川上弘美「古道具 中野商店」
待望の新作。
〝古道具屋〟の中野商店を舞台にしたお話だ。
主人公の〝わたし〟ヒトミは、そこの店員さん。
で、この中野商店、
店主の中野さんいわく「骨董じゃないよ、古道具なの、うちは」。
アンティーク・ショップでも骨董屋でもない、
もちろんリサイクルショップとも、全然違う。
〝ちゃぶ台から古い扇風機からエアコンから皿小鉢まで、
昭和半ば以降の家庭の標準的な道具が、
店の中にところ狭しと並んでいる。
中野さんは昼前に店のシャッターを開け、煙草をくわえたまま
「呼び込み用」の道具を店先に並べる。
ちょっと洒落た模様の皿小鉢の類や、アートふうデザインの手元灯、
オニキスまがいの亀や兎の文鎮、 古い型のタイプライターなどを、
店先に置いた木製のベンチにかっこうよく並べるのである。〟
まさしく、趣味の古道具、といったところ。
まあ、前向きすぎない程度のゆるいモチベーションで、
ちょっと寄ってみようかな、と思わせる風情なんだろう。
それでも、隠れたヒット商品が「古眼鏡」だったりするあたり、
油断がならないお店だったりする。何に使うんだ?
そんな中野商店に集うのはまず、ちょっとずれてる店主の中野さん。
唐突に「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」とかのたまう。
この唐突な「だからさあ」が口癖。
いわく「声に出さないで、頭ん中でしゃべるんだな、俺って」。
〝頭ん中で、たとえばAがBになって、Cに行くだろ、
それからDに続くってわけだ。Dのことを口に出すときに、つい
「だからさあ」って言っちゃうんだな。〟
まあ、わかるんだが、それでも飄々と「だからさあ」と切り出す
中野さん、ってのが、なかなか不思議な感じだ。
ちなみにこの中野さん、いい歳だがオンナが途切れない。
で、ラブホテルに入るのがうまいらしい。
それも、愛人に「かわいくない」っていわれてしまうぐらい。
それは、それは結構なことで…
で、中野商店の買い取り、引き取り担当店員のタケオ。
こちらの口癖は「××っす」。生きるのに不器用な20代のオトコだ。
愛犬を亡くしたのをきっかけに、中野商店で働きだした。
繊細な感性の持ち主だが、怯えた子犬のような性質が、
一見とぼけた、しかし実は周囲に壁を張りめぐらしたような、オーラを発する。
だから、こういう人と微妙な関係になると、まことに困る。
〝ヒトミさん、おれ、なんか下手で、すいません。タケオが小さな声で言った。
下手って、なにが。
なにもかも。
そうでもないよ、わたしだって、下手だし。
そうですか。あの。タケオは珍しくわたしの目をまっすぐに見ながら、言った。
ヒトミさんも、生きてくのとか、苦手すか。〟
こういう話しぶりだけで、生きていくことの〝下手さ〟が見えてくる。
もちろん、こずるく〝うまく〟生きているより、いいんだが、
こういう人と関係を組み立てていくのは、
ものすごい労力が必要なんじゃないだろうか。
世間の狭さに感心する会話を引用する。
〝おれなんてもっと狭いす。
ヒトミさんとあとは死んじゃった犬くらいす、と答えた。
死んじゃった犬ねぇ。わたしが言うと、犬す、とタケオは繰り返した。
嬉しいような、嬉しくないような気分だった。〟
動物を飼っている(いた)人の感覚を、
ふつうの物差しで測ると時たまこういうことが起こる。
理解してくれるヒトミだからこそ、ということもあるのだろうが、
ここらへんを何の臆面もなく口にするタケオの不器用さは、やはり相当なものだ。
で、あとは中野さんいわく〝ゲイジュツカ〟の姉、マサヨさん。
この人も何か浮世離れしたひとだ。
ただ、これは資産家に生まれた人特有の感覚。
さほど、ヘンな人じゃない。
歳を取れば取るほど、人に厳しく、自分に甘くなる、
なんて自己分析しちゃうし、若い人の痴話げんかには、
「この歳になると、うかつに人をなじれない。
次に会うときには死んじゃってるかも知れないから」
みたいなことをさらりと言ってのける。
まあ、それなりに達観した人なのだ。
こんな感じのひとたちが、
日々の出来事に揺れてみたり、揺れてみなかったり。
まったりとしつつも、気の置けない空気の中、みんなたゆたっていく。
いかにも川上弘美らしい、深い味わいの物語だ。
〝わたし〟の成長物語でもあるし、淡いラブストーリーでもある。
中野さんや、タケオ、マサヨさんらの群像劇でもある。
いろんな読み方ができて、そのそれぞれに味がある。
まさしく、中野さんのやってる古道具屋、みたいな小説だ。
もちろん、楽しいときはいつまでも続かない。
そんな儚さも内包する物語ではある。
中野さんのお気楽な日々も、
〝わたし〟やタケオにとっての居心地のいい場所も、決して不変のものではない。
月日が経ち、中野商店の日々を振り返るとき、
ひとびとの胸には、さまざまな想いが去来する。
その時、初めて気づく感覚であったり、
その時、初めて感じる気持ちだったり…。
静かな擬音とともに迎える、
あったかくって、キュンと胸にくるラストは、まさしく絶品だ。
またも感じる、読み終えるのがもったいない感覚。
まさしく〝川上弘美〟を堪能できる、
まさに〝川上弘美〟ならでは、の古道具屋物語だった。