九条はシネ・ヌーヴォで「ザ・コーポレーション」。

mike-cat2006-04-14



わたしたちの社会は「企業」に支配されている−。
国境を越え、思想をまたぎ、現代世界を動かすグローバル企業。
法のもとに人格化された〝法人〟である、
企業の生い立ち、そしてその異常な〝人格〟が引き起こす弊害を、
独特のユニークな切り口で暴き出し、分析する。
サンダンスなど、各映画祭の話題をさらった、ドキュメンタリーの意欲作だ。


ボリビアでは米景気業に買収され、民営化された水道会社が、人々の水を奪う。
ホンジュラスインドネシアなど貧しい国では、劣悪な環境下で幼い子どもたちが搾取される。
インドでは、生命にまで及ぶ特許の過当競争が、伝統的な農業や食生活を疎外する。
ナイジェリアでは、環境を度外視した石油開発が、地球規模の環境破壊を生み出す
米国では、企業によるメディア支配が進み、事実を隠蔽、歪曲した報道が国民を欺く。
TVから垂れ流されるコマーシャルは、人々の健康をも無視し、従順な消費者を創り上げていく…


これらは決して、はるか海の彼方のできごとではない。
例の姉歯建築士の違法建築や、JRの尼崎の列車衝突、
日本ハムなどによる牛肉偽装、雪印が引き起こした大量食中毒…
モラルを失った企業による、人でなしな振る舞いは、記憶に新しい。


企業を構成するのは人間。だが、その行動倫理は、個の倫理を凌駕する。
すべては企業の、ひいては株主の利益のため。
より多くのカネを生み出すため、搾取と破壊を続ける怪物、それが企業だ。
映画で、フランケンシュタイン博士を襲う人造人間にもなぞらえられる、その人柄は、

  • 他人への思いやりがない
  • 利益のために嘘を続ける
  • 人間関係を維持できない
  • 罪の意識がない
  • 他人への配慮の無関心
  • 社会規範や法に従えない。

心理学的に診断すると「人格障害」である。
つまり現代社会は、サイコパスによって支配されている、という恐ろしい状況にあるのだ。
しかし、そのサイコパスは巧妙に、そして大胆にわれわれ消費者の目を欺き、
時にはメディアすら自由に操り、企業の都合のいい方向へ、世の中を導いていく。


「そんな、オーバーな…」と、いう意見もあるかも知れない。
だが、いまある現状認識を、もう一度あらためてみれば、決して杞憂とは笑い飛ばせない。
あのポール・ヴァーホーヴェンが「ロボコップ」で示した、
企業の利益のためには、人々の安全や生命までも平気で踏みにじられる世界が、
もしかしたら、もうすぐそこまで迫ってきているかもしれないのだ。


映画の中で、ある運動家が語る。
「少なくとも政府に対しては、選挙などを通じて働き掛けができる。
 でも、株を持っていないわれわれには、企業に働き掛ける手段はない」。
そう、企業がひとたび暴走を始めれば、ある意味政府よりも危険な存在にもなり得るのだ。
不買運動、デモ活動などは時に勝利をもたらすが、それとて絶対的な手段ではない。
訴訟すら、カネにものを言わせた企業弁護団の前には、時に無力となるのだ。
この背中が凍りつくような感覚、興味深いというには、あまりに恐ろしすぎる。


また、映画では二次大戦前のドイツで、
ファシズムの台頭に米国企業が大きく関与した事実や、
企業が主体となって、クーデターを企てた事件などを例に挙げ、
企業とファシズム危険な関係を取り上げている。
衝撃的なのは、ホロコーストの運用にIBMが大きく〝貢献〟した事実や、
「ファンタ・オレンジ」の意外な来歴なども披露され、これまた衝撃を受ける。
ある意味、ファンタ・オレンジのようなものに、
映画で取り上げられたたような来歴があることを知ると、
その〝普通〟に隠された巧妙な意図なんかが感じられて、不信感は募る。
この映画が伝えてくるメッセージは、的確にして、あまりに重い。


だが、映画から発せられるメッセージは、決して悲観論ばかりではない。
映画の中で再三登場する、
ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」のマイケル・ムーアが、
映画の最後で語るひとことが、とても印象的だ。
「この映画を見たら企業の連中はこういうだろう。
 〝見たって誰もなんとも思わないだろう〟
 〝消費者は我々に骨抜きにされてきた〟
 〝政治活動のために、カウチから起き上がることもないだろう〟
 だが、俺は人々がこの映画を見て立ち上がり、行動すると信じている。
 世界を我々の手に戻すために」
それは理想論でもあるが、決して実現不可能な絵空事でもない。
何かできることがないか、考える。すべてが手遅れになる前に…
そんな思いを強く抱かせる、前向きな面も、この映画の中には織り込まれている。


映画そのものの作りとしては、
エピソードとメッセージを詰め込みすぎで、カチャカチャした印象も強い。
145分という、なかなかの上映時間だが、
もともとは3時間枠のTVドキュメンタリーとして準備されていた題材なので、
やはり駆け足となってしまっているのだろう。
90分枠の番組で、3回続きぐらいでシリーズ化すれば、ちょうどうまく収まるのでは、という感じだ。


だが、この映画にはそのテクニカルな欠点を補ってありあまる魅力と、パワーがあるのも確かだ。
DVDを買うには、ちょっと重過ぎる感はあるが、家でじっくり観てみたい気もする。
まあ、とりあえずは、と思い、ジョエル・ベイカンによる原作本
ザ・コーポレーション」を買い込み、劇場を後にするのだった。