グレッグ・ルッカ「守護者 (講談社文庫)」

mike-cat2005-10-02



スピンアウトの「耽溺者 (講談社文庫)」から読み始めた、
ボディガード、アティカス・コディアックのシリーズ第1作。
 命を賭けて守るべきものとは? アンドリュー・ヴァックス絶賛!〟
はて、ヴァックス? ヴァクスじゃないのかに? と思い、
調べてみると、〝Vachss〟らしい。なるほど、ヴァックスだな。
しかし、ハヤカワとかで散々ヴァクスで出てるのを、なぜ?
とまあ、そういう細かいところをブツブツいってもしかたないのだが…


ガールフレンド、アリソンの妊娠中絶手術のため、
産科医を訪ねたボディーガードのアティカス・コディアックは、
メキシコ系の女医フェリス・ロメロ医師から、仕事の依頼を受ける。
近く開催される会議に向け、中絶反対派の過激派組織から、
卑劣な脅迫を受けているロメロ医師は、ダウン症の長女ケイティとともに、
完全な警護を受けることを、求めていたのだった。


ハードボイルド、というジャンルそのものに詳しくないので、
これがハードボイルドなのだ、と言われたらまあ何も反論するきもないのだが、
正直、あまり気持ちのいい作品とは言い難い。
少なくとも「耽溺者」には、それなりのカタルシス、というものがあった。
だが、この小説からは、あまり爽快感というのは伝わってこない。
不愉快そのものの敵に対し、ひたすら専守防衛の防御ひとすじ。
細かく書かないが、揚げ句の果てに、結果は…、だ。


もちろん、アティカス、「耽溺者」にも登場したブリジットのキャラクターは光っている。
だから、読んでいてもちろん引き込まれる部分もあるし、作品自体退屈ということもない。
だが、狂信者たちを相手に戦い、
迎える結末が…、では、その魅力もさほど生きてこないのだ。
その…、にこそ、ハードボイルドの真髄があろう、という考え方も理解できなくはない。
しかし、それが真髄であるなら、僕はハードボイルドのいい読者にはなりえない。


ま、それはともかくとして、一方でこの小説の柱は、
実はそのボディガードどうこうではない、というのがミソであったりもする。
そう、妊娠中絶問題、というのが、小説の一大テーマでもあるのだ。
アメリカにおける中絶の問題に関しては、解説でざっと説明がある。
法律上中絶は、固有の〝権利〟である。
女性が妊娠中絶を選択する権利を支持する選択派と、
ありとあらゆる段階の胎児の人権を優先する反選択派が、対立を続けている。
反選択派は、中絶を「殺人」と見なすため、
「胎児を守る」の大義名分のもと、過激分子は病院の前で妊婦に嫌がらせを行う。
キリスト教原理主義と、女性の権利を認めない性差別がミックスされているから、
その女性がどうなろうと、ただ「胎児を守れ」というだけだ。


この作品の中で描かれるのは、その中でも特別過激な狂信者。
まあ、中絶論議そのものから見ると、微妙にフェアじゃない気もするが、
ある意味、作者は自分の立場をかなり明確に表してはいる。
もちろん、僕はこの分類でいえば、選択派だし、
作品中でブリジットが、
女性に選択〝させる〟権利を、男たちが持っている、与えている、という、
間違った認識を指摘する場面があるのだが、ブリジットのいう通りだと思う。
妊娠におけるリスクは、ほぼすべてといっていいほど、女性が背負っているのだ。
その選択に女性に圧倒的な優先権、いくつかのケースでは独占権があるのは当然。
男が「きみの好きにしていいんだよ」と、お許しを与えることも筋違いなのだ。


その立場から読んでいれば、ごく当然のことであるし、
妊娠にいたる背景を一切無視して、
病院前で嫌がらせ(もしくは、デモ)をする反選択派のやり口は、無法者そのものと思う。
もし、その問題について考え直すべきというなら、
行動は別の場所で、別の方法で行われるべきで、当の妊婦を相手に行うべきものではない。
乱れた性だの、無分別な妊娠だの、という意見もあるだろう。
しかし、それこそ、(人工授精は別として)女性だけでできることではない。
乱れようが、無分別だろうが、
妊娠するためには、同様に乱れ、無分別な男性が必要なわけで、
結果としてのリスクを女性だけに求めるのは、まったくフェアではないのである。


とはいえ、やはり妊娠中絶は重い問題だ。
お互いの合意のもと、妊娠中絶を行ったはずの、
アリソンとアティカスの間にも、すき間風が吹き始める。
それがなくても、そうなる運命だったかもしれないが、
妊娠中絶という処置がもたらした影響は、やはり大きい。
この部分で是非を問うのも筋違いだし、
明確な答えの出る問題ではないのが、難しいところだ。
だが、ふたりの間には、確実なしこりを残す。
この、理屈の次元と感情の次元での食い違い、
みたいな部分がうまく描かれているのが、この小説の特長でもあるのだ。


ただ、その柱となる中絶問題も、宙に浮いたまま迎えるラストがいまいち微妙なのだ。
もちろん、答えは出るはずもないのだが、
もう少し何らかの方向性を見せるべきだったと思う。
難しい命題を出しっぱなしにして、この救いのないラストでは、ちょいと困る。
面白かった、という表現があまり好ましくない話題を扱っていることもあるし、
作品そのものの評価を、正直どう行っていいのか、考え込んでしまうのだ。


むろん、魅力はある。
キャラクター、語り口、ものごとを掘り下げる視点…
だが、文句なしでひとに薦められる本か、と訊かれれば、ノーとしかいえない。
幸い、訳者によれば、このシリーズは「どんどん面白くなっていく」らしい。
そんなの、真に受けるのもどうかとも思うが、とりあえずあと1冊読んでみたい。

奪回者 (講談社文庫)

奪回者 (講談社文庫)

どうか、文句なしにおもしろい作品でありますように…