シネカノン有楽町で「麦の穂をゆらす風」

mike-cat2006-12-07



〝愛するものを奪われる悲劇を、
 なぜ人は繰り返すのだろう。〟
カンヌ映画祭パルム・ドールに選ばれた話題作にして問題作。
〝10分を越える喝采と、とまらない涙。
 名もなき人々の悲しみを描いた名匠の最高傑作に、
 カンヌは審査員全員一致で最高賞を贈った。〟
英国出身のケン・ローチ監督が描いたのは、
大英帝国の弾圧からの解放を目指した、
アイルランド人たちの哀しき戦いの物語。
〝これは「反英国映画なのか」
 英国マスコミを揺るがしたケン・ローチの集大成にして最大の問題作!〟


アイルランド、と聞くとやはり北アイルランド問題やIRAなども含め、
なかなか敷居の高い話題、という印象がつきまとう。
浦沢直樹の名作「MASTERキートン」でそこそこには勉強したけど、
まあ正直、大英帝国による弾圧の歴史については、詳しくは知らなかった。
しかし、それで避けてしまうには、あまりに惜しい作品でもある。
オフィシャルサイトには、映画の背景、用語解説、関係年表まで入った、
「映画を観る前に」なんて洒落たものが準備されているので、
何だかな…なんて感じたら、そちらを参照してもいいかもしれない。


舞台は1920年、大英帝国の弾圧に苦しむアイルランド南部のコーク。
暴力からは目を背け、ロンドンで医学の道を進むつもりだったデミアンは、
英国が派遣した治安警察補助部隊「ブラック・アンド・タンズ」の、
目に余る非道な行為をきっかけに、兄テディとともにレジスタンス活動に身を投じる。
さまざまな犠牲に目をつぶり、熾烈な戦いを続けた兄弟は、
いつしか〝偽りの自由〟をめぐって、対立を深めていくのだった−。


タイトルの「麦の穂をゆらす風」は大英帝国への抵抗を歌う伝統歌にちなんだもの。
映画の序盤では、700年もの間アイルランドを弾圧し、
搾取を続けた大英帝国の非道ぶりが、痛ましいまで強烈に描かれる。
冒頭、デミアンの幼馴染みのミホールが、不当な取り締まりに対し、
英語の名前を口にしなかったばかりに、母親の目前で嬲り殺される。
そして、女や子供、老人にも容赦のない暴力に拷問、焼き打ち、処刑…
大英帝国の威を借る小役人の姿には、人間の卑しさや愚かさがにじみ出る。


だが、〝そんな大英帝国に立ち向かった、勇気ある男たち〟
という単純な図式では、この作品は終わらない。
何のために戦うのか−
苦しい戦いはいつしか、そんな原点から男たちの気持ちを遠ざける。
目的と手段はずれ、現実と理想は乖離していく。
貧しい人々のためのレジスタンス活動が、富裕層のための妥協案への変わっていく。
昨日の同志がきょうの敵となり、最後は同胞の血で互いの手を汚してしまう。
〝偽りの自由〟がもたらした、兄弟の対立は、やがて、哀しい末路にたどり着く。
戦いを通じて、こころに傷を負ったデミアンの最後の意志は、
感動や美化から一線を引き、深い哀しみと複雑な余韻を観るもののこころに残す。


デミアンを演じるのは、自身コーク出身というキリアン・マーフィー。
バットマン・ビギンズ」「28日後…」などで強烈な印象を残す個性派だ。
葛藤を抱えながら戦いに身を投じ、
そして越えてはならない一線を越えてしまうデミアンを、哀切たっぷりに演じている。
兄のテディや、恋人のシネードを演じたほかの面々も、
初めて見た俳優ばかりだが、その魂のこもった演技には圧倒されるばかり。
ケン・ローチ作品ではお馴染みの撮影監督バリー・アクロイドが映し出す、
アイルランドの草原は、そこで起こった悲劇と合わせ、忘れ得ぬ風景となるだろう。


とまらないのは、感動の涙というより、哀しみの涙だ。
そして、胸に残るのは、ある種の虚脱感でもある。
安っぽい感動がない分、それは強烈なまでに、観るものの胸を貫く。
傑作という言葉はちょっと当てはめにくい。
だが、決して忘れることがないであろう、凄みを感じる作品だった。