ダン・ブラウン「パズル・パレス (上)」「パズル・パレス (下)」

mike-cat2006-04-10



〝『ダ・ヴィンチ・コード』の原点がここにある。
 知的スリルと興奮に溢れ、すでに完成されていたデビュー作!〟
というわけで、あのダン・ブラウンの本邦未訳だった処女作だ。
ロバード・ゴダードあたりが顕著だったが、
日本でヒット作が出ると、過去の未訳作品がゾロゾロと刊行される。
たいていはまあ、さすが誰々! みたいな作品ではあるのだが、
やっぱり、玉石混交は免れないわけで、往々にしてハズレにも出会う。


ダン・ブラウンに関していえば、ラングドン・シリーズから離れた
デセプション・ポイント 上」「デセプション・ポイント 下」なんかも面白かったので、
まだ裏切られた経験はないのだが、このデビュー作はどう見ても、
上下巻で出すようなボリュームには見えないのに、薄めの上下巻で3600円也。
やっぱり角川って、あまり信頼おけない出版社だな…、
なんて思いもよぎりつつ、本を開いてみたわけなのである。


しかし、コストパフォーマンスはともかく、この小説は面白い。
原題の〝DIGITALFORTRESS(デジタルの要塞)〟と名付けられた、
解読不可能な暗号ソフトをめぐる、タイムリミット・サスペンス。
プロットのひねりは「ダ・ヴィンチ〜」や「デセプション〜」ほどじゃないが、
その駆け抜けるようなスピード感、そしてスリルは抜群だ。
なるほど、オビの〝すでに完成されていた〟は、伊達じゃない。
うかつに夜、読み出すのは禁物だ。次の朝には間違いなく、睡眠不足に見舞われる。


国家安全保障局、NSAの暗号解読課、
そこは世界最大の諜報機関にして、暗号学の最高峰「パズル・パレス」。
その暗号課の主任を務めるスーザンは、
NSAに協力している大学教授デーヴィッドとの婚前旅行から、急きょ呼び戻された。
理解ある上司、ストラスモア副長官が告げた緊急事態。
それは、解読不可能な暗号ソフトがもたらす、世界的な混乱の危機だった。
地球上の全通信を傍受・解読できるスーパーコンピュータ「トランスレータ」をめぐる、
虚々実々の攻防が、いま始まろうとしている−。


コンピュータがらみということで、多少敬遠する向きもあるだろうが、
この小説が刊行された1998年ならともかく、
この2006年においては、平均的なコンピュータの知識があれば、
だいたいの言葉の意味は理解できるし、
その場面場面が抱えた緊迫感も、きっちりと伝わってくる。
訳者あとがきにも出てくるが、この小説に出てくるトランスレータは、
その後存在が明らかになった傍受システム、エシュロンや、
ブッシュ大統領(息子)による無制限な電話盗聴許可などなど、
現実の世界の出来事を予見するような内容にもなっている。


スーザンの立場についても、なかなか微妙な部分がある。
何せ、ヒロインとはいえ、ひとのプライバシーを盗み見る情報機関の手先なのだ。
作品では、ラテン語による一節が引用されている。
〝Quis custodiet ipsos custodes〟「誰が番人を監視するのか」
優れた傍受システムが、テロ計画などを未然に防ぐ例はもちろんある。
だが、完全な監視社会がもたらすもの、それは決して理想郷ではない。


ある登場人物の叫びだ。
「政府は国民の利益のために働いているって? ご立派だな!
 だけど、いつの日か、国民の利益を考えてない政府ができたらどうなるんだ!」
1998年のクリントン政権なら、いざ知らず、
いまのブッシュ政権が国民の利益を本当に考えているのか? 考えただけで恐ろしい。
そうして考えると、NSAの組織を守るべく奮闘するスーザンの姿も、
あまり単純な視点で見られなくなるのが、これまたなかなか味わい深いところだ。
ダン・ブラウンは、このダブル・スタンダードを用いて、
読者を混乱に陥れ、さらなるスリルとサスペンスの中へと誘っていくのだ。


でも、詳細なリサーチで知られるダン・ブラウンにしては、なのか、
反「ダ・ヴィンチ・コード」本で叩かれまくってるダン・ブラウンらしい、とこなのか、
ちょっと違和感を感じる部分もないわけではない。
作品にある日本人が登場するのだが、この名前がすごい。
エンセイ・タンカドに、トクゲン・ヌマタカだ。
沼高さんぐらいなら、何とかなるけど、丹角さんって何よ? って感じだ。
訳者あとがきによれば、日本に関する事実誤認はかなりあったらいい。
いっそのこと、一切の修正なしでお届け頂いた方がよかったかも、なんて気もする。


まあ、そこらへんはともかくとして、一気読みは必須の娯楽大作。
ハードカバーの上下巻を買うかどうかはともかく、
少なくとも文庫で出たら、必読といってもいい作品だろう。
ラングドン・シリーズの最新作(執筆中らしい)に、
映画版「ダ・ヴィンチ・コード」(トム・ハンクスが微妙な気もするが…)と、
しばらくダン・ブラウン・フィーバーは続いていくようだ。

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