敷島シネポップで「X-MEN:ファイナル ディシジョン」

mike-cat2006-09-12



気付いてみたら「3部作完結編」だった、というX-MEN最新作。
とはいえ、ウルヴァリンヒュー・ジャックマンあたりが登場する、
オリジナルのシリーズはこれにて終了ということらしい。
新シリーズはアイスマンとかパイロあたりが主軸だとか…


今回は「ファイナル・ディシジョン」ということで、こんな公開コピーだ。
〝世界は、選択で創られ、選択で滅ぶかもしれない。〟
まあ、理解はできるが、ちょっと無理矢理という感じだろうか。
何せ、原題は〝X-MEN: THE LAST STAND〟。つまり、最後の抵抗なのだ。
観終わってみれば、やはり原題の方が正確な気もするのは確かだ。


ミュータントと人間の共生は、進歩と後退を繰り返す毎日。
そんな中、「ミュータントは病気」と主張する企業が、
ミュータント因子を除去し、普通の人間にしてしまう〝治療薬〟キュアを開発する。
ミュータント社会も揺れる中、マグニートー率いる〝ブラザーフッド〟は、
人間側による弾圧の臭いをかぎつけ、反発を強めていく。
一方、前回の戦いでプロフェッサーの右腕でもあるジーン・グレイを失った“X-MEN”。
哀しみから立ち直れないサイクロプスは、
自らを呼ぶ幻の声に導かれるまま、彼女が散ったあの湖へと向かうのだが…


監督は前2作までメガホンを取ったブライアン・シンガーが、
スーパーマン・リターンズ」に流れたため(好判断?)、ブレット・ラトナーが引き継いだ。
羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ)「ハンニバル」(リドリー・スコット)とは一線を画し、
レッドドラゴン」をいい意味でも悪い意味でも、娯楽作品に仕立て上げた人物だ。
レッドドラゴン」は、面白いけど重厚感に欠ける、という印象だったが、
“X-MEN”シリーズでも、その傾向はやや強い、という感じだろうか。


ストーリーとしてのまとまりは悪くない。
3部作に共通するテーマでもある、
差別や偏見と闘い、人間との共生を図るミュータントの姿や、
一方で、人間側の矛盾を断罪するマグニートーたちの論理も、しっかり描かれる。
テンポも悪くないし、アクションシーンにも売り物になる場面は多い。
はっきりいって、かなり面白い映画には仕上がっている。
一級品のエンタテインメントといってもいいはずだ。
これは間違いなく、ラトナーの手腕によるものだろう。


だが、あとひとつスケール感がないのも確かなのだ。
スペシャル感や、質感という言葉で言い換えてもいいのだろうか。
問題を投げかけるだけでよかった前2作と比べ、
広がるだけ広がったテーマをまとめなければならない不利は認めるが、
それでも、何となくもうひと味足りないな、という部分は否めないのだ。
もちろん、あくまでかなり高いレベルでの要求ではあるのだが…


ついでにいうと、〝ニヤリとさせよう〟と思ったであろうラストも、やや蛇足かと。
確かに伏線も張ってあったし、次のシリーズへのつなぎの意味もあるんだろうけど、
やややり過ぎに感じてしまった人も、決して少なくないと思う。


物足りなさは、ウルヴァリン=ジャックマン、ストーム=ハリー・ベリーといった、
既存の〝スター〟と比べ、今回登場のメンバーのイマイチ感にもあるのだろう。
ヴィニー・ジョンズ演じるジャガーノートあたりではどうにも役不足の感が強い。
個人的には「ハード・キャンディ」のエレン・ペイジ演じるキティ・プライドなんかは、
けっこう好きだったりするのだが、ほかの新メンバーはどうも…なのだ。
レベッカ・ローミン(=ステイモスがなくなった)もだいぶボディラインが崩れたようで、
前2作まで異彩を放っていたミスティークも、今回はちょっと印象薄の感じだ。
すっかりそこら辺のお姉さんになってしまったローグ=アンナ・パキンも、
〝キュア〟がらみで登場場面は多いのだが、何となく輝きがなくって残念だった。
いろいろ考えると、すべての原因は、ジャックマン&ベリーに帰着するのだろうか。
2大スターのギャラやステータスに映画そのものがバランスを失ってしまった気がする。


と、書き連ねていくと、何だかつまらなかった映画に思えるが、
何度も書いている通り、アメコミ系アクション映画としてはかなりレベルは高い。
それだけは間違いない。それに、普通に面白い映画であることも確か。
不満を書き連ねてしまうのは、
あくまで〝X-MEN〟だから、高めの期待値を設定してしまったから、というのが要因だ。
3時間超の長尺にして、もっともっと作り込む手もあるだろうが、
それはあくまでマニア向けだろうし、娯楽大作映画としてはこれが正解なのだろうと思う。
何だか釈然としないが、一応そんな感じで自分を納得させてみたのだった。