ジョルジョ・ファレッティ「僕は、殺す 上 (文春文庫)」「僕は、殺す 下 (文春文庫)」

mike-cat2007-04-20



〝顔のない死体。 顔のない犯人。〟
イタリアの有名コメディアンが放つ大ヒット・サイコ・サスペンス。
〝イタリアで発表されるや、350万部のベストセラーとなったデビュー作〟
ジェットコースターを思わせる、圧倒的なスピード感、そしてドラマ。
〝息もつかせず最後まで読ませるプロットの巧みさ、狂気に走る人間の心の哀切…〟
舞台は地中海沿岸、華麗なる都市国家モナコ
〝F1レーサー、大富豪、天才バレエ・ダンサーらがモナコの街で、次々に殺害された。〟
その事件は、狂気と知略に満ちていた。
〝用意周到かつ巧妙、かつ陰惨な手口!
 犯人は、ラジオの人気深夜番組に殺人予告の電話をし、
 犠牲者をほのめかす音楽を流した。〟


始まりは、ラジオ・モンテカルロの人気番組「ヴォイス」のホスト、ジャン=ルーへの電話だった。
〝誰かであって、誰でもない〟という男からの電話は、「僕は、殺す…」との謎の殺人予告。
F1レーサー、バレエ・ダンサーに大富豪、次々と現れる犠牲者は、いずれも顔を剥がされていた。
モナコ警察本部は、FBIを休職中のフランクの協力を得ながら、捜査に乗り出すが…


トマス・ハリス羊たちの沈黙 (新潮文庫)」の登場で、90年代に巻き起こったサイコ・サスペンス・ブーム。
とはいえ、ハンニバル・レクターのようなスーパースターは後にも先にも現れず、
ジャンルとしては先細りしていく一方、異常殺人の手口はより普遍化していった。
ある意味、サイコ・サスペンスと、普通のミステリーの境界線が曖昧になった部分もあるが、
この作品は、久しぶりといってもいい、明快なサイコ・サスペンスといえるような作品だ。


何しろ、タイトルからして穏やかじゃない。
「僕は、殺す」である。
イタリア語だと〝IO UCCIDO〟。といったって、読めもしないが…
殺す理由も不明、殺す相手にも決まった理由はない。
そして、あわれな犠牲者の姿は、目を背けるような惨状。
残虐な手口という点では、かつてのブームの頃でも抜きんでた異常さだろう。


その捜査に当たるのは、
モナコ警察本部のニコラ・ユロ警視正と、FBI休職中のフランク・オットーブレ。
ともに悲しい過去を持つという共通点、そして優れた捜査手腕。
だが、その手口は狂気だけでなく、巧妙な策略に満ちていた。
難航する捜査は、モナコ警察本部内部の政治的な駆け引きに加え、
米軍の実力者までが事件に関与する中で、ますます混迷を極めていく。


ドラマとしては、主人公でもあるフランクが過去の傷を克服していく過程や、
ラジオ局で働く障害を持つ青年ピエロら周辺の人々も、濃密に描かれていく。
一見、本筋のドラマとは関係がなさそうに見えて、これが終盤ギュッと収束する。
スピード感あふれる展開に、この巧さが加わるから、本当に目が離せない。
デビュー作、という肩書が、嘘じゃないかと思うような、そんな感覚すら覚える。
このへん、例えるならスーパーナチュラルな要素を除いたディーン・クーンツだろうか。
陰惨な事件を描きながらも、善人は善人、悪人は悪人、と、
基本的にはハッピーな世界観も、ある意味クーンツに通じる部分があるだろう。


こうした題材に多少食傷気味だった、例のブームの頃なら、
またか…などと思ったかもしれないが、こうしてブームも沈静化し、
久しぶりに正真正銘のサイコ・サスペンスを読んでみると、とても新鮮だ。
おそらくあのブームの頃なら70点から75点の採点だろうが、
新鮮に読めるいまなら、80点ちょっと、という感じだろうか。
読み終わって残るものもさほどないが、読んでいる間の楽しさは保証付き。
このファレッティ、第2、3作もヒットしたらしいが、ぜひそれらも読んでみたいものだ。


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僕は、殺す 上
ジョルジョ・ファレッティ著 / 中田 文訳 / 村上 圭輔訳
文芸春秋 (2007.4)
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僕は、殺す 下
ジョルジョ・ファレッティ著 / 中田 文訳 / 村上 圭輔訳
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