宮部みゆき「楽園〈上〉」「楽園 下」

mike-cat2007-08-05



〝「模倣犯」から9年―前畑滋子 再び事件の渦中に!〟
宮部みゆき待望の最新作は、
産経新聞での連載をまとめた、あの話題作の続編だ。
〝自宅の床下で16年間眠り続けた少女の死体。
 その死体を“透視”した少年の交通事故死。
 親と子をめぐる謎に満ちた物語が幕を開ける―〟
連続誘拐殺人事件で深手を負った前畑滋子が、
新たに追いかけるのは、またも暗い闇を抱えた人間の軌跡…


若い女性が次々と犠牲となった連続誘拐殺人から9年―
事件解決で重要な役目を果たしたルポライターの前畑滋子だが、
こころに深いダメージを負い、事件記者からは手を引いていた。
現在はフリーペーパーでライターを務める滋子のもとに、
萩谷敏子という、50代の朴訥な女性が訪ねてくる。
40を過ぎて授かった一人息子の等を、交通事故で失った敏子は、
亡き息子が書いた一枚の絵を滋子に差し出した。
それは、等の死後に発覚した、ある殺人事件の様子を描いていた。
北千住で火事の焼け跡から見つかった死体。
それは16年もの昔に、両親によって殺され、埋められた土井崎茜だった。


映画化もされるなど話題となった「模倣犯」だが、
実は個人的にはあまり好きな作品ではない。
宮部みゆきの現代物では、個人的にベストと思っている、
火車 (新潮文庫)」「理由 (新潮文庫)」なんかと比べると、
事件の過剰な陰惨さや、犯人の稚拙さ、矮小さがどうしても性に合わなかったのだ。
陰惨さも、チンケな犯人像もおそらく、
犯罪を悪戯に美化したり、犯人をヒロイックにとらえたり、ということを防ぐために、
作者自身があえてそう描いたのだろう、ということは想像はできるのだ。
だが、そんな事件の割り切れなさの一方で、
小説としての仕掛けはかなりアクロバティックにも思えた。
だから、読んでいてどうにも違和感がぬぐい切れなかったのである。


今回の作品にも、そうした微妙な部分は感じられる。
スーパーナチュラルな要素の取り扱いは、ちょっとだまし討ち的にも思えるし、
ミステリー的な仕掛けにも、少々反則ともとれる部分が見えてしまう。
しかし、もちろんこの小説の持ち味はそこらへんとは別のところにある。
稀代のストーリーテラーたる、宮部みゆきが転がす物語の面白さ、
そして、繊細に描写される、登場人物たちのこころの動きにこそ、味がある。


事件を通して描かれるのは、
存在しない楽園を追い求める、登場人物たちの切ない心情。
〝あらかじめ失われたすべての楽園と、
 それを取り戻すために支払われるすべての代償〟
実の親による殺人死体遺棄事件に隠された、あまりに哀しい選択。
宿命的に原罪を背負った人間が、懸命に生きる様が胸を打つ。


そして、作品は、「模倣犯」の事件で心に深い傷を負い、
渦中にあったルポライターにも関わらず、
著作を残すことができなかった滋子の再生の物語でもある。
〝一時は被害者の側に、また一時は殺人者の側に、
 最後には告発者の側に立って深く関わり、
 事件の終息に立ち会うことができたのだが、それと引き換えに、
 容易に立ち直ることのできないダメージを負ってしまったのだった。〟


「喪の仕事」として、9年ぶりに新たな事件に取り組んだ滋子だが、
再び傷つくことを恐れずに、踏み込んでいくのは、やはり難しかった。
事件は滋子だけでなく、さまざまな人に見えない傷を残している。
滋子や秋津刑事だけでなく、当時女子高生だった野本刑事…
そんな人々が、さまざまな葛藤を抱えつつ、
もう一度あの事件と向き合うまでの描写は、
宮部みゆきらしい感情の機微にあふれ、これだけで読み応えは十分である。


息子を失った萩谷敏子をめぐる、優しさにあふれたエピソードも効いている。
小学生のレベルを遙かに凌駕し、
天性のセンスを感じさせる絵を描いていた亡き息子の等が、
生前は恥ずかしがって飾ることがなかった絵が登場する場面。
いまも絵を飾らないでいる敏子に、滋子が思いを馳せる。


〝敏子にとっては、等はまだここにいるのだろう。
 ともに暮らし、毎日話しているのだ。
 だから敏子には、彼が恥ずかしがるようなことはできない。
 いつか、敏子が等のこの絵を壁に飾り、
 しみじみと懐かしむような時は来るのだろうか。
 これを「等の遺したもの」として愛でることのできる時は。〟
こちらも宮部みゆきならでは、の繊細さがグイグイとこころに迫ってくる。


事件に対する割り切れない思いは、やはり作品そのものの余韻でもある。
ただ、「模倣犯」と比べて、その割り切れなさには、どこか救いがある気がする。
もちろん「模倣犯」にも救いは描かれていたと承知しているが、
その割り切れなさと救いのさじ加減が、こちらの作品はだいぶ性に合う。
火車」「理由」には及ばないが、読ませる作品であることは間違いないと思う。
もちろん、ほかの作者ならもっともっと、絶賛してもいいのだが、
もちろん、宮部作品への期待度、という高い高いハードルを考慮した上で、
こうした表現をしていることは含み置いていただきたいのだが…


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