道頓堀松竹角座で「スタンドアップ」

mike-cat2006-01-20



セクシャル・ハラスメント法制定のきっかけとなった、
「エベレス鉱山対ルイス・ジョンソン」の訴訟から着想を得たドラマだ。
原作本として、クララ・ビングハムとロウリー・リーディー・ガンスラーの
〝CLASS ACTION〟(集団訴訟)が、挙げられている。


舞台は1989年のミネソタ。原題の〝NORTH COUNTRY〟だ。
ジョージー・エイベス=シャーリーズ・セロンは2児の母。
夫の暴力に耐えかね、子どもとともに故郷の鉱山町に舞い戻った。
選んだ仕事は、友人のグローリーから薦められた鉱山作業だった。
だが、そこは女性に仕事を奪われまいとする男たちの巣。
絶え間のない、そしてあらゆる種類の嫌がらせがジョージーに襲いかかる。
同じ鉱山に務める父親すら、理解を示そうとはしない。
職場の同僚たちは泣き寝入りを続けるばかり。
物言うジョージーに対し、嫌がらせはますますヒートアップする。
レイプまがいの事件が起きたとき、ついにジョージーは立ち上がる。
だが、それはあまりに孤独な戦いの始まりだった−。


まず、時代背景に驚かされる。
前述の通り、1989年、である。
60年代、70年代ではない。ほんの10数年前だ。
いわゆる女性の社会進出(適当な表現とはいえないが、一応こう書く)は、
そんなに進んでいなかったのだろうか、と不思議な気持ちになる。
いくら田舎町ミネソタの鉱山といっても、やはり信じられない。
映画のイントロで、データが示される。
鉱山では75年に女性を初採用、89年当時でも男女比率は30分の1だったという。
重労働でもあるし、いわゆる男職場、というやつだ。
女性の数が圧倒的に少ないこと自体は、容易に理解できる。


だが、映画で描かれる女性蔑視、そして嫌がらせ
(いや、嫌がらせという甘い言葉で片付けられるものではない)の数々は、
もう、見るに堪えない。まさに理解の範疇を越えたものだ。
まずは採用に当たっては、妊娠検査が義務付けられる。
当然、いいカラダしてる、してない、は医者の口からすぐに広まる。
職場に入れば、卑猥なジョークにお触り、レイプまがいのお迫りは日常茶飯事。
まるで、西部劇の時代を見るかのような思いに浸ってしまう。
いや、異常なまでに陰湿で、組織化されている分、もっとたちが悪い。
しかし、やはり時代は1989年。
そして、映画は基本的に現実の事件をもとに作られている。
スクリーン上の〝男たちの行為〟は、決して昔話ではないのだ。


時には、人間の尊厳を脅かされるような事態も起こる。
だが、周囲の女性たちは、基本的にあきらめの境地だ。
むしろ、騒ぎ立てることで一層男たちをヒートアップさせるジョージーに、非難の目を向ける。
レイプまがいの行為すら、町の噂では「あのアバズレが誘った」となる。
ジョージーの両親すら、わざわざ「男の職場」に入っておきながら…、
と、まるでジョージーの方に責任であるかのように、責め立てるのだ。


ちなみに、「男の職場に入っておきながら…」のエクスキューズは、
現在においても使われるフレーズかもしれない。
だが、それは100%の間違いだ。
もともとの労働人口の男女比率ともかけ離れた職場は存在する。
そして、当然その世界は、男たちにとってのみ、
過ごしやすく、都合がいいような職場環境に特化していく。
ある意味、それは自然な流れでもあるだろう。
だが「男の職場」が本当に「男の職場」たる由縁は、あくまで過去の経緯に過ぎない。
女性が働きづらい環境を改善しない理由には、まったくもってならないのだ。
新たに、女性が入ってきた時点で、状況を改善しない理由にはならない。


話がずいぶんと寄り道したが、
とにかくジョージーにとって状況は四面楚歌なのだ。
だが、ジョージーは理不尽に対し、屈することなく立ち上がる。
そして、自らを信じ、最後まで戦い抜く。
そのジョージーを力強く演じるシャーリーズの演技が、深い感動を呼ぶのだ。
アカデミー賞主演女優賞を獲得した「モンスター」ほど鮮烈とは言い難いが、
子どもたちへの愛情あふれる眼差し、強い意志を感じさせる表情は、
まさに名女優の域に達した感すらある。


脇役陣も見逃せない。
友人のグローリーを演じたフランシス・マクドーマンド
その夫カイルを演じたショーン・ビーンが、作品の味わいを濃厚に引き立てる。
「ファーゴ」での名演が忘れられないマクドーマンドは説明もいらないだろう。
印象的なのは、あの悪役面ショーン・ビーンの名演だ。
衝撃の事実にぶち当たり、母を罵倒したジョージーの息子に対し、
一人の友人として、切々と語りかける。
頭ごなしでもなく、迎合するでもなく、少年の気持ちを受け入れ、
少年の未整理な感情をうまく導いていく。その演技は、まさに称賛に値する。


リチャード・ジェンキンズ演じる、父ハンクもいい。
「ディック&ジェーン 復讐は最高」「メリーに首ったけ」など、
コメディでの活躍が目立つジェンキンズだが、ここ一番で立ち上がったその姿が、とてもいい。
ストーリー全体を見ると、最初のころに見せる無理解は、
頑固というよりバカそのものだし、立ち上がるタイミングも遅きに失している。
ただ、最後は魅せる。
それは、最初は耐える妻に甘んじていた母アリス役のシシー・スペイセクも同じ。
彼女の小さな反乱が、すべてのきっかけとなっていく。


ジョージーの男出入りから、過去の経歴までチクチクと攻め立てる
企業側の嫌味な女性弁護士を演じたリンダ・エモンドの演技も絶妙だ。
最初は単なる〝女の敵は女〟なのだが、
巧妙にして陰湿な男たちの手口に、次第にその表情が微妙に変化していく。
わざわざ過剰に男性遍歴を攻撃してみたり、過去の事件を取り上げたり…
ジョージーへの敵対行動の中に、どこか自爆を試みるような部分が感じられる。
それが〝男側〟の女性弁護士として、精いっぱいの抵抗のようで、何となくいいのだ。


嫌がらせの舞台ではあるものの、
ミネソタの鉱山を中心とした風景の美しさも格別だ。
くすんだ鉱山の町との対比で描かれる、自然の姿はこころに深く染み込む。
住民の生活と密着に結びつくアイスホッケーも、愛情を持って描写されている。
同じくアイスホッケーを愛する僕としては、うれしい限りだったりする。


と、ここまでいいことばかりを並べてきたのだが、
そうした俳優陣の健闘が光る一方で、作品自体にはアラも多い。
まずはウディ・ハレルソン演じる弁護士ビル・ホワイト。
かつては町が生んだ伝説的なホッケー選手で、以前はNYの第一線で活躍していたという。
それが町に舞い戻ったわけだが、その説明は何もない。思わせぶりな態度だけだ。
ジョージーの弁護を受けた理由も「これが初めてのセクハラ集団訴訟だから…」
もう少し気の利いた理由はないのか、と白けてしまうこと請け合いだ。


ジョージーへの嫌がらせ描写の執拗さは、ある意味バランスを欠いているし、
脚本の流れ自体も、少々冗長な部分は否めない。
ジョージーを聖人君子に描く必要もないけど、
苛立つジョージーが周囲に当たり散らす場面を描いておきながら、
それに対する決着を曖昧にするなど、消化不良な部分も多い。
前述のホワイト弁護士の件も含め、要素を詰め込み過ぎなのも、マイナスだ。
それぞれが未整理なままに終わるので、カタルシスがいまひとつ味わえない。


そして映画としての最大の欠点は、裁判のクライマックスにある。
流れを握るポイントで、倫理観に強く訴えかけると、事態が急変する。
「ア・フュー・グッド・メン」と並ぶくらいの安直さ。
それで解決するなら、最初からこんな問題は起こらない、とさえ思ってしまう。
そして裁判の流れが変わると、途端にジョージーに追随する面々が現れる。
2人目、3人目までは感動もするが、それが4人、5人と続くと、
まさしく〝尻馬に乗る〟という印象ばかりが強くなってくる。
安全を確認してからしか立ち上がらない、勇気のない、卑怯な連中だ。
こいつらがもっと早く立ち上がっていれば、
ジョージーはここまで苦しむ必要はなかったのに…、と思うと感動などどこへやらだ。


ただ、この映画が語りたかったことは、あくまでジョージーひとりの意志がメインであるし、
この映画の最大の魅力は、主演のシャーリーズ・セロンを始めとする俳優陣の名演だ。
メッセージや、演技がよかったからこそ、
作品としてのテクニカルな部分をもっとちゃんとして欲しかったというのが率直なところではあるが、
逆にいえば、テクニカルな面はあくまでこの作品の本質そのものからはずれる気もする。
それですべてが許されるわけではないが、
それらの欠点をもってダメな映画とするには、ちょっとしのびなかったりするのだ。


そんなわけで、非常に複雑な想いを残すこの作品。
アカデミー賞最有力、との(日本での)キャッチフレーズには少々疑問を投げかけたい。
だが、ショーン・ビーン助演男優賞とか、シシー・スペイセク助演女優賞には大賛成。
その演技だけを観に行っても、十分採算が取れる(ゲスな物言いだが…)映画ではある。
決して傑作ではないのだが、こころに残る一本となった。