川上弘美「古道具 中野商店」

mike-cat2005-04-03



待望の新作。
〝古道具屋〟の中野商店を舞台にしたお話だ。
主人公の〝わたし〟ヒトミは、そこの店員さん。
で、この中野商店、
店主の中野さんいわく「骨董じゃないよ、古道具なの、うちは」。
アンティーク・ショップでも骨董屋でもない、
もちろんリサイクルショップとも、全然違う。
〝ちゃぶ台から古い扇風機からエアコンから皿小鉢まで、
 昭和半ば以降の家庭の標準的な道具が、
 店の中にところ狭しと並んでいる。
 中野さんは昼前に店のシャッターを開け、煙草をくわえたまま
 「呼び込み用」の道具を店先に並べる。
 ちょっと洒落た模様の皿小鉢の類や、アートふうデザインの手元灯、
 オニキスまがいの亀や兎の文鎮、 古い型のタイプライターなどを、
 店先に置いた木製のベンチにかっこうよく並べるのである。〟
まさしく、趣味の古道具、といったところ。
まあ、前向きすぎない程度のゆるいモチベーションで、
ちょっと寄ってみようかな、と思わせる風情なんだろう。
それでも、隠れたヒット商品が「古眼鏡」だったりするあたり、
油断がならないお店だったりする。何に使うんだ?


そんな中野商店に集うのはまず、ちょっとずれてる店主の中野さん。
唐突に「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」とかのたまう。
この唐突な「だからさあ」が口癖。
いわく「声に出さないで、頭ん中でしゃべるんだな、俺って」。
〝頭ん中で、たとえばAがBになって、Cに行くだろ、
 それからDに続くってわけだ。Dのことを口に出すときに、つい
 「だからさあ」って言っちゃうんだな。〟
まあ、わかるんだが、それでも飄々と「だからさあ」と切り出す
中野さん、ってのが、なかなか不思議な感じだ。
ちなみにこの中野さん、いい歳だがオンナが途切れない。
で、ラブホテルに入るのがうまいらしい。
それも、愛人に「かわいくない」っていわれてしまうぐらい。
それは、それは結構なことで…


で、中野商店の買い取り、引き取り担当店員のタケオ。
こちらの口癖は「××っす」。生きるのに不器用な20代のオトコだ。
愛犬を亡くしたのをきっかけに、中野商店で働きだした。
繊細な感性の持ち主だが、怯えた子犬のような性質が、
一見とぼけた、しかし実は周囲に壁を張りめぐらしたような、オーラを発する。
だから、こういう人と微妙な関係になると、まことに困る。
〝ヒトミさん、おれ、なんか下手で、すいません。タケオが小さな声で言った。
 下手って、なにが。
 なにもかも。
 そうでもないよ、わたしだって、下手だし。
 そうですか。あの。タケオは珍しくわたしの目をまっすぐに見ながら、言った。
 ヒトミさんも、生きてくのとか、苦手すか。〟


こういう話しぶりだけで、生きていくことの〝下手さ〟が見えてくる。
もちろん、こずるく〝うまく〟生きているより、いいんだが、
こういう人と関係を組み立てていくのは、
ものすごい労力が必要なんじゃないだろうか。
世間の狭さに感心する会話を引用する。
〝おれなんてもっと狭いす。
 ヒトミさんとあとは死んじゃった犬くらいす、と答えた。
 死んじゃった犬ねぇ。わたしが言うと、犬す、とタケオは繰り返した。
 嬉しいような、嬉しくないような気分だった。〟
動物を飼っている(いた)人の感覚を、
ふつうの物差しで測ると時たまこういうことが起こる。
理解してくれるヒトミだからこそ、ということもあるのだろうが、
ここらへんを何の臆面もなく口にするタケオの不器用さは、やはり相当なものだ。


で、あとは中野さんいわく〝ゲイジュツカ〟の姉、マサヨさん。
この人も何か浮世離れしたひとだ。
ただ、これは資産家に生まれた人特有の感覚。
さほど、ヘンな人じゃない。
歳を取れば取るほど、人に厳しく、自分に甘くなる、
なんて自己分析しちゃうし、若い人の痴話げんかには、
「この歳になると、うかつに人をなじれない。
 次に会うときには死んじゃってるかも知れないから」
みたいなことをさらりと言ってのける。
まあ、それなりに達観した人なのだ。


こんな感じのひとたちが、
日々の出来事に揺れてみたり、揺れてみなかったり。
まったりとしつつも、気の置けない空気の中、みんなたゆたっていく。
いかにも川上弘美らしい、深い味わいの物語だ。
〝わたし〟の成長物語でもあるし、淡いラブストーリーでもある。
中野さんや、タケオ、マサヨさんらの群像劇でもある。
いろんな読み方ができて、そのそれぞれに味がある。
まさしく、中野さんのやってる古道具屋、みたいな小説だ。


もちろん、楽しいときはいつまでも続かない。
そんな儚さも内包する物語ではある。
中野さんのお気楽な日々も、
〝わたし〟やタケオにとっての居心地のいい場所も、決して不変のものではない。
月日が経ち、中野商店の日々を振り返るとき、
ひとびとの胸には、さまざまな想いが去来する。
その時、初めて気づく感覚であったり、
その時、初めて感じる気持ちだったり…。
静かな擬音とともに迎える、
あったかくって、キュンと胸にくるラストは、まさしく絶品だ。
またも感じる、読み終えるのがもったいない感覚。
まさしく〝川上弘美〟を堪能できる、
まさに〝川上弘美〟ならでは、の古道具屋物語だった。