嶽本野ばら「下妻物語・完―ヤンキーちゃんとロリータちゃんと殺人事件」

mike-cat2005-07-18



本日より名古屋… ああ、帰りたい。
みんなのお目当て「愛・地球博」とか、チョー興味ないのに、
そこら中にヒト、人、ひと…
ましなホテルも空いてないし、もうげんなり。
ああ、それは夏休み最初の連休だから、仕方ないのか。
でも、納得したところで、げんなり気分は晴れない。


そんな気分を吹き飛ばす本は、これ。
あの「下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん」の続編にして完結編。
ロココを愛するロリータな自己中心派、桃子と、
どヤンキーでど天然のイチゴが、帰ってきた。殺人事件のおまけつきで、だ。
深田恭子土屋アンナで映画化された前作のテイストもそのままに、
ほんの少し成長し、おとなになっていく二人を、温かく、そしておバカに描きあげる。


映画化されてしまった作品って、そのビジュアルに囚われがちになってしまうものだが、
あの映画版は、お笑いを微妙にアレンジしつつも、
あくまで基本のテイストは原作の世界観に則っていたので、全然問題なし、だ。
むしろ、深田恭子土屋アンナがあまりにハマっていたせいで、
この続編では、ふたりの顔が常にちらついた(お祖母さんの樹木希林も…)けど、
何だかそれがとてもいい感じで、読んでいてとても楽しかった。
羊たちの沈黙 (新潮文庫)」でアンソニー・ホプキンスが演じた、
ハンニバル・レクターのイメージに縛られつつも、
それでもものすごい作品に仕上がっていた、
続編「ハンニバル(上) (新潮文庫)」「ハンニバル(下) (新潮文庫)」にも通じる感がある。
(もちろん言い過ぎ、とは了解しているけど…)


二人は相変わらずだ。
気まぐれにモデル業をこなしつつ、ヤンキー道にひた走るイチゴ。
一方の桃子は、あくまでロリータな生き方にこだわりながら、
敬愛するロリータ・ファッションのメゾン
BABY, THE STARS SHINE BRIGHT〟に出入りする毎日。 
ある日、東京に出向いた二人は、
帰路の高速バス(ロリータとヤンキーがこれに乗っちゃう!)で、
かつてイチゴが属していたレディース、甫爾威帝劉(ポニーテイル、ですな)の、
伝説のヘッド、亜樹美と乗り合わせる。
終点の水海道を目の前にしたバス停で、亜樹美の知り合いのヤクザが殺された。
ほとんどの乗客のアリバイが明らかになっていく中で、
警察の捜査の視線は、何と、イチゴに向けられていったのだった。


そんな中で、今回新たに登場するのが、
イチゴのかつてのあこがれのヒト、竜二の同級生で、自称「走り屋」のセイジだ。
これがまた、絵に描いたようなヤンキーあがりなのだが、
そのボケぶりと、愚直なまでの真っすぐさ&暑苦しいまでのこだわりが、イチゴと同じ。
現実なら、お付き合いはご遠慮こうむりたい(それは桃子&イチゴも同じか…)タイプだが、
物語的にいうと、これがまた、まことに香ばしい人物、となる。
このセイジとの関わりの中で、桃子&イチゴもある種の感銘を受けて、変化していく。
自分たちが、どう生きていくのか、ふたりの関係がどう変わっていくのか。
ベタなお笑いの中に、桃子&イチゴが人生に真剣に向き合っていく姿が描き出され、
ある種の切なさと、感動が引き出されていく。
作り自体は単純だし、何度も描かれてきたドラマかもしれないけど、
ふたりのある方面に異様に特化した感性と、その不器用なまでの潔さが、グッとくる。
不覚…、でもないんだけど、また涙してしまった。


というわけで、笑えて、泣けて…の傑作ぶりは今回も健在。
id:juice78さんと同じく、ぜひとも、同じキャストで映画化希望!!
http://d.hatena.ne.jp/juice78/20050704


それはそれとして、下妻の「文化の殿堂」ジャスコに、またも感銘を受ける。
地方(それは、アメリカでも同じ)に行くと、たまにこういうことがあるけど、
そこにはホント「文化の殿堂」を越える、「生活のすべて」があったりすることがある。
その「すべて」ぶりはすごい。(あくまでデフォルメされたアレだが)
〝平日のお総菜を買うのもジャスコ、日曜に家族でお出かけしようと目指すのもジャスコ
 暇潰しも、デートも、ジャスコで賄ってしまうのです。恐るべし、ジャスコ。〟

さらに、こういう一節もある。
下妻に住むヒトたちが、シャレとして笑って読んでくれればいいけど、
〝なるほど、下妻のジャスコは巨大です。食料品売り場は二十四時間やっています。
 皆が、東京に六本木ヒルズがあるなら、下妻にはジャスコがあると、
 胸を張る気持ちも、少しだけ、解ります。〟
別に、誇ってはいないだろうけど、もしかしたら、現実に
「うちらにはジャスコがあるから…」と思っている節はあるかも、で、ふむふむと唸る。
ちなみに、こういう人に、
東京のヒトにとって、六本木ヒルズはあくまで〝選択肢のひとつ〟である、
とか説いても、どこまで通用するのかな、とか、勝手に想像したりして。


しかし、思ってもみるのである。
東京で生まれ育って、常に多くの選択肢がある中で生きてきたので、
いま、いきなり〝ジャスコがすべて〟の生活になったら、耐えられないし、
生活の必需品レベルから、趣味・嗜好のレベルまで、
ジャスコのセレクションに頼る生活は、僕にはとうてい不可能だ。
だって、本屋だって、ベストセラーと新刊文庫とマンガ、雑誌、古い実用書しかないし。
もちろん、ジャスコの品がどうこうじゃなく
(というか、品質的には胸を張っていいと思う)、
ジャスコの一元供給に依存しきった生活、というのは、たとえ最上質であってもイヤ。


僕は、自分で、自分の好きなものを選ぶことができるからこそ、自分である、とも思う。
(もちろん、何からも切り離されて独立した自己選択なんて、理論上でしかあり得ないが)
これは何があっても曲げられない。
でも、そんな小理屈こねず、すべてをジャスコで完結させる
「いいじゃん、ジャスコ最高!」の生活も、もしかして幸せかも、とも思うのだ。
下妻に生まれ、ジャスコに生きる、
イチゴのどハッピーな生き様は、見ていてとても清々しい。
少なくとも、色んな店に行って、何かしら不満を覚えたりする僕よりも、よっぽど…
信念は信念なんで、僕自身が決して変わる気はないけど、
イチゴのような生き方にも、何だか奇妙な親近感が湧いてしまったりするのだった。