれているわけではないが、
人類史上に残るふたつの戦争犯罪が、ひとりのライターによってリンクする。


ホテル・ルワンダ」は、あくまで「アフリカのシンドラー」として、
ツチ族1300人弱を虐殺から匿ったホテル支配人ポールの視点で、
時間軸を虐殺(ジェノサイド)を事件前後に絞って、描いていたが、
こちらは、虐殺に至るまでのルワンダの歴史、
そして虐殺後も、さまざまな「後遺症」で苦しみ続けるルワンダの姿が描かれる。
読んでいるだけで胸が締めつけられ、
まったくの無関心だった自分へも含めて、どうしようもない憤りに駆られる。


ヨーロッパによって無理矢理に線引きされた植民地地図、
植民地政策の一環として、ベルギー人とカトリック教会によってもたらされた人種境界、
東西冷戦の中での軍事援助、冷戦崩壊後はおざなりの民主主義導入−
長年の対立がもたらした人種的対立は、ついに沸点を越えてしまうのだ。
あげくにミッテラン大統領のドラ息子による、ドラッグ輸入でかき回される。
虐殺が1959年以来繰り返され、この1回だけではないこと、
また?アフリカの野蛮人?が勝手に起こした、
取るに足らない事件ではないことが、明確に伝わってくる。


それでも、1994年の大虐殺が始まると、国際社会は無視を決め込んだ。
第二次世界大戦で、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺「ホロコースト」を経験し、
ジェノサイドを国際法上の犯罪であるとした、ジェノサイド条約があったにも関わらず。
ソマリアでの大失敗(映画「ブラックホーク・ダウン」で描かれた米レンジャー部隊虐殺)
の記憶も新しい米国政府は、ジェノサイドという言葉を使うことすらしなかった。
どうしてか? その言葉を使えば、事態に対して、責任が生じるから。


一方で、フランスは過去にしてきた投資の回収チャンスに血眼になる。
虐殺を阻む側である、ルワンダ愛国戦線(RPF)の反攻が成果を上げると、
「中立な」フランス軍の展開を行うべく、虐殺者側にまたも軍事援助を施す。
RPF反攻後、「難民」という名のもとにザイールへ逃げた虐殺者たちを助けるのである。


虐殺を看過していたばかりか、
さらに事態悪化の中で平和維持軍の縮小という愚策を執った国連は、
ザイールのゴマに作られた虐殺者フツ族による?難民キャンプ?を援助し、
さらにフツ族至上主義者が、逆襲に向け再武装するのを武装解除すらせず、見逃した。
援助は、虐殺の対象であったツチ族ではなく、犯罪者たるフツ族に渡っていたのだ。


大虐殺こそ収まっても、小さな殺戮はその後も続く。
だが、国際法廷は機能しない。
100万人ともいわれる殺戮者たちが裁かれることもないまま、
国際社会は、ルワンダ人に「もう忘れろ」と、不公平な和平を押しつける。
虐殺者がたとえ、裁かれたとしても、人道的な手段で裁かれるだけだ。
受刑者がスカンジナビア諸国で刑期を務める計画が決まると、RPFの一員が、こう嘆く。
「ジェノサイドの計画をたてた首謀者たちが、
 サーヴィス満点のスウェーデンの刑務所でテレビを見て余生を過ごす、
 というのは、我々が考える正義とは違う」


だが人々、子どもたちの脳裏にはその光景は焼きついたままなのだ。
親を、兄弟を、妻を、恋人をレイプされ、殺された人々に、何の補償があるわけでもない。
そして、中途半端な裁きと政策は、生存者の間にも亀裂を生じさせる。
生き残ったツチ族、1959年の虐殺で亡命したツチ族
虐殺に関わらなかったフツ族、?難民?キャンプから戻ってきたフツ族
未来に大きな遺恨を残したまま、ルワンダの時間は進んでいくのだ。
筆者のルワンダ人の友人の嘆きは、こうなる。
「小説はいい。終わりがあるから」
「『ジ・エンド』と書いてあるからね。すごくいい。すばらしい発明だ。
 我々にも物語があるが、『ジ・エンド』にはならない」
苦しみ、そして憎しみの連鎖を断ち切ることができるのは、いつの日か…


映画「ホテル・ルワンダ」以上に、
複雑過ぎて答えの出ない難問を突きつけ、本は終わりを告げる。
なぜこんなことが起こったのか、防ぐことはできなかったのか、
そんな疑問についても、徹底的な検証が行われているのだが、
やはり明快な答えは得ることができない。というか、出るわけがないのだ。
読み終えると、こころの中にどよんとした黒いものが残る。
息が詰まるような気分に陥り、どうしていいのか、本当にわからなくなる。
だが、読まなければよかった、という結論にはならない。
知らないよりは、ましである。
少なくとも、こういった事件を再発させる可能性を軽減する一助にはなるかもしれない。
自分に何ができるか、を考え出すと、
果てしない無力感に襲われるのも確かではあるのだけれど…

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