志水辰夫「行きずりの街 (新潮文庫)」
〝ミステリー史に燦然と輝く大傑作!
1991年「このミステリーがすごい!」第1位〟
旧作発掘が、出版界のちょっとした事件ともなった1冊。
〝最近の「このミス」1位と読みくらべよう!〟
ミステリーで読み解く時代の変遷、という視点が意外と斬新。
それでも、時代を越える名作はやはり面白いのか、
遅ればせながら(ホントに遅ればせながら)読んでみることにする。
教え子との恋愛、結婚がスキャンダルとなり、教職を失った〝わたし〟は、
その結婚も結局は破綻、いまは郷里で塾講師としての、毎日を送っていた。
複雑な家庭事情を抱え、〝わたし〟に懐いていた広瀬ゆかりが、
進学先の東京で、消息を絶ったという連絡がある日、飛び込んできた。
心当たりを探し歩く〝わたし〟の行方に、あの過去がまとわりつく―
ほんの15、6年前というのが、これだけ昔だったのか、と感慨に浸ってしまった。
冒頭で登場する、六本木、麻布界隈の描写が、いきなり時代を感じさせる。
時はバブル崩壊前夜、まだ六本木ヒルズも東京ミッドタウンもない六本木。
現在のようないびつな健全さがまだ見られない、あやしい街を主人公が歩く。
そこから漂ってくるのは、まさしく時代の匂い、そして雰囲気。
バブル崩壊を予言していたのか、それともまさしく同時進行だったのか、
土建屋の跳梁を非難するようなセリフも登場し、一種の感慨にも浸ることができる。
ミステリーとしての枠組みにおいても、時代の変化は如実だ。
もちろん、大きな変化をもたらしたのは、ある小道具である。
15、6年でもっとも普及が進んだもの、携帯とパソコンである。
連絡を取る、連絡を待つ、何かを調べる…
そういえば、あの頃はあんなに不便だったのか、と驚きすら覚える。
だが、そんな制約は、むしろミステリーの枠の中では、プラスとなる。
携帯もない、PCもない、そんな不便さ、もどかしさは、
ミステリーの可能性を逆に広げることもあるし、
ドラマの絶妙な味わいともなって、読む者のこころに沁み込んでくる。
もちろん、そうした時代性どうこうだけでなく、
小説そのものの面白さにも触れなければならないだろう。
かつての事件といまの事件が次第にリンクしていく構成は見事だし、
謎ばかりの展開が、クライマックスにかけて一気に盛り上がる展開もさすが。
別れた妻への未練もたらたらに、東京をさまよう主人公の姿もいいし、
かつて教え子に〝手をつけてしまった〟主人公が、
いまの教え子の周辺に見え隠れする男に、抱く複雑な感情も面白い。
解説で北上次郎が書いているが、
夫婦もの、恋愛ものとしての側面も兼ね備えた読み応え抜群。
このリバイバルでの大ブレイクも、なるほど納得の1冊なのである。