敷島シネポップで「キング・コング」初日♪

mike-cat2005-12-17



33年版はテレビ、76年版は劇場で(歳バレるな…)観たが、
今回は「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのピーター・ジャクソン
(重度のコング・オタクらしい)によるリメイクということで、期待は無限大。
おまけに「21グラム」のナオミ・ワッツ、「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラック
戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディと、豪華だけど実質も伴うキャスティング。
もう、期待のしすぎで、かえって心配になってしまうくらいだ。
ティーザー予告の頃から、ラストシーンを思い浮かべて泣いている状態とあって、
この日も、もう「MI3」(悪役フィリップ・シーモア・ホフマン!)の予告の時点で、
涙腺はかなり危険水位に限りなく近くなっていた、という次第。


こういう場合、期待値の高さがかえって失望につながることも多いのだが、
このジャクソン版「キング・コング」に限っては、そんな心配はご無用だ。
ストーリーはおおまかに3部構成にわけられるのだが、
コング登場までの導入部で、ワクワク感が限りなく増幅され、
コングVSティラノサウルスの対決や、調査団と巨大昆虫の遭遇など、
髑髏島のシークエンスでは、ただただその迫力とリアルな不気味さに圧倒され、
コングが拉致され、クライマックスのエンパイアステートビルまでのNYの部分では、
美しく、切ないコングの表情に、ざざ漏れの涙を流しまくる、という豪華コース。
大興奮のスペクタクル、哀切極まりないロマンス、随所に散りばめられたウィット…
この作品には、映画の夢やロマンのすべてが込められているといっても過言ではない。
少なくともメインストリームの映画では、文句なしのことしベスト1。
これを観ずに年が越せるか、いや越せない、というぐらいの傑作だ。


何がすごいって、すごいところが多すぎて、何書いていいのかよくわからないくらいだ。
ピーター・ジャクソンフラン・ウォルシュフィリッパ・ボウエンの「ロード〜」脚本トリオは、
33年版のオリジナルに忠実でありながら、
よりキングコングの〝人間性〟に焦点を当てつつ、スリリングでテンポのいい物語を作り上げた。
だから186分という相変わらずの長尺なのだが、それもまったく気にならない。
(まあ、アクション映画が嫌いなヒトには、髑髏島のシークエンスは長く感じられるかも…)
オリジナル版の監督メリアン・C・クーパーや主演女優フェイ・レイ、
そして製作会社RKOの名前も、思わずニヤリとするような場面で出てきたりして、
こんな細かいところにもオリジナル版への愛情と敬意が顔をのぞかせる。


いわゆる特撮分野に関しても、この映画のすごさはとてつもない。
ジュラシック・パーク」をはるかに越えた恐竜の迫力、
「スターシップ・トルーパーズ」をはるかに越えた巨大昆虫の不気味さ、
そして何よりも、過去3作中で最小サイズでありながら、
その動きのリアルさや、表情の豊かさでは過去2作をはるかに凌駕するコングのCG…
コングの身体のCGは、とても意地悪な視点で観れば、
ごくたまに「CGっぽいな」と思う箇所もあるのだが、それはあくまであら探しをしたからで、
普通に観ている限り、技術的なことなど、頭の中から消え去るくらいのレベルだ。


何よりもすごいのは、多彩なコングの表情、そして憂いをたたえたコングの瞳だ。
ナオミ・ワッツの濡れた瞳と真っ向から勝負できるほど、
その表情、その瞳はあまりに切なく、そして感情を豊かに表現する。
クリスマスツリーが立ち並ぶ中、アンと氷の上で戯れるシーンは、
個人的には映画史上にも残る、美しいシーンじゃないか、と思ってしまった。
しかし、その表情の豊かさも、過剰な擬人化とは一線を画す。
オーバーアクトではない、ということだ。
いったい誰がこんな演技を、なんて思ったら「ロード〜」で、
ゴラムのCGモデルを演じたアンディ・サーキスだったりする。そりゃ、すごいはず。
この作品では、生身で怪しい船員も演じたりして、こちらも味わい深い演技を披露している。


でもって、俳優陣だってもちろん負けていない。
ナオミ・ワッツに関しては、「21グラム」での、あの圧倒的名演には及ばないが、
オリジナル版よりもはるかに人間的側面が肉付けされたアン・ダロウを、
とても魅力的に、しかも説得力のある演技で、スクリーンに再現した。
なるほどあの瞳、キング・コングならずとも、恋に落ちるよ、という感じ。
きゃあきゃあ叫んでるシーンが多いだけに、難しい面も多かったと思うが、
見事に、数年に一本の大作の格を保ちつつ、見応えのある熱演を見せていた。


楽しみな分、ちょっと心配でもあったカール・デナム役、ジャック・ブラックもいい。
「ハイ・フィデリティ」や「愛しのローズマリー」でも見せた、いかにもなコメディ演技を封じつつ、
コミカルさと情熱、そして人間的魅力と曲がった衝動を兼ね備えた、複雑な人物を、
作品の基本トーンからずれることなく、最後まで演じ上げていたと思う。
考えてみれば、すべてこいつが悪いのだが、単なる悪役ではない。
あふれ出る情熱を持った映画バカの、いい面、悪い面をある意味フェアに描き出している。
ピーター・ジャクソンが、自分を投影してやっているのかと思いきや、実は違うらしい。
パンフレットに載っているジャック・ブラックのインタビューによれば、
あのミラマックスの創立者ハーヴェイ・ワインスタインや、
ダイ・ハード」の製作者ジョエル・シルヴァーあたりをイメージしているらしい。
そう聞くと、「けっこう腹黒い?」なんて思ってしまうのだけれど…


エイドリアン〝ボルゾイ犬〟ブロディの存在感もすごかった。
アンと恋に落ちる脚本家ジャック・ドリスコル役なのだが、これがまたすごい。
最初アンを口説いているあたりは、実生活を思わせる女ったらしっぽさ満々なのだが、
これが髑髏島に移動して、泥にまみれてくると、すべてが一変する。
このヒト、こんなにかっこいいと思わなかった、というくらい、アクションがはまる。
その活躍ぶりといったら、もうこの映画で一番おいしいトコ、という感じ。
ただ、その活躍ぶりと、アンとのロマンスに関しては、
2005年度版「キング・コング」において微妙に突出しすぎている感も多少ある。
作品全体のバランスを乱す、というか、テーマをぼやけさせる。
この作品の数少ない瑕疵として、最後に挙げるつもりだが、
ラストから2番目、キングコングが死んだ後のシーンなどでは、
ブロディの存在感が、微妙にこちらの気持ちを削ぐ部分も否定できない。


残る男性陣では、ハリウッド俳優のバクスターカイル・チャンドラーもなかなか◎。
リトル・ダンサー」の男のコ、ジェイミー・ベルがいい大人になっているのも驚いた。
船長役のトーマス・クレッチマンも、少ない登場場面の中で大きな存在感を示している。
こうした脇役陣でもハズレがないあたり、つくづくこの映画への丁寧な作り込みぶりがうかがえる。


とここまでほめにほめまくったが、気になる点がないわけでもない。
まずは前述した、ブロディ=ドリスコルとワッツ=アンが、
コング死後のエンパイアステートビル屋上で抱き合う場面だ。
後半からは、コングとアンの〝ロマンス〟に主に焦点が当たり、
むしろ〝邪魔者〟の印象も匂うドリスコルなのに、
コングが死んだら、あっという間に抱き合ってしまっては、あまりに救いがない。


あとは最後の最後、ブラック=デナムの「飛行機じゃない。美女が殺したのさ」。
この映画を観る限り、「美女が殺した」というほど、アンはコングを振り回していない。
むしろ、コングの献身にストレートに応えていた感じが強いだろう。
アンに、どこかでこの悲劇を止めることができたか、と考えると、
少なくとも、この作品の流れの中ではそこまでアンに責任を問うのは不自然だ。
それに、コングとて、美女に目がくらんで、ということでもない。
無論、そういう広義での「美女が殺した」という理解もできるとは思うが、
それを〝張本人〟のデナムが言うのも、納得がいかないのだ。


しかし、この2点、確認してみたらオリジナル版そのまま、だったりする。
そう考えると、微妙に批判のパワーも弱まってしまったりもするのだが、
やっぱり、オリジナルに忠実とはいえ、
2005年度版の流れの中では、あの最後の2場面はやはりおかしいんじゃないか、と。
いや、おかしくはないのかもしれないが、僕は微妙に醒めた。
ここらへん、ジャクソン版の解釈で、多少のアレンジがあってもいいのじゃないかと思うわけだ。


と言ってみたものの、この映画でこのテの不満を覚えるのは、
とても贅沢なことだし、とてもわがままな気がする。
だって、その小さな瑕疵をカバーしてありあまるぐらいの魅力が、この映画には溢れている。
だから、これはあくまで要望。
まあ、DVD版で別バージョンラスト、とかつけてくれたらいいかな、という感じだ。


とにかく大興奮と感涙、映画の愉悦のすべてがこもった186分。
しばらく席を立つ気にならないくらい、しびれまくってエンドクレジットを見つめた。
そして、ピーター・ジャクソンに向けて思ったことはもうひとつ。
恐竜100万年」か「ロスト・ワールド」(コナン・ドイル版)もリメイクして!
興奮のあまり、そんなわがままもつぶやきながら、劇場を後にしたのだった。