九条はシネ・ヌーヴォで「ホテル・ルワンダ」

mike-cat2006-02-17



長い道のりだった。
昨年のアカデミー賞、主演男優賞でドン・チードル
ほかにも脚本賞助演女優賞の計3部門でノミネートされ、
「おっ! ドン・チードル主演作か」と、気になってから一年以上…
町山智浩氏のコラムで、その衝撃的な内容を知り…
さらにどうも日本公開がないらしい、とのニュースを知り…
そして公開を嘆願する署名活動に、希望の一票を投じた。


ルワンダでの虐殺を描いた、
ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
積ん読に待機させつつ、公開を待ち続ける日々。
(いや、勝手に読めばいいだけだが…)
ようやく日本公開が決まったかと思えば、やっぱり大阪は後回し。
まあ、映画人口、そして映画文化の浸透度を考えれば当たり前だが、
待ち遠しくって仕方がない中、新聞などにも紹介のコラムが掲載される。
焦れに焦れて、ようやくたどり着いた本編上映。
ライオンズ・ゲートフィルムの「LGF」のロゴだけで、何だかグッときてしまう始末となった。


舞台は1994年、中央アフリカの小国ルワンダの首都キガリ
植民地時代から続く、ツチ族と多数派フツ族の対立は、
かつて支配階級だったツチ族の反乱軍と政府による和平協定成立を前に、
危機的なまでに緊張感を高めていた。
フツ族民族派が対立を煽る中、突如起こった大統領の暗殺。
反乱軍のしわざと決めつけたフツ族が、民兵を中心に一気に蜂起する。
それは人類史上類を見ない、大量虐殺の幕開けだった。
フツ族穏健派のポールはベルギー資本の高級ホテル、ミル・コリンの支配人。
ツチ族の妻を持つポールは、
半ばいきががりで匿うことになったツチ族の隣人たちとともにホテルへ逃げ込む。
民兵が手を出しにくい外資系ホテルには、次々とツチ族が避難する。
ポールは、なかば行きがかりながらも、人々を救う道を選ぶ。
これは、1286人の命を救った、「アフリカのシンドラー」の物語−。


ナチスドイツによる、ホロコーストから多くのユダヤ人を救った
オスカー・シンドラーとは、味わい深い共通点がある。
最初から、崇高な信念に従って、人命救助に努めたのではない、という点だ。
オスカー・シンドラーも、あやしい事業主が最初は行きがかりから、人道援助を始める。
この物語のポール・ルセサバギナも、あくまで最初は家族を救うために尽力する。
しかし、目の前で起こっている虐殺を看過できず、使命に目覚める。


ふたりの手口も、なかなか近しいものがある。
マッチョに雄々しく敵に立ちふさがるようなことはしない。
そう、スーパーヒーローではない。
第一、そんなことでナチスや血に飢えた民兵の前ではひとたまりもない。
まずは口八丁手八丁、時にはわいろも使う。
無差別な虐殺という、絶対的な状況の中では、生き残ることこそすべてに優先される。
そんな生身の人間ならではの、〝戦い〟で虐殺を生き抜くのだ。


とはいえ、ふたつの映画がまったく同じかといえば、もちろん違う。
この作品の〝敵〟はきのうまでの隣人。
ナチスという絶対悪が敵だった「シンドラーのリスト」とは、大きく異なる。
野獣と化した民兵はともかく、いわゆるフツ族の隣人にも言い分はあるのだ。
かつての植民地支配において、
欧米列強に取り入って、支配階級についたのはツチ族だ。
ツチ族は上品、フツ族は…、的な差別思想も、対立の一因となっていた。
(ちなみに、「〜族」は現在、差別用語となっているそうだが、
 ほかに書きようがないので、ここではいったん映画に合わせる。)
だから、映画の最後でツチ族の反攻が描かれても、救いはあまりない。
ポールが匿った1286人が生き延びても、ルワンダには決して癒えることのない傷を残すのだ。
まあ、もちろんユダヤ人の苦闘の歴史はその後も続いているから、
この点でもふたつの映画に共通点があるといえば、あるのだが…


映画の視点は、ポールの一人称の視点で描かれる。
人類史上最悪の虐殺を描くとともに、
その中で人の道を貫いた、ひとりの男の戦いを描いてもいるのだ。
虐殺はいけないよ(当たり前だが)、
という他人事としての、道徳的なご意見だけではなく、
わかっていたってどうにもならない状況においても、
本来無力な個人にできることだってあるという視点がむしろ強い。
それは〝野蛮なアフリカ〟で起こる出来事でなく、
誰にでも起こり得る不条理な出来事である、そんな主張が聞こえてくる。


かといって、メッセージ性だけの映画ではない。
ブギーナイツ」「トラフィック」「オーシャンズ11」などなど、
つねに強烈な印象を残す名優ドン・チードルの演技が、これまた素晴らしい。
まさかの時に備え、家族を守るべく有力者に付け届けをし続けたのに、
ここ一番になったら、誰も頼りにできない、途方に暮れるような状況で、
自分を見失いそうになりながら、懸命の戦いを続けるポール。
信念と当惑、鋼の意志と不安による揺らぎを交え、不条理に悲しみ、慟哭する姿…
これほど、こころを打つ演技、というのもなかなかない。


ツチ族の妻を演じ、助演女優賞にノミネートされたソフィー・オコネドーも、
凜とした強さを演じきり、作品に力強い説得力を与える。
家族を救うか、ひとびとを救うか。
時に矛盾を内包する二者択一を迫られる中、複雑な葛藤を抱え込む妻の姿が涙を誘う。
無関心な国際社会を象徴する、無力な国連平和維持軍の大佐を演じたニック・ノルティもいい。
相手から攻撃を受けない限り、発砲すら許されない軍隊に対する苦悩も抱え込み、
無力感に苛まれる姿が、これまた胸を打つ。


無力感という意味では、ホアキン・フェニックス演じるTVジャーナリストも、
この虐殺を目の当たりにした第三者の葛藤をよく表している。
外国人はホテルの中に留まることを義務付けられている。
だが、何か恐ろしいことが起こっている壁の外にあえて踏み出す。
しかし、最終的にはひとりの命も救えないまま、海外退去を強いられる。
ホテルを去る際のやるせない表情は、哀しくてとても正視に耐えない。


骨太の作品の監督・脚本を担当したのはテリー・ジョージ
ダニエル・デイ・ルイスピート・ポスルスウェイト主演で、
北アイルランド、IRAの闘士とその父の姿を描いた「父の祈りを」の脚本家だ。
テクニカルな手腕と、確かなメッセージ性を兼ね備えた映画作りは、見事のひとことに尽きる。


映画は、深い感動という単純な言葉では割り切れない、複雑な余韻を残す。
ポールの勇気にただただ感銘を受けつつも、
映画を観るまではリアルな事件として認識できていなかった、
という、国際社会同様の自らの無関心に自己嫌悪を覚えてみたり、
恐ろしい事件は日本でだって起こり得ることだと、戦慄を覚えたり…
「よかった、よかった。いい映画」ではとても消化しきれない作品だ。
ひとことで言うなら、圧倒的。手垢のついた表現だが、まさに魂を揺さぶる一本だった。