光原百合「銀の犬」

mike-cat2006-06-30



十八の夏 (双葉文庫)」の光原百合最新作。
文庫化された「時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)」を買いに行くと、
平積みされているこの本を発見、迷わずレジへ向かう。


〝この世に想いを残す魂を解き放つ、
 伝説の祓いの楽人<バルド>−オシアン〟
〝原百合が奏でる不思議で切ない愛の物語。
 待望の書き下ろし連作長編。〟
常若の国<テイル・ナ・ノグ>を追われた、楽人<バルド>のオシアンにまつわる
ケルト神話をモチーフに、ファンタジーとミステリを融合させた連作集だ。


その物語世界を構成する、重要な要素は〝楽の音〟である。
〝万物の始まりは楽の音であったとされる。
 虚無の中に、響く調べがあった。
 いつからと問うことは意味がない。
 その調べが生まれるまで、時さえも存在していなかった。
 調べが始まると共に時が流れ始めた。
 その調べは万物があるべき様を描いていた。
 その調べに合わせ、虚無の中から混沌が生まれた。混沌の中に〜〟


伝説の楽人<バルド>と同じ名を持つ、声を持たない〝祓いの楽人〟オシアンと、
その相棒で、ちょっと生意気で饒舌な少年ブランが、物語の中心。
祓いの楽人とは、
〝あるべき様から外れたものに調べを聞かせ、
 理<ことわり>を思い出させることであるべき姿に戻す。
 楽の音が創り出したその世において、もっとも尊崇を集める存在。〟


無念と未練、悔恨と怨念を残し、死んだ後もこの世にとどまり続ける魂や、
あるべき姿を忘れた森羅万象に対し、
天賦の才に司られた楽の調べで、〝あるべき様〟という安らぎをもたらす。
〝その音色は暖かい春の雨のように、いつの間にか始まり、
 どれほど薄い花びらも蝶の羽も揺らさないほどこまやかに、
 それでいて地上のすべてをしっとりと潤していく雨のように、
 柔らかい音が次々と生まれて部屋を満たしていく。〟


神話そのままの、美しい世界観の中で奏でられる物語も、
美しく切ない珠玉の物語ばかりだ。
「声なき楽人」では、
非業の死を遂げた楽人の魂が、祝福たる歌を呪詛に変えている、という村へ。
「恋をうたうもの」では、
恋をうたう妖精が、若い娘を残酷に犯して殺す、恐ろしい悪鬼になり果てた村へ。
「水底の町」では、
会いたい者に会える夢の町イースで、永遠に彷徨い歩く男のもとへ。
「銀の犬」では、
愛情とまじない、二重の絆でつながった銀の犬と、その飼い主である若妻のもとへ。
「三つの星」では、
狂える王と美しき王妃、そして騎士の、3つの魂が彷徨う岬の古城へ。
楽人オシアンとブランは、さすらい歩き、魂に安らぎと癒やしを与えていく。


楽人<バルド>の恋人が、再びその祝福の歌に出逢うとき、
恋をうたう妖精が、本当の愛を知ったとき、
まっすぐだけが取り柄の男が、昔の夢に浸ることの、儚さと虚しさに気付いたとき、
飼い主をかみ殺したもっとも幸せだった仔犬のころの姿に戻るとき、
地上で輝くことができなかった三つの星が、
夜空に上って銀色の三角を描く星座になる時、
オシアンの竪琴が奏でる、悲しくも美しい調べがそこにある。
そして読む者には、思わずため息がもれる静かな感動が響いてくるのだ。


作品の瑕疵をあえてあげつらうなら、いわゆる謎解き部分の説明の丁寧さだろうか。
この小説では、少年ブランがその役割を務めるのだが、
これまで読んだ「十八の夏 (双葉文庫)」や「最後の願い」同様、
饒舌に説明しすぎる部分が、微妙に小説のテンポを鈍らせている気はする。
もちろん、それは物語の本質にも通じる、実直さの表れでもあるから、
一概に瑕疵、という言葉で表現するのは、いささか問題ではあるのだが…


話全体の、まとまりがよすぎるという部分も否めない。
平たくいうと、いい話過ぎる、という感覚か。
もっともっと割り切れない部分があってもいいような、
という気もわずかながらに感じてしまうのも、確かではある。


ただ、そんなことも、
壮大で美しいこの物語世界の前では、あくまで小さな小さな欠点でしかない。
さすが光原百合(というほど読み込んでいないが…)という傑作だ。
読み始めたら、もう夢中になってしまうぐらいの、魅惑の世界がそこには広がる。


そして、この5話だけでは語り尽くせない、
様々な物語を秘めた世界を持った作品でもある。
伝説の楽人、オシアンと、物語のオシアンの関係を始め、
なぜ、オシアンは声を失ってしまったのか、
相棒の少年、ブランとオシアンとの出会い、
伝説のオシアンを愛した、常若の国の妖精の女王ニアヴとの物語、
「銀の犬」で登場する獣使いヒューと、その相棒の黒猫トリヤムーアの物語…
まだまだ数え切れないくらい、気になる部分が詰まった小説。
そして、もし可能ならば、
作者のライフワークとして、いつまでも綴っていってほしい物語なのだ。


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