永田守弘「官能小説の奥義 (集英社新書)」

mike-cat2007-11-16



〝一万冊の“官能小説”から厳選した
 クラクラするほどの豊穣な表現世界〟
本の雑誌」12月号巻頭の「今月の一冊」。
雑誌「ダカーポ」で、官能小説の名場面を紹介する、
名物コーナー「くらいまっくす」の担当者が、
独特の表現でオトコたちの股間をくすぐる官能小説の世界を、
その歴史や、さまざまな描写の分類、
そして書き方十か条に至るまで、考察していく1冊だ。


本の雑誌」のレビューがあんまりにも絶妙なもので、
こうやって書いていっても、それをなぞるような感じにはなってしまうが、
この本で取り上げる官能小説は、
直木賞受賞作家クラスが、ちょっと書いてみました〟
という感じの、小説そのもののテーマがほかにあるものではなく、
この作者が「純官能小説」と名づけた、
〝読者の性欲を刺激し、オナニーさせる小説〟であり、
〝人が心の底に持っている淫心をかきたて、燃え上がらせるための小説〟である。


いわゆる文学とは一線を引かれてしまう、官能小説。
玉石混交を承知の上で、その面白さを「奥義」の形で示す。
そして、新たな読者だけでなく、書き手までをも誕生させたい。
それがこの本の、最大の目的だという。


歴史の部分がなかなか読ませる。
〝豊潤な官能表現は、皮肉に見れば、
 検察と作家の共同作業によって生み出されてきた、といえなくもない〟
いわゆる「チャタレイ裁判」の時代から作家たちは、
官憲の摘発との戦いの中で、いかに淫靡さを引き出すかに腐心してきたという。
それは、自由な表現が可能になった現在においても、
官能小説の魅力を語る上で、大きな魅力になっているところが興味深い。


思えば、ヘアだって性器そのものだって、いまはネットで見放題である。
だが、それがかつて神秘だった時代に思春期を迎えた世代と、
ネットで裏ビデオで、何でもありの現在に思春期を迎える世代では、
淫靡に対する感覚は大きく違っているはずである。
ある意味、官憲による検閲が、その猥褻さを増幅させているともいえるのだ。


それはともかくとして、本の内容に戻ると、
官能小説でよくある「欲棒」という表現の元祖について記述がある。
サラリーマン層に官能小説を広げた、豊田行二に端を発するらしい。
「性器描写の工夫」にある、男性器の表現法の部分にあるのだが、
これも「棒」派と「茎」派があるとのことで、なかなかおかしい。


官能小説最大のスター、女性器になると、もっとすごい。
植物派に魚貝派、動物派に陸地派、直接派と、バリエーションはさまざま。
思わず笑ってしまうような表現から、なるほど、なものまで、
いかに淫靡に、想像をかき立てるかの工夫はとことん奥深い。
ほかにも行為そのものの表現や、さまざまなフェティシズムに至るまで、
豊富な引用を加えて解説していくあたりは、さすが「くらいまっくす」。


最後にある「官能小説の書き方十か条」も、
どこまで本気なのか、思わず笑ってしまうような第十条など、
うまい具合に本気とジョークの狭間を狙った、センスが光る。
全般的には入門編的な、あっさりとした考察ではあるのだが、
これ以上本気で社会学的な考察を加えたりすると、
それはそれで、重たい学問本になってしまうので、これがいい塩梅かも。
ちょっと書店のレジに持っていくのは恥ずかしいが、
(ちなみに、レジの女性は、若くてきれいなヒトだった…)
恥をかくに値するだけの面白さは保証できる、そんな1冊である。