ストレス増大、自我崩壊の「ピンク・バス」

角田光代「ピンク・バス」を読んだ。ピンク・バス (角川文庫)
「ピンク・バス」と「昨夜はたくさん夢を見た」の2編が収録されている。
すっごく薄いのに、何だか読むのに時間がかかる。
集中力? それもあるけど、独特のどよんとした感じが、さらさら読みを許さない。
いかにも、角田光代らしい小説だと思う。
そうはいったが、実は過去に読んだ本の中身を覚えていない。
「地上八階の海」に「トリップ」「All Small Things」「幸福な遊戯」
こうして書くと、けっこう読んでるな。内容一つも覚えてないのに。
ちゃんと覚えてるのって「太陽と毒ぐも」ぐらいかも。
http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20040808
理由? 読んだことすら覚えてなかったりするから、当然わからない。
今後の課題として、頭の隅に置いておこう。たぶん、これも忘れるけど。


で、「ピンク・バス」がけっこう気になる作品だった。また忘れないうちに書いておく。
過去を忘れ去ることで、新しい自分になり続けるサエコ
昨秋結婚したばかりのタクジとの間の子供を妊娠した頃、
タクジの〝変わり者〟の姉、実夏子がやってくる。
実夏子がもたらすストレスが、サエコのマタニティブルーを激しくさせていく。


おもなテーマは、サエコアイデンティティ・クライシスだ。
危機意識のきっかけとなるのが、実夏子がもたらすストレス。
だから、実夏子のことはあくまで主題ではないんだが、この実夏子の描写がかなりきっつい。
妊婦に向かって最初にいう言葉が「妊娠なんて、すごく気持ち悪い」。
そりゃ、ないだろう。妊娠って、神秘的な部分はあるから、
訳がわからず、概念として気味が悪い、という人もいるかもしれない。
だからといって、言わないよ。そんなこと。それも本人に向かって。


この実夏子、もっとコワイのは夜中の行動だ。
夜中に化粧しているくらいなら、まだいい。よくないか。
このケースでこわいのは、朝の食卓には、素っ面で出てくる。つくづく、ブキミだ。
でも、もっとコワイのは、夜中のハム丸かじりだ。
かぶりつく。切ったりなんかしない。そのまんま、だ。
歯ぐき丈夫なんだろな、関係ないけど。あごの力だっているしな…


まあ、こんなのが突然紛れこんできたら、妊婦のストレスなんて、もう想像を絶するだろう。
そのストレスが子供に直接作用する、という言葉が、またストレスを呼び込む。
でも、タクジは助けてくれない。その頼りにならなさは、万国共通。
肉親に甘く、妻にきついバカ夫の典型を地でいく。
もう、誰も頼りにできない、その閉塞感が、ストレスをまたまた増大させていく。
そして、思い出すのは学生時代の〝捨て去った〟過去の数々だ。
「レゲ郎」と呼ばれていた、浮浪者同然の同級生と過ごした路上生活。
これもけっこう突拍子がないけど、強烈な印象を残す。当たり前だけど。


消し去ってきた自分、いまの自分。自分は誰で、何であるのか。
どうやっても答えのでない疑問に、取りつかれていくサエコ
実夏子が「ピンク・バス」に乗って、ここでないどこかに帰る時、
サエコも「さあ帰ろう」と思う。だが、どこへ帰るのか、それがわからない。
足もと不如意な浮遊感が、こらえようなく、胸に迫る。


誰もが、時々感じるような、理由のない不安。
その、息苦しい感覚を味わわされた気がする。不思議な小説だった。
というわけで、また読みたいか、人に勧めたいか、といわれれば、…だ。
考えさせられはしたけどね。サエコと同じ心境になりたくないし。