「フレンチの達人」にふむ、ふむ、ふむ

読むより、食べたい…

宇田川悟「フレンチの達人たち」を読む。ISBN:4309016502
オビには「いま、フランス料理は何を語ろうとしているのか。
歴史と未来を開拓する16人のシェフの物語」
そう、ジャック・ボリー(ロオジェ)や、
ジョエル・ロブション(ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション)から、
石鍋裕(クイーン・アリス)三国清三(オテル・ドゥ・ミクニ)、
そして勝又登(オー・ミラドー)平松宏之(レストランひらまつ)ら16人。
日本を〝代表〟するシェフ列伝だ。


〝〟をつけたのにはワケがある。
〝代表する〟といっても、必ずしも味ありき、とは違うということ。
石鍋氏や三国氏、キハチの熊谷喜八氏など、
シェフとして、というより経営者として名を馳せた人も多く取り上げられている。
映画でいえば、シェフがディレクターなら、
むしろプロデューサーに当たる、そして、アクターでもあるタイプだ。
料理作るよりも、金もうけにばかり、と一部から批判を浴びる料理人が、
実はどんな出自で、どんなことを考え、何をしてきたか…
料理研究家で知られる(らしい、知らないけど)著者が、
時には微妙な表現も使いながら、紹介していく。


ちなみに、平松氏もプロデューサーっぽい見方をされるみたいだが、
少なくとも僕が行ったひらまつ系のお店には、
「おいしいものを食べて、楽しい時を過ごして欲しい」精神が、
あふれていたから、ある程度事業展開していても、僕はそう見なさない。
むしろ、「ひらまつ」で自分を支えてくれたスーシェフたちに、
独立の場を与えるための事業展開と読んで、さすが、と思わされた。


で、この本、雑誌の連載を起こしたものらしい。雑誌というものの性格を考えると、
ほめることはできても、けなすのはなかなか難しい。
16人も取り上げると、さすがにこの人ほめるのは…という人もいる。
僕なんて、そんな食べ歩きしているわけではないし、
実際行ったことのないレストランがほとんどだから、
うかつにこの本の記述を丸のみするわけにはいかない。
でも、読んでいくとシェフの言葉の端々に、
そのお店の感じをにおわすものが、あらわれてくる。


「俺が、俺が…」の自己愛しか見えない人、
明確に口にしなくても、食文化より、商売が先に立つ人。
こういうのが伝わってくるの点ではこの本、
レストランガイドとしてもいいかも知れない。
名前を挙げるのは控えるが、やっぱりここのレストランはね…、
と思う店も多かった。


いい感じで印象に残るのは、
日本で初めてオーベルジュ(宿泊施設付きレストラン)に挑戦した勝又登氏、
パリで、史上最速一つ星レストランも作り上げた平松氏、
銀座のグランド・メゾン「ロオジェ」を率いるボリー氏だろうか。
揺るぎない信念に支えられた、サービス精神、
というものが文章からも伝わってくる。
できれば、皿からも伝えてもらえるよう、お店に日参したいところだが、
それは僕の収入が、断固許さない。許して欲しいが、まったくの却下だ。


まあ、そんな部分で話題を転化すると、
バブル崩壊後の日本フレンチの衰退、そして復興みたいな部分も読めて楽しい。
バブルで一気に花開いたかに見えた、日本のフレンチ事情が、
いまの時代のお財布状態で、どれだけ変化したのか。
デフレ経済の価格破壊の一方で、芽生えた本物志向と、
それに合致する新しいフレンチの形。
フレンチ・レストランに行くこと、の意味が再び問い直される中、
経済の動きとリンクした、フレンチの在り方、なんてものも考えたくなる。
難しいこと書いたから、もうわかんないや。
とりあえず、フレンチ食べるにはお金がいるから、という話だったっけ。
そうなると、あんまり持ってない。終了。
いや、違う。その中で、どう自分がフレンチと付き合っていくか、も考えればいい。
そういう意味で、食べるの大好き人間としては、興味深い本だったと思う。


この本でもうひとつ興味深いのは、
各シェフたちの修業時代の場所が書いてあること。
でも、色々なレストランで修業した、とか聞くと、ちょっと疑問にも思う。
単純に考え方が合わないケースもあるのだろうが、
その店でまったく認められないから、ほかの店に移ったかもしれないし、
もしくは、ほかの店に認められて引き抜かれた、みたいなのもあるかも知れない。
でも、よく読んでいると、そのシェフが何を修業したか、を問うには、
店名だけではアテにならないな、ということ。
だって、昔のシェフたちなんて、留学したって、
皿洗いしかしてないケースも多かったみたいだ。
程度の差こそあれ、そういう人はいまでもいるはずだ。
ただ、店に置いてもらっただけでは、神髄なんてつかめない。
経歴に有名レストランを並べ立ててあるからといって、料理が美味しいとは限らないのだ。
まあ、皿洗いだって、皿に残ったソースをなめて研究すれば(ヤだけど)、
少しは修業になるかもしれないけどね。


とまあ、こんな感じで、フレンチはまだまだ初心者の僕にとっては、
新鮮な驚きの多い本だった。
けっこう多くのシェフがあからさまにイタリアンを小ばかにする。
「イタリアンは技術的にいえば、テクニックなしの料理」。
「イタリア料理はテクニックを必要としないから、生活に困っている人が食べる料理」
これは、「パ・マル」の高橋徳夫氏の言葉。
フランス至上主義に毒され切っている。
もちろん、フランス料理の完成度の高さは、揺るぎないと思うが、
イタリアンを蔑視する必要はない。イタリアンにはイタリアンの価値がある。
いいけどね、何を言おうと。僕は「パ・マル」には行かないだけだから。


フュージョンも評判悪いな。
「無国籍料理」で知られる熊谷喜八氏とかまでが、
「わたしのベースはフランス料理」とまるでフュージョンは悪いかのような言い方。
いいじゃないの、フュージョンだって。
いまのフレンチのメニューが、
すべてフランスのものだけを起源にしているわけじゃなるまいし。
もちろん、〝本物〟のフレンチを知らずにフュージョンを食べるのと、
知ってて食べるのでは、まったく意味は違ってくる、という部分はわかるが。
フレンチの精神と技巧を用いていれば、
食材うんぬんや、独特のアプローチを用いても、そう変わるモンじゃないと思う。
まあ、そういう考え方がある、
っていうのを知るのもなかなか興味深い、といえば、そうなんだけどね。


そんなわけで、まとまりがなくなったが、読んで、これを書いているうちに、
フレンチ・レストラン欲が、ふつふつとわき上がってきた。
でも、深夜の名古屋のホテルで何ができるというのだろう。
腹を減らして、眠りにつくだけだ。ああ、くやしい。
近々行く機会があることをお祈りして、ベッドに向かう。


その前に気になったこと二つ。
アラン・デュカスがことし末に日本に出店するらしい。期待度大♪
そういえば、改修してるな、と思ってた恵比寿「タイユバン・ロブション」が、
近く「ジョエル・ロブション」として再スタートするとか。だいじょうぶ?
ピザーラお届け!」のトコをスポンサーに、
六本木ヒルズで安っぽいカウンターレストランやったりしてるからな。
けっこう不安かもしれない。
ま、年に一度行ければ、ってトコだから、僕の生活には影響はないけどね。