山本一力「銭売り賽蔵」

mike-cat2005-03-17



一両小判や一分金、二朱金などの金貨や、
丁銀、豆板銀などの銀貨と、普段遣いの文銭との両替を行う
〝銭売り〟を営む賽蔵のサクセスストーリーだ。
初めて聞く職業だったのだが、これがなかなか興味深い。
損料屋喜八郎始末控え (文春文庫)」の損料屋同様、仕組みがわかってくると、
なるほどドラマを生み出すだけの材料に満ちあふれている。
ちなみに、金貨鋳造を請け負う金座で、
銀貨の銀座があって、銭を鋳造する銭座もある。
金や銀に混ぜ物をしたりする改鋳があったり、
銅の産出量の増減や、鉄銭の登場で換算レートがめまぐるしく変わる。
その中で、いかにうまく立ち回るか、が商売繁盛の秘訣となる。


だからといって、賽蔵が株のトレーダーよろしく、
金儲けに血道を上げるというわけではない。
根っからの深川気質の賽蔵は、人さまの役に立つべく、信念を持って商売に打ち込む。
その誠意と、才覚を見込まれ、賽蔵は次々と大きな仕事を手掛けていく。
そう、一膳飯屋を営むつばきの立身出世を描いた「だいこん」と、基本は同じだ。
成功の裏に、切ない人間模様が見え隠れした「あかね空 (文春文庫)」と違い、
大きな波のないサクセスストーリーは、
悪く言えば〝ハーレクイン〟さながらだが、安心して読める気楽さはもう保証付きだ。
それに、才覚あふれる真っすぐな人間が、
然るべき成功を収める話は、この世の中、意外にありそうでないから、心地よい。
傑作という言葉を使う気はないが、いい作品だ、と保証できる確かさはある。


でも、そんな単純な構図を盛り上げてくれるのは、
銭売りという職業、そして銭座という産業の持つダイナミズム。
物語の縦軸となるのは、
金座の後ろ盾で、悪どい手段に出てくる〝ライバル企業〟亀戸銭座との争いだ。
知恵を尽くし、誠意を尽くし、ライバルの攻勢をしのぎ、事業を拡大する。
〝誠意〟と〝人物〟で大物を味方につけていく姿を、
〝安直〟と鼻白んだりしなくてすむのは、時代小説、という舞台設定も大きいとは思う。
これ、現代物にしたら、マンガでもちょっと「おいおい…」となるかも。


しかし、深川の市井の暮らしを描く、横軸の部分に、この物語の味わいはある。
賽蔵の幼なじみで、「こしき」という名の小料理屋を営む、おけいとのロマンスだ。
賽蔵の父、由蔵と、おけいの母、おみねは、好き合いながらも所帯を構えなかった。
「こしき」のためを思ってのことだったのだが、
そのしがらみに縛られたまま、賽蔵とおけいも好き合いながら、肌すら合わせない。
〝しぐさの端々で、おけいはそれを示してくれた。
 それでも、賽蔵は手が出せなかった。
 すでに後厄だというのに、おけいと肌を重ねている姿を思い描くと、
 照れくさくて顔が赤くなる。〟
いい歳をして、これがまた純情というか、奥手なふたりなのである。
まあ、あの時代だから、賽蔵はそれなりに欲求は処理していたのだろうが、
ふたりのこのもどかしい感じは、小説としてはなかなか好感が持てる。
あくまで小説として、ね。
現実だと、寝ろよ、普通に。という感じだが、まあそれは置いておく。
とりあえず、このふたりの関係が深まっていく様も、面白いよ、ということで。


そうそう、もちろん料理とか、の描写もとてもそそる。
おけいが普段得意とする料理は、サバのみそ煮と塩焼きで、
それはもう読んでいるだけで魚屋さんか、定食屋さんに駆け込みたくなるんだが、
ここでは、大きな事業に乗り出す前の寄り合いでのメニューを引用する。
〝この日の寄合がとりわけ大事であることを聞いていたおけいは、
 朝から日本橋魚河岸に出向いた。求めたのは形のそろった小鯛である。
 上物の赤穂の塩をたっぷり振りかけて、尾かしらつきの塩焼きを出した。
 飯は昆布のダシ汁で炊き上げたものを、ひとくち大の握り飯にして、
 炭火で軽く炙った。これなら話をしながらでも食べやすいからだ。
 あとはしじみの味噌汁に、母親譲りの糠漬である。〟
ううん、「美味しんぼ」顔負けの料理描写。
いや、その味わいは、料理で世界が平和になってしまう
〝料理万能主義〟が鼻につく「美味しんぼ」より、ずっと上かもしれない。
一膳飯屋を舞台にした「だいこん」ほど多くはないが、
こうした〝味〟の描写は相変わらずうまい。


まあ、そんなこんなで、またも堪能させてもらった一冊。
高いレベルでの安定感、ってとこだ。
「あかね空」みたいな、複雑な味わいを持つ小説も、
また読んでみたいな、とも思うが、きょうのところはよしとしておく。
まだ未読の山本一力は数冊ある。これらに期待、ということで。