梅田ガーデンシネマで「皇帝ペンギン」

mike-cat2005-07-26



本国フランスでは、
「WATARIDORI」「ディープ・ブルー」を越える大ヒットらしい。
ま、それもムリはない。
ひとことでいうと、ペンギンがチョーかわい〜のだ。

皇帝ペンギンの仕種だけでたまらないキュートさなのに、
ヒナまで出てきてしまっては、もう抵抗のしようがない。
ああ、連れて帰って愛玩したい。ただただ、そんな感じ。
いい歳こいて、ひたすらやに下がってスクリーンにくぎづけになる。

極寒の南極の地で暮らすペンギンたちの、
越冬と子育ての九カ月間を記録したドキュメンタリーだ。
営巣地(オアモック=氷丘のオアシス)に向けた100キロにも渡る行進。
体感温度マイナス70度、時速250キロのブリザードの中を克服し、
120日間にもわたる絶食を乗りこえ、卵を孵し、ヒナを育てる。
壮絶にして、美しい、生命の奇跡が描き出される。


映像に関しては、厳しい越冬の様子に、ただただ圧倒され、
ペンギンのかわいさに、ただただノックアウトされるだけだ。

もう、こちらは文句なし。
冒頭で、棚氷や氷山の荘厳さに魅せられ、
オアモックまでの100キロの道のりを20日間かけ、
一列になって行進する様には、愛らしさと感動がごたまぜになる。
そして、メスから抱卵の役目を担うオスへの卵の受け渡し。
少し手間取れば、卵は凍りつく。わずか数秒の猶予しかない、その瞬間に手に汗を握る。
そしてブリザードの中、ハドリングを続けながら体温低下を防ぐオスたちにふたたび感動。
足とたっぷり脂肪を含んだ腹の中で体温を保つヒナに顔をほころばせ、
カモメに襲われ、果てていくヒナに涙を流す。
ヒナたちが巣立つ日なんて、もう感涙ものといっていい。
よくぞこれだけの映像を撮ることができたな、と最大限の敬意を覚えた。


ただ、これが映画のでき、ということになると、ちょっと違う。
ちょっと、じゃないレベルで気に入らない点が出てきてしまう。
あくまで個人的な嗜好もあるのだが、
ロマーヌ・ボーランジェ(「伴奏者」)を母に、シャルル・ベルリング(「リディキュール」)を父に見立て、
ペンギンを擬人化した〝語り〟に、どうしても違和感を感じてしまうのだ。
確かに、こども向けのドキュメンタリー作品としては、この演出は有効なのかもしれない。
ペンギンの親子の苦闘ぶりを、こどもに対して伝えていこうとするなら、効果的だろう。
しかし、擬人化した以上、どうしても避けられない弊害も生じる。
挿入された〝語り〟が、ペンギンの生物的な特徴描写を曖昧にし、
時には安っぽい似非ヒューマンドラマが匂い立つようになってしまうのだ。


もちろん、どんな撮影がされても、どんな編集がなされても、
完全に客観的な映像というのは、存在し得ないだろうとは思う。
そういう意味では、完全に客観的なドキュメンタリー、はあり得ない。
どこかに撮影者、編集者の意図は挿入されるし、影響される。
〝語り〟でなく、ナレーションだけの構成であっても、
完全に〝ありのまま〟のペンギンの姿を描くのは、事実上不可能だ。
ましてや、この〝語り〟が与える、過剰なドラマは、まったくいただけない。
「そんなこと、ペンギンは考えてないだろ」と突っ込みたくなるところが、
そこかしこにあって、せっかくの映像の力が、減じられている気がしてならないのだ。


ペンギンが〝語る〟ことによって、
ドキュメンタリーに不可欠な説明部分が欠けているのも気になった。
たとえば、オスの抱卵の時のこと。
時速250キロのブリザードに吹かれる、というのがどれだけ過酷な状況か。
気温はマイナス40度、風速30メートルの時の体感温度はマイナス70度だという。
これを俗にいう押しくらまんじゅう、ハドリングでしのぐのだが、
ここらへんの数字の説明が、ほとんどない。
35〜40キロあった体重が半減するとか、そこらへんをつけ加えることで、
どれだけの説得力があるか、考えてみれば答えは明らかだ。


ほかにもそんな例は数限りない。
たとえば、ヒナたちが歩けるようになると、
両親はヒナをクレイシ(共同保育所)に預け、エサを獲りに出かける。
その際、ヒナを守る成体がいるのに、その説明がない。
ちなみに、まだ繁殖ができない若い成体や、繁殖から〝あぶれた〟成体らしい。
エサを獲って戻った成体と、そのヒナが、どうやって親子を判別するのか。
ヒナは親の鳴き声を2/10秒聞いただけで判別し、
デシベル以上で発せられる6羽のほかの親鳥の声も聞き分けるらしいのだが、
何か、簡単でいいからそれも説明してくれないと、
「じつはいいかげんなんじゃない?」という疑念は晴れない。


それどころか、説明が不正確な時すらある。
孵化したばかりのヒナの食事までに、メスが戻ることができない時には、
オスが〝体内に残った〟エサを与えるという場面がある。
何せ最後の食事は120日前。
見ていて「何か発酵してそうだな」と思ったのだが、その後パンフレットを読むと、全然違う。
オスがヒナに与える〝ペンギン・ミルク〟は、胃壁や食道の粘膜を剥がして与えるらしい。
これ、ちゃんと説明した方が、
どれだけ過酷な越冬をこなしているか、もっともっと伝わってくるのに…


だいたいが、100キロもの行進をして、
営巣地コロニーに向かう理由を、きちんと説明しないのはもう理解の範疇を越えてる。
〝外敵が少ないこと〟〝風をよけられる場所であること〟などが条件なのだが、
これもきちんと説明してくれないと、「そこらへんで卵産めばいいじゃん」でおしまいだ。
もちろん、想像すればわかることだけど、
より正確に相手に伝えようという意味では、かなり不十分といわれてもしかたない。


ペンギンに偏った視点にこだわるあまり、
外敵としてのヒョウアザラシや、カモメを単なる猛獣扱いにした映像も不快だ。
別にアザラシとかカモメの味方するわけじゃないが、
生物として当たり前の営みをしてるだけなのに、
必要以上に残虐な行為として描いているのが、どうしても納得できない。
それだったら、ペンギンに食われた魚はどうなんだ、という感じ。
ウシ、ブタは食うクセに、クジラ・イルカはかわいそう、
という欧米人独特の差別的かつ短絡的な思考が、ぷんぷん匂う。
むかし、藤子・F・不二雄の短編で読んだ、〝逆・南極物語〟を思い出した。
タロ・ジロの犠牲になったアザラシの視点から観れば、感動なんてない。
そこにはただただ、生存競争があるだけ。
むしろ、南極に、犬という闖入者が入ってきた以上、それこそ無意味な虐殺でしかないのに…


そんなわけで、ドキュメンタリーとしては、はっきりいって落第。
ひたすら素晴らしい映像を、あんまりいろいろ考えずに、
「すげぇ!」「かわい〜!」と軽く観るには適しているが、
おとなの鑑賞に耐えるレベルか、と問われたら、正直疑問符をつけざるを得ない。
つまり、映像素材のラッシュとしては最高だが、作品の完成度は…、という感じ。
劇場がこれまたなぜか南極のように冷えきっているため、
映画が終わると、こころも体もどこか冷えきった感じ。
おまけにペンギンのヒナグッズも売ってないので、不満はますます高まる。
せっかくのペンギンちゃんだったのにな、とブツブツ文句を垂れながら、
梅田への長い長い道のりを戻っていったのだった。