H.F.セイント「透明人間の告白〈上〉 (新潮文庫)」「透明人間の告白〈下〉 (新潮文庫)」。

mike-cat2005-08-19



本の雑誌」が選ぶ「30年間のベスト30」の1位。
ジョン・カーペンター監督、チェヴィー・チェイス主演で映画化された
透明人間 [DVD]」(1992)はビデオで観た記憶こそあるが、
正直なところ、あまり強い印象は残っていない。
その影響もあってか、原作を読む機会も特別なかった。
それに絶版同様らしいので、書店店頭で見かけることもなかったのだ。
しかし、この「本の雑誌」のベスト発表に合わせ、
新潮社が増刷をかけてくれたらしい。まことにありがたい話。
本の雑誌」発売の2、3日後には、そこら中の書店で平積みされていた。


透明人間といえば、H・G・ウェルズというのは基本中の基本。
だが、個人的にはポール・ヴァーホーヴェンの監督作「インビジブル」が忘れられない。
インビジブル コレクターズ・エディション [DVD]
〝オトコが透明人間になったら、ナニをするか〟
この命題に、これほど真っすぐに、というか、何のひねりもなく取り組んだ作品はないだろう。
ナニをするかって、のぞきだ。悪戯だ(最終的にはレイプに至るのだが…)。
主演のケヴィン・ベーコンは、
「俳優のキャリアは大丈夫なのか?」とこちらが心配になるくらい、
オトコとして当然想像のつく、はしたない行動に終始する。
自分が実際透明人間になったら、と胸に手を当てて考えると、
ずっとのぞきに終始するかどうかはともかく、それを〝まったく〟しない自信は正直なとこない。
そういう意味でヴァーホーヴェンは、
きれいごとじゃない、リアルな「透明人間映画」を作ったともいえる。


もちろん、この作品にも〝エロ〟はある。
それは欠かせない、というより避けては通れない部分であると思う。
だが、この作品はそれ以外の部分でも、
誰もが一度は描く〝透明人間への憧憬〟を真面目に検証した、実験的な小説でもあるのだ。
そういえば、先日読んだ乾くるみリピート」も、題材はタイムトラベルと違えど、
ある架空の設定を真面目に論じあげ、検証していく、遊びの効いた小説だった。
解説によると、見てきたような嘘を楽しむ、こうした趣向の小説は、
米国文学では伝統的な手法で〝トール・ストーリー(tall story)〟といわれるらしい。
何でトール、なのかはよくわからないけど、なるほどね、と理解したふりをしてみる。


主人公はウォール・ストリート証券アナリスト、ニック・ハロウェイ。
ニックは証券情報の獲得と、
恋人で「ニューヨーク・タイムズ」記者のアン・エプスタインのデートを兼ね、
ニュージャージーの「マイクロ・マグネティック社」を訪れる。
そこでは、革命的な発明がなされ、その記者発表が予定されていた。
しかし、アンが連れ込んだ環境団体によるサボタージュで、
装置はオーバーロード、爆発事故が起きてしまう。
事故に巻き込まれたニックが次に目を覚ました時、身体は透明になっていた。
想像を絶する状況に戸惑うニック。
そして、その存在に気づいた政府の諜報機関の手は、そこまで迫っていた…


ストーリーは、意外と単純だ。
透明人間になったニックが、諜報機関からひたすら逃げ続ける。
だが、その単純なストーリーにこそ、〝もし、透明人間になったら〟のディテイルを追求する余地がある。
そして、そのディテイルたるや、なかなかトホホな部分が多いのだ。
透明人間になったら、あれやこれやし放題♪ のはずが、そうでもない。
好きな時に透明になったり、戻ったり、というのなら、確かにそうだ。
しかし、否応なしに、常に透明になってしまった人間は、そうはいかない。
その、透明人間ならでは、の悲哀の描写が、この小説の真髄でもあるのだ。


まずは、透明人間になったことに気づく、その瞬間だ。
何がなんだか、わからない。
もちろん、パニックに陥りそうになる。
〝とにかく、なんとか落ち着きをとりもどして、自分の置かれている状況を見きわめなければ。
 精神を集中しようとして、両目をつぶった。
 ところが、なんの変化もない。目をあいているときと同じく、すべてが鮮明に見えるのだ―
 どんなにきつく目をつぶっても。どうなってるんだ、いったい。〟
そう、想像はつくかと思うけど、まぶただって透明なのだ。
この着眼点、それこそコロンブスの卵だが、そんな悩みがあろうとは、とひたすら感心させられる。



透明であることの不都合は、もちろん眠れないだけじゃない。
周囲の人に認知されない、ということの恐ろしさも、こってりと描写される。
〝こちらの存在にまったく気づかない人々の群れに接近してゆくと、
 自分がいかに異様な人間か、いかに疎外された存在かを、いやでも気づかされてしまう。
 周囲の人間がいつこちらにぶつかってくるかもわからないし、
 いきなり車をスタートさせて突っ込んでくるかもわからないから、
 僕は油断なく周囲に目を配りながら道路の中央を歩いていった。
 すこしずつわかってきたのだけれど、
 こうしてほかの人間たちのあいだにまじっていると、一瞬たりとも気が抜けないのである。〟


そういえば、梅田の地下街なんか特にそうだが(東京はそうひどくないと思う)、
雑踏では、ほかの人が視界に入っていたって、平気でぶつかってくるのだ。
最近はこちらだけわざわざよけるのもバカバカしいので、
こちらも平気で弾き飛ばして歩いているんだが(これはもしかして同化…)、
これが見えないとなったら、小説を読むまでもなく、恐ろしいのひとことに尽きる。
衝突が多少なりともあらかじめ認知されていればともかく、
まったく予想すらできないとあれば、ぶつかった方だって相当にショックが大きいのだ。



自宅にたどり着いてすら、ニックは新しい衝撃に打ち震える。
ろくに食事も摂っていなかったニックは、ようやくポークとビール、アイスクリームを流し込む。
もろもろを咀嚼し、飲み込む。そして、シャツの汚れらしきものに気づく。
〝汚れは……いや、それは汚れではなかった。
 僕はなにかをこぼしたわけではなかったのである。
 本来なにも見えないはずの空中に、一筋のどろどろした液体が下降してゆく。
 黄色と茶色がまざり合ったような液体。
 ムーシュー・ポークとコーヒー・アイスクリームとビールの混合物。
 そう、僕は透明な食道に、はっきりと目に見える、醜悪な色の食べ物を流し込んでしまったのだ〟
透明な管にグチャグチャの食べ物を注ぎ込んでいる状態。
つまり、食べ物を食べると、透明人間の透明性が、非常に中途半端に脅かされるのだ。
そう聞くと、じゃあ消化された後はどうなっていくのか、
という問題も生じるが、そこらへんはご想像にお任せしたい。まずは読んでのお楽しみ。
あまり、奇っ怪な想像はしないのが、自分のため、とは申し添えておきたい。


そんなこんなで、困った状況に陥ったニックの悪戦苦闘ぶりが念入りに描写されていく。
こういう風にしたら、状況も改善できそうじゃない?、
とか思いつくアイデアはたいていのところ、検証されていくので、
いろいろなことを考えながら読んでいくと、非常におもしろい一冊。
僕の生涯ベスト1とか、そういうことにはならないが、
なるほど、30年のベスト1、というのはひとつの意見として納得できる気がする。
もちろん、もっと色っぽい話があっても…、という部分は感じるが、
それはそれ、「インビジブル」を観て、トホホと笑うか、
ポルノ編みたいな形の小説を探していけばいいだけ、の話。
まずは、このシャレの効いた思考実験を、存分に楽しむのが、ベストの選択だと思う。