梅田OS劇場で「ランド・オブ・ザ・デッド」

mike-cat2005-08-27



ドーン・オブ・ザ・デッド」「28日後」「バイオハザード」などなど、
まことに華やかなりし、の近年のゾンビ映画なのだが、
そのカリスマ、ジョージ・A・ロメロ御大による真打ち登場、だ。


舞台はおなじみ人を喰うゾンビの大発生後の世界。
人々はゾンビから隔絶された居住区を構築し、食料調達のためゾンビがうろつくエリアを〝襲撃する〟。
特権階級は巨大タワーを独占し、ゾンビなど知らぬが仏で、かつての優雅な暮らしを再現。
汚れ仕事は傭兵に任せっきり、平民にはお手軽な娯楽を与えて、不満を抑えこむ。
人間の度重なる略奪と大量虐殺に怒ったゾンビたちが、ついに立ち上がった。


ゾンビが立ち上がる? と聞いて、違和感を覚える人も多いだろう。
それどころか、ゾンビたちは悲しみ、怒り、学習さえする。
そう、この映画は人間側の視点だけから描いたホラーではない。
もちろん、ゾンビとの壮絶な戦いがメインではあるのだが、
「害悪なゾンビを退治する」という単純な図式での理解は、まったくといって通用しない。
ゾンビの側にも理由はあるし、むしろ人間の側の身勝手さ、醜悪さの方が強調される。
クライマックスのあたりでは、ゾンビが人間をむさぼり食う場面に、快哉を叫んでしまいそうになるくらいだ。


「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」では挫折したカウンターカルチャーの再現を、
「ゾンビ」(「ドーン・オブ・ザ・デッド」のオリジナル)では消費社会への洗脳を、
死霊のえじき」では右傾化による軍事費増大がもたらした経済破綻を題材に、
社会的な視点を交えつつ、ぐっちょんぐっちょんのゾンビ描写をやってのけた御大。
今回も、思いっきり社会派ホラーを前面に押し出してくる。


序盤で人間による略奪&虐殺場面が描かれることで、
ロメロが語りたいのは、どうもイラク戦争のことらしい、ということに気づく。
ゾンビがはびこる世の中でも、傭兵を雇って優雅な暮らしを続ける特権階級は、
つまりブッシュを始めとするアメリカの特権階級と合致する。
イラクの歴史も文化もすべて、〝知らないから価値がない〟と、
アメリカ中心の価値観で斬り捨て、「どう野蛮人だからやっちまえ」的に、撃ち殺す。
でも、自分たちは安全なところで、のうのうと暮らしているあたり、見た通りのそのまんま。
何でも町山智浩氏のロメロへのインタビューによると、
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050618
デニス・ホッパー演じる、特権階級のボス、カウフマンは、
ブッシュとラムズフェルドの掛け合わせパロディらしい。
なるほど、そう聞いてみると、また映画の印象が味わい深くなる。


で、とても乱暴な言い方をしてしまうと、ゾンビがイラク人、もしくはイスラム勢力だ。
リドリー・スコットが「ブラックホーク・ダウン」で、
確信犯的にソマリア人をゾンビみたいに描いていたのを、さらにひねったやり方、といっていいかも。
自分たちの理解の範疇を超えるからといって、
相手を醜悪な怪物としてしか見ることができない、アメリカ中心的価値観への強烈な批判でもある。
あの「911」のテロを認めるつもりもないけど、このゾンビたちの蜂起を見るに、
アメリカによる様々な軍事行動がいかに一方的な理由に基づいているか、をあらためて感じさせられる。
ま、そのアメリカのイチの子分、日本人として、僕がどうこう言うのもヘンだけど。


で、ロメロによると、
特権階級に虐げられた住民が「不況で苦しむアメリカの労働者階級」
サイモン・ベイカー(「ザ・リング2」)演じる傭兵ライリーが
「ブッシュによる右傾化とテロに、板挟みにされるふつうのアメリカ人」だそうだ。
ううむ、まことに深い。


そんな強烈なメッセージの一方で、残虐描写もなかなかすごい。
人間の側による、ゾンビ虐殺シーンもかなり目を背ける場面が多いのだが、
やはりむさぼり食うシーンの激しさといったら、かなりとんでもない。
腕をストリングチーズみたいに割いて食べてみたり、
ヘソピアスを食いちぎってみたり、指を(フライドチキンのごとく)しゃぶってみたり、
腸を引きずり出して、かっ込んでみたり…
しかし、前述のようなメッセージがあるから、意外とイヤじゃない。
かなり語弊はあるのだが、
鼻持ちならない特権階級たちが、ゾンビに襲われてくシーンなんて、思わず「いいぞ! 喰われちまえ」なのだ。


で、最後に人間側の主人公、ライリーが、ゾンビの首領に向かってつぶやくひと言。
「彼らも行く先を探しているのさ」。
これがまた、たまらなく決まってる。この言葉にこそ、
相互理解や共存(もちろん限定付だが)、といったロメロ流の解答が示されているような気もする。


単純に娯楽映画として観れば「ドーン・オブ・ザ・デッド」には及ばない部分も多い。
何せ、走るゾンビってのはやっぱり革命的な衝撃だったし、
演出自体のスピード感も、ひたすらキャーキャー楽しむホラーとしての要素を追求していた。
しかし、このスタイルを追求した、様式美すら感じさせるようなゾンビ描写、
そして強烈なメッセージがもたらす、ズシンとくる歯応えを考えると、やはり格が違う、という感じだ。
観終わって、しばし放心…。
そして、しみじみとその余韻を楽しむ。
で、さすが御大、とひたすら感心しつつ、劇場を後にしたのだった。