宮部みゆき「孤宿の人 上」「孤宿の人 下」
上巻のオビが〝新境地を拓く傑作の誕生!〟
下巻のオビが〝心を揺さぶる感動巨編!〟
こういう触れ込みの本は、ちょっと気の利いた書店にいけば、
軽く100冊は簡単に見つけることができるんだが、
その中身がその触れ込み通りか、というと、かなりあやしいことになる。
しかし、この本の触れ込みに間違いはない。
JARO(日本広告審査機構)のお墨付きをつけてもいい、こころを揺さぶる傑作、だ。
宮部みゆきの時代長編だと「ぼんくら(上) (講談社文庫)」「ぼんくら(下) (講談社文庫)」
のシリーズがやはり代表作ということになるだろうが、
この作品も、それらに勝るとも劣らない、代表作といっていいと思う。
現代物も含めた個人的ベストは「火車 (新潮文庫)」と「理由 (新潮文庫)」だけど、
それらに近いレベルの、ズン、ズンとくる読み応えがあった。
四国は讃岐、丸海藩。
江戸の建具商「萬屋」の女中部屋で生まれた少女が、
親と死に別れ、あちこちをたらい回しにされたあげく、
丸海藩の医事を司る〝匙〟の井上家に流れ着いた。
阿呆の「ほう」と名付けられ、犬の子のように放置されたほうだったが、
井上家の長女・琴江に出逢い、生まれて初めて愛情に包まれる。
一方、漁師町で生まれ、女だてらに〝引手〟を目指す宇佐も、
漁師だった父を時化で失い、母も早くに亡くした天涯孤独の身。
物語は、このふたりの少女を軸に、展開していく。
金比羅大権現さまのお社に近い丸海藩に、
超大物罪人が流刑に処されることになり、藩は大騒ぎの様相を呈す。
かつては優れた勘定奉行だった加賀は、乱心のあげく、妻子を斬り殺した悪鬼悪霊。
不穏な空気が流れる中、ほうの身近でも謎の毒死事件が起こったのだった。
悪鬼悪霊の到来と、立て続けに起こる怪事件の謎を追って、
ひとびとのこころが乱れていく様は、とてもリアルで、真に迫る。
悪鬼に怯え、うわさに惑わされ、自分を見失っていく。
一方、それに乗じて、私利私欲に走る輩も、次々と現れる。
ひとの世の哀しき理、とでもいえばいいのか。
その、滑稽なまでの愚かしさが、哀切を誘う。
そんな中、物語の救いとなるのが、ほうの純粋な魂、そして宇佐の真っすぐな気性だ。
学のない者、社会的立場の弱い者が正しい目を持っている、というのは、
とてもステレオタイプのキャラクター設定ではあるが、イヤらしさはない。
ていねいに、ていねいにほうや宇佐のこころの動きを描きあげる。
そして、ほうや宇佐を純粋な鏡のように描くことで、
ふたりを取り巻く人たちのこころの美しさ、醜さ、複雑なこころの動きを、映し出す。
こうしたさじ加減において、宮部みゆきのうまさと凄さは、
誰もが承知しているところだろうが、この作品においてはまさにそれが発揮されている。
もともと僕は、このテの人情話には滅法弱いのだが、
ひとの弱さ、哀しさと対になった、こころの温かさ、強さみたいなのを描かれてしまうと、もうダメ。
ほんの序盤から、涙なしには読めないモードに入ってしまった。
ほうの心情を描いたこの一節が忘れられない。
ほうが、早起きが好きになった理由、だ。
〝夜明け前の静けさが心地よかった。皆はまだ寝ている。
だから誰に怒鳴られることも、邪魔にされることも、意地悪されることもない。
追い立てられて働かされる時まで、まだ間がある。
静寂のなかで、家のなかのすべてが、ほうを見守ってくれているような気がした。
やがて起き出してくる大人たちは、ほうを邪見に扱う萬屋の人たちではなく、
ほうの知らぬ、しかしほうを大事にしてくれるに違いない、
優しい父母たちであるような気分にもなった。
無論、それは錯覚だ。だがあのころのほうには、錯覚でも慰めになった。
こそりとも音のせぬひとときは、ほうの貴重な安らぎのときでもあった。
静けさが深ければ深いほど、ほうの心はゆるくほどけた。〟
もう、やるせなくって切なくって、どうにもならない感じだ。
何で、10歳にもならないようなこどもが、こんな想いをせにゃならんのだ、と。
しかし、丸海藩すべてを巻き込んだ大騒動のなかで、
ほうはさまざまなひとと出逢い、成長し、徐々にこころの平安を見いだしていく。
その様たるや、まごう事なき〝感動〟そのものだ。
そこに描かれる一連のできごとは、甘さよりもはるかに苦みが強い。
正直、読んでいるのが辛い面も否定はできない。
それでも、物語の最後で、ほうがたどり着いた心境に、強い感動を覚える。
ラストのあたりは、涙ざざ漏れだ。人前で読んでいなかったことに、こころの底から安堵を覚える。
とはいえ、ミステリー仕立ての展開も、それに負けず劣らず読ませる。
地場の神様への信仰と掛け合わせ、恐怖の源を探っていく流れは、
これだけでもごはん3杯食べられるぐらいの、豪華なおかずだ。
何でこんな表現するかというと、いまおなかが減っただけだからだが。
悪鬼悪霊になった加賀が登場する、後半の展開が特に秀逸だ。
何が人を悪鬼悪霊たらしめるのか、それは現代にも共通の問い掛けとなる。
読み終えてこころに残る、その深い味わいは、
ほうの成長を見守った感動とはまた違う、複雑な余韻を残す。
読み終えると、しばし放心状態となる。
次に読む本の選択が、まことに難しくなりそうな予感。
物語に対するさらなる渇望が湧いてくる一方で、心地よい疲労や、余韻を壊したくない。
まったく別のテイストのものを選ぶか、それともまた時代物か…
おもしろい本を読んだら読んだで、悩みは尽きない。
ま、それが楽しくて仕方ないんだから、うれしい悲鳴には間違いないのだけれど。