なんば千日前・敷島シネポップで「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月」

mike-cat2005-03-19



初日だっていうのに、けっこう空席目立つ。
こういうノリの映画、大阪では、ウケが悪いのかな?
原題は〝BRIDGET JONES: THE EDGE OF REASON 〟
もう、日記の体裁は取っていない。
まあ前作も原作ほど日記の体裁は取っていなかったが、
あのうまい感じに共感を覚える自堕落なブリジットの生活ぶりは、
そこまで強調されていない、かな。
相変わらずタバコはやめられないようだが。


ラブストーリーの〝その後〟を描くことには、昔から賛否両論あるが、
この映画もある意味では作るべきか、作らないでおくべきか、
微妙な映画ではあると思う。
もちろん、原作は続きがあるんだから、作られて然るべきなのかもしれないが、
あくまで独立した作品として考えた場合だ。
前作のあのハッピー・エンディングがあっても、
あのブリジットのことだから、当然やらかすのは目に見えているわけで、
その後の〝やらかし〟を見たくなるのは当然なんだが、
そのエンディングとしては、当然〝結婚〟という帰結が見えてくるわけで、
それが果たして、ブリジットにエールを送っていたファンにとって、
どうなんだろな、などと勝手に思ってしまうわけで。
判断は、30代独身女性でない僕にはどうにも難しいとは思うけど。


で、実際の映画はどうざんしょ?、と考えると、
社会現象まではいかないものの、
いまの〝負け犬〟ブームを先取りしたような、前作のように、
30代女性のどう生きるか、みたいなテーマはあまり感じられない。
いや、前作もそんな大上段には構えてなかったけど、
それなりにちょっと考えさせるような部分はあったと思う。
そういう意味では、今回の作品は、
単純に〝恋するドジ女・ブリジットのドタバタ騒動記〟だ。


もちろん、単なるスラップスティック映画として観るなら、かなり笑える。
ブリジットのドタバタ度は、よりお約束的に濃厚になり、
ヒュー・グラント=ダニエルのアホっぷりもますます冴えてる。
この人は、クズを喜々として演じると、どうしてこうも…
まあ、そんなわけで深い意味を求めようとしなければ、
ほぼ文句なしのコメディ映画といっていいんじゃないだろうか。


もちろん、一般的な男性にとっては、微妙な面もあるのかとも思う。
いや、別に僕は違うよ、と偉ぶるつもりもないが。
ブリジットっていうのは、世の女性のある意味〝憧れ〟でもある。
何で、あんなデ×というなかれ。
だって、ムリなダイエットをしなくても、自分にちょっと甘くっても、
〝あるがままの君が好きだよ〟と言ってくれる、優しい素敵な恋人がいる。
ろくでなしだけど、ロマンチックでかっこいい危険な男が口説いてくれる。
とんでもないことばっかりやらかして、勘違いして怒りまくって、
さらにわがまま言い放題でも、受け入れてくれる。
こんな都合のいい話があるのか、なんて鼻白んでしまう諸兄もいるだろう。
でも、オトコの大好きな映画なんて、もっともっとご都合主義だ。
だから、いいのだ。あくまでファンタジーだから。
その雰囲気をあくまで守り続ければ、それもまた楽し、なのだ。


あえて難をいえば、ブリジットがコリン・ファース=マークとの関係で、
勝手にひがみまくるのが、ちょっとやり過ぎにも見える点、だろうか。
あまりに無反省すぎて、マークばかりが聖人君子に見えてくるのが、
何だか、女性に対する蔑視にも思えて、少し興醒めしてしまった。
それはまあ、きちんと最後に収支を合わせてくれるから、まだいいのだが、
ダニエルの人間性を示すエピソードで、まあロクデナシだけど、
「そこまでクズなのかな…」と思わせる場面があったのは残念かもしれない。
こちらも、越えてはいけない一線を越える、
監督のバランス感覚というか、センスの欠如が感じられたかも。


でも、そこらへんはまあ、ささいな問題。
とっても楽しい二時間弱を過ごさせてくれる、と保証できると思う。
とりあえず、レニー・ゼルウィガーの太鼓腹だけでも、観る価値はある。
あの太鼓腹ファッションショーは、世の女性すべてに自信を与えること間違いなし。
観終わって、もっとも強く印象に残るのは、
趣味のいい音楽でも、ドタバタギャグの数々でもない。
揺れるブリジットのおなかの残像…。
レニー・ゼルウィガー、次回作に向けては苦労したんだろうな、と、
勝手に心配してしまったのだった。