TOHOシネマズなんばで「300<スリーハンドレッド> 」

mike-cat2007-06-12



〝300人VS1,000,000人、真っ向勝負!〟
わずか300人に過ぎないスパルタ兵が、
10万のペルシャ軍を迎え撃ったという、
ヘロドトス「歴史」の史実(伝説?)、
テルモピュライの戦いを基にした、
フランク・ミラーのグラフィック・ノベルを映像化。
独特のビジュアルに彩られた、戦争スペクタクルだ。


時は紀元前480年。
圧倒的な軍事力で拡大を続けるペルシャ王国が、次に標的と定めたのは、スパルタだった。
降伏と服従を迫られたスパルタの王、レオニダスだが、
無礼なペルシャの使者をその手にかけ、ペルシャとの戦争に突入した。
しかし、政治家たちの奸計でギリシャ全軍の派兵はままならず、
レオニダスは、わずか300人の軍勢で10万のペルシャ軍を迎え撃つ。
幼い頃から戦士として育てられ、選りすぐられた300人は、次々とペルシャ兵を蹴散らすが―


「シン・シティ」フランク・ミラーの原作を、
「ドーン・オブ・ザ・デッド」ザック・スナイダーが監督、
予告では、独特のビジュアルエフェクトを効かせた、クールな戦闘シーンが登場、
全米で2週連続で興行成績トップの大ヒットを記録!
なんて聞いていたから、誰もが期待をせずにはいられないはずだ。
しかし、やらかしてしまった。
予告で観られる以上のものはそう多くない。
正直、凡作としかいいようのない、期待外れの映画に終わってしまった。


ビジュアルは悪くない。というか、ところどころシビれるような場面はある。
サイだの、ゾウだの、ニンジャまがいのモータル・コンバットだの…
だが、それだけで2時間近くを引っ張れるほどのパワーはない。
どちらかというと、一本調子なバトルシーンばかりで、
戦いが進むほど、興奮のボルテージは疲弊感とともに盛り下がっていく。
突っ込みどころ満載のありえないアクションは、
うまく演出をしていけば、逆に盛り上がりにもつながるが、
これではそのまんま苦笑を呼び込むしかなくなってしまう。


差しはさまれるストーリーその低空飛行のアクションをさらに下回るような、悲惨さだ。
短絡的で単細胞としかいようのない、レオニダスの直情行動は、
無謀さを美しく見せるどころか、愚かな死にたがりにしか見せないし、
王の不在を預かる王妃のエピソードは、
モヤモヤとしたストレスを溜めさせるばかりで、作品全体のトーンをより鈍重にする。


そして何より、作品全体を覆う、差別主義の影。
スパルタの300人は、いかにもギリシャ風の風貌のレオニダスをのぞいては、
白人白人、また白人という(いや、細かい人種はわからないが…)のに対し、
〝野蛮で卑怯で横暴な〟ペルシア軍は、
黒人の王にアラブやペルシア、アジアの有色人種、ついでに障害者という布陣。
そしてスパルタが謳うのは「自由のために!」
何だか、石油利権と軍需拡大を狙いつつも、
「自由のために」とアラブ方面に派兵した、あの政権とかぶってしまうのだ。


こうした人種的な側面、どこか作為があるような気がしてならないし、
当時のペルシア王国の人種構成が、
たとえ本当にそうだったとしても、この描き方はあんまりだろう。
こうした気遣い、とか良識では、
多少問題はあるだろうとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。


「このテの映画に、どうこう言っても…」と、
序盤はある程度ガマンはしていたが、ここまでやられるともう無視もできない。
障害者は生きる価値がない、人間まで卑しい、
ととらえられかねない描写も多く、製作者の良識を疑いたくなる。
そうした部分をすべて目をつぶっても、
ありあまるスペクタクルでもあれば、自分を誤魔化すこともできるが、
この作品のアクションやビジュアル程度では、それも不可能だ。


もしかすると考えすぎなのかも知れないし、
紀元前の物語に、現代のモラルを持ち込むな、との考え方もあるだろう。
しかし、都合のいい部分は現代風に解釈し、
再構築してるのに、差別や偏見はOKというのでは理屈に合わない。
全米大ヒット、というのも、いったいどんな層による大ヒットなのか、
ちょっと寒けすら覚える、そんな作品なのでもあった。