道頓堀松竹角座で「レディ・イン・ザ・ウォーター」

mike-cat2006-10-02



〝彼にとって、今日は昨日の繰り返しだった。その日までは−〟
シックス・センス」「サイン」のM.ナイト・シャマラン最新作は、
プールの中から現れた女性をめぐる、小さな娘たちに向けたおとぎ話。
サイドウェイ」「アメリカン・スプレンダー」のポール・ジアマッティを主役に、
「ヴィレッジ」「マンダレイ」のブライス・ダラス・ハワード
未知との遭遇」「ゴーストワールド」のボブ・バラバンという、渋めの配役が光る。


クリーブランド=ジアマッティは、フィラデルフィアのありふれたアパートの管理人。
その日常は、風変わりな住人たちの、苦情処理と世話に明け暮れる単調な毎日。
しかし、ある事件を境に、クリーブランドの人生は大きく変わる。
敷地内のプールから現れた1人の女性は、おとぎ話の世界の〝水の精〟だったのだ−。


シャマラン映画というと、出世作シックス・センス」のアレを頂点に、
物語の根幹となる部分に、秘密をあしらい、観るものをあっと言わせるのが常套手段。
それは「アンブレイカブル」や「サイン」「ヴィレッジ」でも、貫かれてきた。
当然、「今回も…」と予想し、ネタがばれてしまうのを恐れ、
映画館での予告もティーザー以外は目をつぶってやり過ごしてきた。


それなのに、なのである。
今作の一番のサプライズは何と、ネタバレするようなネタがない、というオチだったのだ。
エンドクレジットが始まり、しばらくウンウンと悩む。
気付かない何かがあったんだろうか、まさか、観たまんまのお話のわけが…
散々悩んで、一応の結論が出た。
やっぱり、(シャマランにしては)何のひねりのない、観たまんまのファンタジーに過ぎない。
それも、背景説明はナレーションと、昔話を語るオバさんにお任せ、というイージーな手口。
正直なところ、シャマランならでは、のサプライズの部分に関しては、肩透かしそのものだ。


もちろん、凝りに凝ったカメラワーク、そして練りに練った脚本はさすが、である。
揺らめく水の中から、窓の外から、下から、上から…と、効果的に変化するアングル、
光と陰を印象的に使った照明のマジックなど、シャマランの完璧主義が随所に見えてくる。
終盤で見せるひねりが、当初から見え見えなのは残念だが、
緊迫感とちょっとしたユーモアが、緩急をつけてテンポよく流れる脚本も然り、だ。


ドラマの部分に関しても、これまでの作品同様、力強いテーマが浮かび上がる。
単調な毎日を繰り返す、さえない男のクリーブランドが抱えるある秘密。
〝水の精〟との出会いを通じて、一度は失われた魂が再生していく様は、とても美しい。
風変わりな住人たちが、その善なる部分を見出していく過程も、
過去に何度も描かれてきたテーマではあるが、丁寧に、心をこめて描写されていく。


数々の名演でならしたジアマッティの演技はもちろんのこと、
ハワード演じる〝水の精〟は、映画のミステリアスな雰囲気作りに大きく貢献しているし、
ジェフリー・ライト(「シリアナ」「ブロークン・フラワーズ」)や、
フレディ・ロドリゲス(「ポセイドン」)も、独特の存在感で映画に深みを加えている。
そして何より、嫌味な映画評論家を演じるボブ・バラバンが、抜群のユーモアをもたらす。
毎度お馴染み自分で出演のシャマランは、今回もかなり大きな役で登場する。
地味ではあるが、いいキャストを揃えたな、という印象はかなり強いといっていいだろう。


こうして内容を振り返ると、よく作り込まれた〝普通にいい映画〟ということがわかる。
だが、観る側としてみれば、M.ナイト・シャマランという看板がある以上、
何らかのサプライズがないと、満足できないというのが、正直なところだ。
それは、シャマラン自身が「違う種類の映画」といっても、しかたのないところだ。
シャマラン自身は「どんでん返しはない」と公言していたようだが、
ティーザー予告や、チラシの惹句を観る限り、
プロモーションでは「あのシャマランの…」という煽りを存分に使っているのだ。
ちょっと厳しい言い方にはなるが、観客が勝手に期待した、という言い訳は通用しない。


まあ、どんでん返しを期待しないで観に行けば、それなりには満足できるだろう。
ただ、「シックス・センス」よりむしろ、「ヴィレッジ」「アンブレイカブル」が大好きなファンでも、
この作品に対する評価は、ちょっと微妙かもしれないな、と勝手に思ったりもする。
基本の物語がストレートそのものでも、もう少しだけひねることはできなかったのか。
それを怠ったのか、あえてしなかったのか、実際のところはよくわからないが、
観る側としては率直にもの足りない部分を感じざるを得ないな、と、感じたのだった。