宮部みゆき「孤宿の人 上」「孤宿の人 下」

mike-cat2005-07-25



上巻のオビが〝新境地を拓く傑作の誕生!〟
下巻のオビが〝心を揺さぶる感動巨編!〟
こういう触れ込みの本は、ちょっと気の利いた書店にいけば、
軽く100冊は簡単に見つけることができるんだが、
その中身がその触れ込み通りか、というと、かなりあやしいことになる。
しかし、この本の触れ込みに間違いはない。
JARO(日本広告審査機構)のお墨付きをつけてもいい、こころを揺さぶる傑作、だ。
宮部みゆきの時代長編だと「ぼんくら(上) (講談社文庫)」「ぼんくら(下) (講談社文庫)
のシリーズがやはり代表作ということになるだろうが、
この作品も、それらに勝るとも劣らない、代表作といっていいと思う。
現代物も含めた個人的ベストは「火車 (新潮文庫)」と「理由 (新潮文庫)」だけど、
それらに近いレベルの、ズン、ズンとくる読み応えがあった。


四国は讃岐、丸海藩。
江戸の建具商「萬屋」の女中部屋で生まれた少女が、
親と死に別れ、あちこちをたらい回しにされたあげく、
丸海藩の医事を司る〝匙〟の井上家に流れ着いた。
阿呆の「ほう」と名付けられ、犬の子のように放置されたほうだったが、
井上家の長女・琴江に出逢い、生まれて初めて愛情に包まれる。
一方、漁師町で生まれ、女だてらに〝引手〟を目指す宇佐も、
漁師だった父を時化で失い、母も早くに亡くした天涯孤独の身。
物語は、このふたりの少女を軸に、展開していく。
金比羅大権現さまのお社に近い丸海藩に、
超大物罪人が流刑に処されることになり、藩は大騒ぎの様相を呈す。
かつては優れた勘定奉行だった加賀は、乱心のあげく、妻子を斬り殺した悪鬼悪霊。
不穏な空気が流れる中、ほうの身近でも謎の毒死事件が起こったのだった。


悪鬼悪霊の到来と、立て続けに起こる怪事件の謎を追って、
ひとびとのこころが乱れていく様は、とてもリアルで、真に迫る。
悪鬼に怯え、うわさに惑わされ、自分を見失っていく。
一方、それに乗じて、私利私欲に走る輩も、次々と現れる。
ひとの世の哀しき理、とでもいえばいいのか。
その、滑稽なまでの愚かしさが、哀切を誘う。


そんな中、物語の救いとなるのが、ほうの純粋な魂、そして宇佐の真っすぐな気性だ。
学のない者、社会的立場の弱い者が正しい目を持っている、というのは、
とてもステレオタイプのキャラクター設定ではあるが、イヤらしさはない。
ていねいに、ていねいにほうや宇佐のこころの動きを描きあげる。
そして、ほうや宇佐を純粋な鏡のように描くことで、
ふたりを取り巻く人たちのこころの美しさ、醜さ、複雑なこころの動きを、映し出す。


こうしたさじ加減において、宮部みゆきのうまさと凄さは、
誰もが承知しているところだろうが、この作品においてはまさにそれが発揮されている。
もともと僕は、このテの人情話には滅法弱いのだが、
ひとの弱さ、哀しさと対になった、こころの温かさ、強さみたいなのを描かれてしまうと、もうダメ。
ほんの序盤から、涙なしには読めないモードに入ってしまった。


ほうの心情を描いたこの一節が忘れられない。
ほうが、早起きが好きになった理由、だ。
〝夜明け前の静けさが心地よかった。皆はまだ寝ている。
 だから誰に怒鳴られることも、邪魔にされることも、意地悪されることもない。
 追い立てられて働かされる時まで、まだ間がある。
 静寂のなかで、家のなかのすべてが、ほうを見守ってくれているような気がした。
 やがて起き出してくる大人たちは、ほうを邪見に扱う萬屋の人たちではなく、
 ほうの知らぬ、しかしほうを大事にしてくれるに違いない、
 優しい父母たちであるような気分にもなった。
 無論、それは錯覚だ。だがあのころのほうには、錯覚でも慰めになった。
 こそりとも音のせぬひとときは、ほうの貴重な安らぎのときでもあった。
 静けさが深ければ深いほど、ほうの心はゆるくほどけた。〟
もう、やるせなくって切なくって、どうにもならない感じだ。
何で、10歳にもならないようなこどもが、こんな想いをせにゃならんのだ、と。


しかし、丸海藩すべてを巻き込んだ大騒動のなかで、
ほうはさまざまなひとと出逢い、成長し、徐々にこころの平安を見いだしていく。
その様たるや、まごう事なき〝感動〟そのものだ。
そこに描かれる一連のできごとは、甘さよりもはるかに苦みが強い。
正直、読んでいるのが辛い面も否定はできない。
それでも、物語の最後で、ほうがたどり着いた心境に、強い感動を覚える。
ラストのあたりは、涙ざざ漏れだ。人前で読んでいなかったことに、こころの底から安堵を覚える。


とはいえ、ミステリー仕立ての展開も、それに負けず劣らず読ませる。
地場の神様への信仰と掛け合わせ、恐怖の源を探っていく流れは、
これだけでもごはん3杯食べられるぐらいの、豪華なおかずだ。
何でこんな表現するかというと、いまおなかが減っただけだからだが。
悪鬼悪霊になった加賀が登場する、後半の展開が特に秀逸だ。
何が人を悪鬼悪霊たらしめるのか、それは現代にも共通の問い掛けとなる。
読み終えてこころに残る、その深い味わいは、
ほうの成長を見守った感動とはまた違う、複雑な余韻を残す。


読み終えると、しばし放心状態となる。
次に読む本の選択が、まことに難しくなりそうな予感。
物語に対するさらなる渇望が湧いてくる一方で、心地よい疲労や、余韻を壊したくない。
まったく別のテイストのものを選ぶか、それともまた時代物か…
おもしろい本を読んだら読んだで、悩みは尽きない。
ま、それが楽しくて仕方ないんだから、うれしい悲鳴には間違いないのだけれど。