トマス・H・クック「緋色の迷宮 (文春文庫)」

mike-cat2006-09-13



〝家族の写真はいつでも嘘をつく〟
〝息子が、兄が、犯人なのか…
 不安と猜疑心の奔流に押し流され、たどり着いた驚愕のラストとは〟


アメリカ東部の小さな田舎町ウェズリー、
町にひとつしかないショッピングセンターで小さな写真店を営む〝わたし〟。
ティーンエイジャーの息子に、幼女誘拐の疑惑がかかる。
時を同じくして、ぎくしゃくしていく夫婦関係。
〝わたし〟の生まれ育った家族にまつわる過去が重なり合う中、
事件は解決しないまま、いまの家族も音を立てて崩壊していく。


蜘蛛の巣のなかへ (文春文庫)」で〝復活〟したクックの最新作だ。
物事に向き合うことを恐れ、逃げてばかり〝わたし〟が図らずも物事に直面する。
このあたりの主人公の葛藤は、「蜘蛛の巣〜」にも近しいといえそうだが、
多層的にドラマを描く、その切れ味はもう、
完全に往年の(というか、「記憶」シリーズの頃の)クックのレベルだ。


物語は、〝何か〟があったらしい後の回想の形を取る。
〝あの最後の死が起こった晩、「ニュースまでには帰る」と彼は言った。〟
謎めいた一文がさり気なく挿入され、読者は謎を抱えたまま、事件の経緯に触れる。
そして、物語が語られていく中で、その〝謎〟は次第に明らかになっていく。
いかにもクックらしい、巧さが光る語り口といっていいだろう。


そして、物語全体を覆う、暗い感情が何とも深い味わいをもたらす。
息子に投げかけられた疑惑、そして親子の不信の中で、
「すべてが崩壊してしまう」と嘆く妻メレディスとの関係にも、破綻が生じ始める場面だ。
この時〝わたし〟は、夫婦関係について、ふと思う。
〝人生の半分は否認であり、たとえ愛する相手でも、相手のなかに何を見るかではなく、
 何に目をつぶるのかがわたしたちの関係を支えているのだということを、
 その後、わたしは学ぶことになるのだが。〟


投げかけられた疑惑が呼び起こす波紋にも、〝わたし〟は苦しむ。
〝〈疑惑は酸のようなものだ〉ということをわたしは知っている。
 それはふれるものをなにもかも腐食させる。
 物事の滑らかな、きらきら光る表面にくい込んで、拭いがたい痕跡を残す。〟
たとえ問題が解決しても、元のままには戻れない切なさが胸を打つ。
そして、人間不信がもたらす結論は、ある意味で切ない真理にもつながる。
「だれにせよ、人を知るなんてことができるんでしょうか?」
見えてくる光も無残に踏みつぶす、救いのないラストも含め、
クックらしいダークさに満ちた物語世界が、何とも言えない余韻を残すのだ。


「蜘蛛の巣〜」には微妙な不満も覚えたが、今回は完全にクックにしてやられた感じだ。
一時のような翻訳ラッシュは望まないが、
やはりクックは、今後も安定ペースで刊行して欲しい作家だな、と再認識させられた。
この本も、間違いなく、〝買い〟といっていいだろう。


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緋色の迷宮
緋色の迷宮
posted with 簡単リンクくん at 2006. 9.12
トマス・H.クック著 / 村松 潔訳
文芸春秋 (2006.9)
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