マイケル・ロボサム「容疑者 (上) (集英社文庫)」「容疑者 (下) (集英社文庫)」
「ダ・ヴィンチ・コード」の訳者・越前敏弥による惹句が目を引く。
〝緻密なプロットと随所にひねりが見られる構成、
これほど真に迫った心理描写を兼ね備えた小説には、
そう頻繁には出会えまい〟
そして、下巻のオビにはこんな一文が添えられる。
〝すでに世界的評価も高い期待の新人ミステリー作家登場!!
(10数ヶ国語に翻訳、30ヶ国以上で刊行)〟
ロンドンにオフィスを構える臨床心理士ジョー・オローリンは、
美しく聡明な妻、ジュリアン、愛らしい娘のチャーリーに恵まれた男。
しかし、ジョーは思いがけない病気の宣告とともに、
ある猟奇殺人事件の遺体発見現場に出くわすこととなる。
そんな折、ジョーは患者の1人の言動に疑惑を感じる。
ヴィンセント・ルイス警部の捜査に協力を始めるジョーだったが、
なぜか、事態は思わぬ方向に転じていく−
やはり特筆されるのは、臨床心理士という設定だろう。
いわゆる心理カウンセラー、ということになるのだが、
その仕事内容について、こんなジョークが紹介される一節がある。
〝臨床心理士とは、配偶者が無料で尋ねる質問を、金をもらって尋ねる専門家〟
ジョーが臨床心理士を選んだ理由もなかなかシニカルで笑える。
〝「妻が何を考えているのかを知りたかったんだ」
それは失敗に終わった。いまでもまったく理解できない〟
そんな専門家のジョーだけに、常に相手の心理状態を探るような描写が秀逸だ。
ちょっとした仕種や発言から、人物のプロファイリングを進めていく。
それどころか、事件に深く関わっていく中で、家族や友人から孤立する、
ジョー自身の心の中の分析などにも、その分析能力は向けられていくのが興味深い。
医療関係者として、守秘義務と正義の狭間で揺れる部分もドラマに深みを加える。
「患者が第三者に深刻な危害を与える意図を明確に示した場合には、
情報を明かす義務がある」
言葉にしてしまえば簡単な話だが、その境界線はそう明確には判断できない。
そうこうしているうちに、自らが苦況に陥っていくのだから、難しい職業でもある。
ミステリーとしての仕掛けは、多少凝りすぎというか、
微妙にご都合主義っぽさも感じられるのだが、とにかく読ませる。
シドニー在住で、この作品が長編デビューということだが、
数々の有名人のゴーストライターを務めたという経歴だろうか、
説明の難しい複雑なプロットを、テンポのいいサスペンスにまとめ上げている。
なかなか今後が楽しみなマイケル・ロボサムだが、
訳者あとがきによると、次作〝Lost〟では、この作品のルイス警部が語り手となり、
そしてさらに次の作品となる〝The Night Ferry〟でも、
〝Lost〟の登場人物が語り手になるという、なかなか凝った趣向を取るらしい。
次作が翻訳されるのかどうか、はどうも未定のようだが、
映画「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズを思わせる、ルイス警部の活躍に期待したい。