マークース・ズーサック「本泥棒」

mike-cat2007-07-15



〝私は死神。
 聞かせてあげよう、本に憑かれた少女の数奇な物語を〟
ニューヨーク・タイムズを始め、各紙誌の書評で絶賛、
異例ともいえるベストセラーとなった話題の1冊。
〝「アンネの日記」+「スローターハウス5」の感動作〟
語り手は、ぼやき口調のこころ優しき死神。
語るのは、ナチス政権下のドイツを舞台に、
本とのふれ合いを通じて、人生と向き合う少女の物語だ。


時は第二次世界大戦さなか、ナチス政権下のドイツ。
母と別れ、幼い弟を亡くし、ドイツの小さな田舎町に里子に出された少女リーゼル。
ナチズム発祥の地、モルキングの、ヒンメル(天国)と名づけられた通り。
最初は字を読むことすらできなかった少女が、
墓地から、焚書の山から、そして町長の書斎から、本を盗み出す。
本は彼女の世界を切り開き、そして世界の残酷さを伝える。
そんな彼女と、心優しき家族や友人を温かく見つめるのは、心優しき死神だった―


本を盗む少女、という設定もさることながら、
語り手が死神、というのもなかなかにグッとくる小説である。
その視線はまず、世界を取り巻くさまざまな色をとらえる。
特徴的なのは、赤、白、黒の3色だ。
〝三つの色はお互い折り重なりあっている。
 走り書きの署名のような黒は、目もくらむような地球全体をおおう白の上に、
 そして白は厚ぼったくどんよりとした赤の上に。〟


そんな死神が、もっとも忌む色がある。
人の魂が旅立つ瞬間の日のかげり。
〝わたしがこの世で見るものすべてにあらゆる色があるにもかかわらず、
 ほんの一瞬だけだが、人間が死ぬとき、
 わたしはよくこの日のかげりに気づかされる。
 いままでに何百万回もそれを見てきた。
 もう覚えきれないほどたくさんそれを見てきた。〟


心優しき死神にとって、人の死は決して収穫とはならない。
むしろ、背負った宿命の、もっとも悲しい部分ですらある。
だからこそ、死神は、暗い気持ちを振り払ってくれる物語を語るのだ。
〝そう、わたしはいままでこの世の中でじつに多くのことを見てきた。
 最大級の災難にも参加するし、最大級の悪者のためにも働く。
 だが、そうでないひとときもある。
 わたしが仕事をしているときに、ちょうど色がそうしてくれるように、
 わたしの気を晴らしてくれるような話もたくさんある
 (といっても、前にもいったように手のひらいっぱいほどではあるが)。
 最も運の悪い、最もいやな場所で、わたしはそれらの話を拾い集め、
 仕事に取りかかりながらそれらをしっかり記憶にとどめようとする。
 「本泥棒」はそんな話のひとつだ。〟


本を盗む少女を取り巻く人々の優しさも、印象的だ。
黒人スプリンターのジェシーオーウェンズになりたかった少年ルディ、
悲しい宿命を背負った、ユダヤ人ボクサーのマックス、
優しきペンキ屋にして、アコーディオン弾きのハンスと、
口も、料理の腕も悪いけど、根は善人のローザの里親夫婦、
愛する息子の死の哀しみに囚われたままの、町長夫人…


そんな人々との交流、そして本との出会いが、リーゼルを変えていく。
〝彼女は女の子だった。
 ナチ政権下のドイツで。
 そういう状況で言葉の力を発見したのはなんとふさわしいことだったか。〟
ナチス政権下のドイツにありながら、
生き生きとした人間らしさを失わないリーゼル。
言葉の力に救われ、言葉の力の恐ろしさにおののくリーゼル。
だが、戦争の脅威は否応なくリーゼルを巻き込んでいく。
そんな彼女の物語は、哀しみをまといつつも、明るく輝く。
気づけば、とめどのない涙があふれてくるような、そんな物語だ。


最初にネタを明かしてしまう、死神の語り口上に、
序盤は戸惑い、何だか乗れない部分もあるのだが、
ストーリーが加速する中盤以降になると、もうその世界に夢中になってしまう。
ある種の「特別な小説」といってもいい、傑作。
グッとくるような深い余韻に包まれながら、本を閉じたのだった。


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