敷島シネポップでかけこみ映画「エリザベスタウン」。

mike-cat2005-12-01



あの頃ペニー・レインと」「ヴァニラ・スカイ」のキャメロン・クロウ最新作。
会社に壊滅的な損失を与えた靴デザイナー、ドリュー=オーランド・ブルームは、
彼女にも捨てられ、自らの命を絶つべく、着々と準備を進める。
しかし、そんな時かかってきた「父が亡くなった」との電話。
里帰りしていたケンタッキー州エリザベスタウンで亡くなった父を引き取るべく、
自殺を延期して、オレゴンからエリザベスタウンに向かうドリュー。
その機内でドリューは、キャビンアテンダントのクレア=キルスティン・ダンストと出逢う。
父を愛した故郷エリザベスタウンの人びと、そしてクレアとの交流を通じて、
ドリューは自分の人生を取り戻していくのだった。


不満を覚えるヒトもいる映画だと思う。
まず、あまりにメランコリックな雰囲気。
そして、終盤のクライマックスの冗長さ。
そして、観るヒトによっては押しつけがましく映るクレアの行動だ。
かなり否定的な見方をすれば、もう失敗作の次元ともいえる。
だが、この映画、思い入れを持って観ると、
その問題部分が、むしろ味わいになってくる、不思議な映画なのだ。


まあ、メランコリックな雰囲気、に関しては好みの点もあると思う。
あの「セイ・エニシング」よりも、さらにメランコリックだ。
ドリューの〝こころの旅〟はかなり、うじうじ&めそめそだ。
正直言って、仕事上の失敗で死ぬことはなかろうに、と思う。
いわくfailure(失敗)ではなく、fiasco(大失敗)だそうだから、
その間には大きな差があるのだと言うが、それでも…、なのである。
だが、キャメロン・クロウのマジックは、
その甘い、甘いメランコリックな雰囲気を、極上の叙情に変えてしまう。


ホリーズトム・ペティ&ハート・ブレイカーズエルトン・ジョン
ライアン・アダムズ、フリートウッド・マックU2
それぞれの意味を知らなくても、その音楽に身を委ねるだけで、
目の前で展開するドラマが、とてつもなくいとおしいものになってくる。
たぶん、その曲その曲の持つ意味がわかっていれば、もっと味わいは深くなるのだろう。
これまでのクロウ映画同様、本当にうまく音楽が使われている。
確かに過剰にメランコリックではあるのだが、「そういう映画なんだ」と、
それはそれで受け入れてしまえば、むしろ心地よく感じられるのだ。


クライマックスの冗長さも同様だ。
クレアはCD付の特製地図を差し出し
「音楽を連れて旅に出るのよ」と、ドリューを送り出す。
エルビス・プレスリーマーティン・ルーサー・キングの軌跡を訪ねた、
メンフィスなどのシークエンスは、長さを感じつつも食い入るように観てしまう。
そこには、クロウのこだわりがとても強く感じられる。
無難なことしかしない人間は、
フィアスコ(大失敗)にも見舞われないが、偉業を果たすこともない。
映画の中で語られるメッセージ同様、無難さに身を落とすことのない、
クロウの挑戦的な映画作りが伝わってくる、と書いたら書きすぎだろうか。


で、押しつけがましいまでのクレアの行動だ。
飛行機でドリューに目をつけたクレアは、
あの手この手でドリューを励ましつつ、恋心をアピールしていくのだが、
この行動を、どうとらえるか、というのは非常に微妙なところだ。
そりゃ、ジャスト好みの女性から、こうも熱烈にされたら、もうコロリだろう。
だが、好みじゃないタイプの女性から、こういうことされたら…
それを演じるのがキルスティン・ダンストというのがまた、
この問題を、より明確な形でクローズアップさせてしまう。


いや、僕はキルスティン・ダンスト、けっこう、というか、かなり好き。
「チアーズ」では、もうメロメロになったクチだ。
だから、あくまで僕個人としては、この映画のクレアはすごくいい。
あまりに策略的、という見方もあるが、
逆にいえばそこまで執着心を持ってもらえるのは、むしろ光栄でもある。
でも、キルスティンの容貌について、いろいろ議論があることも認めている。
確かに、僕もたまに〝ドイツ人のオバはん〟に見えることがあるくらいだし…
それを考えると、「ちょっと感情移入できない」と言うヒトがいても、
積極的に反論しようという気にはならない。しかたないかな、と。


そんなわけで、個人的にはすごく好き、
でも、一般的な評価についてはどうなのかな、というのが結論。
それこそ個人的にはことしのベスト10に入るくらい、グッときたと思う。
映画の中で流れる音楽を聴き流すだけでも、意味のある映画じゃないか、と。
監督のこだわりも、随所に伝わってきて、キャメロン・クロウファンとしては文句なし。
キルスティン・ダンストも、少なくとも僕には、とても魅力的に映った。
それでも、どうも興行成績や批評家筋もあまり評判はよくない様子。
いつか、時代が変わって評価される作品になったりしないかな、と、
かすかな期待を抱いて劇場を後にしたのだった。