伊坂幸太郎「死神の精度」

mike-cat2005-07-24



いつかは読もうと思ってたけど、どうにも引っかかりがあった。
伊坂幸太郎の本、買ったのは2冊目、読むのは1冊目、だ。


引っかかり、というのは「重力ピエロ」のオビにさかのぼる。
正確な字句は覚えていないが「小説、まだまだいけるじゃん」だったと思う。
目にした時、率直にこう思った。
「まだまだ」って、いつから小説は〝イケてなくなった〟のだね。
誰が、誰に向かってそういう、勝手な感想を述べてるんだね。
「いけるじゃん」って、その惹句自体イケてないのではないかね。
もちろん、キャッチコピーに目くじら立てる方が、大人げないことは承知している。
でも、勝手に〝小説がイケてない〟ような物言い、非常に引っかかった。


勝手に「最近の」をつけ加えるが、たいてい「最近の〜は面白くない」という場合、
〜には映画、小説、音楽などが当てはめられると思うのだが、
こういうことを軽々しく口にするのは、たいてい(個人的な見解ではあるけど)、
その〜に最近接していないヒト、もしくはネガティブな結論ありきで接しているヒトだ。
このオビを読んだ時、僕には
「最近の小説は面白くなかったけど、これは違うよ」、というメッセージに読めた。
それはそれで、そういうキャッチコピーの手法があるのは承知しているが、
それを編集者が、オビで平然と言い放つって手法は、いただけない。
おまけに、〝いけるじゃん〟だ。センスもない。
で、こういう編集者が関与した小説、意地でも読みたくない、と思ってしまった。
実際、題材的な部分でも、微妙に引っかかりがあったのも確かだが。


ただ、それで話題の伊坂幸太郎を無視するのも何なので、
手始めに「オーデュボンの祈り (新潮文庫)」を読んでみよう、ということで買ってみた。
だが、読み始めた時の体調などなど、あまり好調じゃなかったせいもあってか、
あのとっつきにくい文体が、まったく文字が頭の中に入ってこなかった。
で、とりあえず長きにわたっての(別にそう長くないが)保留状態を続けてきたのだ。


しかし、もうそろそろ読んでおかねば、いかんのではないか、と。
いいかげん、このブランド志向も反省すべきだが、
文藝春秋刊なら、作者の味は残しつつ、直すべきは直す、という編集者もいよう、と。
そういうわけで「死神の精度」、読んでみることにした。
でも、ちなみに直木賞獲ってたら、(勝手に)もっと意地になって、読んでなかったろうな…


前置きがとても長くなったが、いよいよ本題に移る。
オビは〝俺が仕事をするといつも雨が降るんだ
 クールでちょっとズレてる死神が出会った6つの物語〟


主人公、千葉(仮名)は、死神だ。
といっても、いわゆるドクロに大ガマ、のあれじゃない。
死神の〝機関〟の調査員。
情報部から対象者の説明を受け、実際対象者に接近し、調査に当たる。
もちろん、調査対象者はそのことを知らない
そして1週間の調査後、「可」か「見送り」の判断を提出するのだ。
「可」であれば、八日目に「死」が実行され、それを見届ける。
見た目は調査対象に合わせ、もっとも〝仕事〟がやりやすい人物像に変わる。


この死神のキャラクター設定が絶妙だ。
キャラクター創造に長けた作家だとは聞いていたけど、ホントにうまい。
たとえば、千葉(仮名)が仕事をする時は、いつも天候に恵まれない。
〝「死を扱う仕事」であるだけに悪天がつきものなのかと勘ぐったこともあったが、
 他の同僚はそういうこともないらしいので、どうやらただの偶然のようだ。
 晴天を見たことがない、というと人間はもとより
 同僚からも信じがたい目を向けられるが、事実なのだから仕方がない〟
だからといって、別に特別陰気なわけじゃない。
むしろ、淡々とした、乾いた諦観。
その、微妙な無感動気質と、この天候の巡り合わせが相まって、
何ともいえない風合いを醸し出す。


さらに、この千葉(仮名)。
言い換えのレトリックを理解するのが苦手で、いつも受け答えはズレまくる。
こんなシーンがある。調査対象者との食事後の話だ。
〝「すげえ腹一杯だ。まじで、死にそうだって」と臍のあたりを撫でている。
 「そうか死にそうか」と私は相槌を打つ。〟
こうしたやりとり、思考が〝死〟を扱う物語に、ズレた笑いを提供する。


そして、この千葉(仮名)の趣味は、ミュージック。
どうも、音楽、という言い回しはしないらしい。タワレコの回し者?
〝この仕事をやる上で、何が楽しみかと言えば、ミュージックを聴くことをおいて他にない〟
これは千葉(仮名)に限らず、調査員(というか死神)に共通の趣味らしい。
仕事の合間をぬって、CDショップの店頭で試聴機に聞き惚れる。
ジャンルは問わない。何でも。
〝私は人間の死には興味がないが、
 人間が死に絶えてミュージックがなくなっつぃまうことだけは、つらい〟
たいていでれでれとして、あまりやる気がない千葉(仮名)が、
ミュージックだけには、並々ならぬ執着を見せる。これもどこか滑稽で、いい。


そんな千葉(仮名)が登場する、物語の導入も、とてもいい。
〝ずいぶん前に床屋の主人が、髪の毛に興味なんてないよ、と私に言ったことがある。
 「鋏で客の髪を切るだろ。
 朝、店を開けてから、夜に閉めるまでも休みなく、ちょきちょきやってるわけだ。
 そりゃ、お客さんの髪がさっぱりしていくのは気持ちがいいけどよ、
 でも、別に髪の毛が好きなわけじゃないって」
 彼はその五日後には通り魔に腹を刺されて死んでしまったのだが、
 もちろんその時に死を予期していたはずもなく、声は快活で生き生きとしていた。
 「それならどうして散髪屋をやってるんだ?」と訊き返すと彼は苦笑交じりにこう答えた。
 「仕事だからだ」
 まさにそれは私の思いと、大袈裟にいえば私の哲学と一致する。〟
どこかズレていて、どこか醒めている。
そんなトボけた味わいが、ここだけで伝わってくる。
思わず、物語に引き込まれていく。


そして、この導入部で語られた哲学が、
6つの物語を通して描かれ、最後の物語ではある微妙な変化をきたす。
途中までは、ちょっといい話、ちょっとヘンな話の集合体だった小説が、
登場人物たちが微妙にリンクしていき、
最後に、絶妙の味わいを伴って、ひとつの形に昇華されていく。


正直いって、6編全部が素晴らしい、ということもないし、
時に、多少テクニカルというか、やや過度に作為的な文体が、気にならないわけでもない。
(もちろん、それはこの作家の味わい、とは承知しつつ…)
偉そうなことをいってしまうと、多少粗削りな感は否めない。
だけれど、冒頭の「死神の精度」や、5編目「旅路を死神」、
そして最後の「死神対老女」は、とても気持ちよくこころに伝わってくる。
他作品への〝読まず嫌い〟をあらためようかな、という気持ちも湧いてくる。
読んでよかったな、と素直に思える、いい作品だった。