真保裕一「誘拐の果実 (上) (集英社文庫)」「誘拐の果実 (下) (集英社文庫)」

mike-cat2006-02-10



2002年11月、東野圭吾の「ゲームの名は誘拐」とともに、
まるで競作のように刊行された真保裕一による誘拐ものだ。
当時話題になっていたころは、まだ真保裕一作品を読んだことがなかった。
なぜって、映画版「ホワイトアウト」の織田裕二が嫌いだったから、
という、まことにつまらない理由だったりするのだが…
東野圭吾の「ゲームの名は誘拐」とともに、
文庫で出そろったので、読んでみることにした。


東京・中野にある私立の総合病院、宝寿会総合病院。
院長の辻倉政国の孫で、17歳の恵美が誘拐された。
身代金は、未公開株による贈収賄で保釈中の、渦中の人物の命。
同病院に身を隠すバッカスグループの会長、永渕孝治を、
病状悪化に見せかけて殺すことが、人質解放の条件だった。
恵美の父で、院長の娘婿の良彰は、娘の命を救うべく、ある賭けに出る。
一方、横浜市金沢区でももうひとつの誘拐事件が起こった。
要求された身代金は、現金ではなく、ほかの何か。
正体不明の、ふたつの誘拐事件、そして発端となる過去の誘拐−。
奇妙な糸が縒り合わさったとき、ある秘密の目的が浮かび上がる。


何しろ、抜群のボリュームだ。
序章の事件を入れれば、3つの誘拐事件が物語を構成する。
それも、身代金はいずれも現金でない、というおまけつき。
練りに練ったプロットで構成された、よくできた犯罪小説であり、
捜査に当たる警視庁、神奈川県警の刑事を主役にした警察小説でもある。
さらにこの作品にはもうひとつの軸が存在する。
家族崩壊目前だった辻倉家が、
誘拐事件を通じて大きく変容していく、家族小説としての側面だ。
犯罪、警察、家族、それぞれのドラマが複雑に絡み合い、混じり合って、
いかにも真保裕一らしい、深い味わいの作品を創り上げている。


何といっても出色なのは、前代未聞の〝身代金〟のプロットだろう。
何しろ、医者に向かって人を殺せ、という指令だ。
でなければ、娘を殺す、という設定のもと、家族も警察も、ひたすら方策を探る。
まあ、現実社会ならば、何の障害もなく指令に従う医者はいくらでもいるだろうが、
そこはそれ、小説なのできちんと「そんなわけにはいかない」と、ジレンマに陥る。
ようやく見つけた解決策が、圧倒的な緊張感の中で進められていく様は、見事のひとことだ。


そして、もうひとつの事件も、捜査陣に大きな疑問を投げかける。
目的は何なのか、そして犯人はどこに潜んでいるのか。
ふたつの事件が謎が解けても、真保裕一はその手綱を緩めることはない。
謎が謎を呼び、読者をさらなるワナへと導いていくのだ。
最終的には、ちょっと凝りすぎの感も否めないが、
これだけの複雑なプロットをていねいにまとめ上げ、一気に読ませる腕は確かだ。


そして、そんな犯人たちに踊らされる捜査陣の迷走も味わい深い。
前代未聞の誘拐事件に戸惑いながらも、
警察の十八番でもある、縄張り争いが、警視庁、神奈川県警によって繰り広げられる。
捜査に当たるひとりひとりの刑事のキャラクターも立っていて、
このメンツだけで小説を書いても、一本できてしまいそうなほど。
さまざまな秘密を抱える辻倉家への疑念もわき上がる中、
一歩一歩、犯人のもとに近づいていく、その過程もこれまた読ませるのだ。


そして、ある事件をきっかけに崩壊に向かった辻倉家の再生の物語だ。
ワンマンな創業者にやり手の妻、甘やかされた娘に肩身の狭い娘婿、
そんな連中に囲まれた孫娘は、事件の後もこころを閉ざしたまま。
その心の闇は、どこにあるのか。そして、どこへ向かおうとしているのか。
誘拐という事件をきっかけに、家族がその各々をもう一度見つめ直す。
何が足りないのか、何を見失っていたのか。
そのドラマも、これまた一本の小説になるくらいの力で、読者のこころに迫ってくる。


数々の大きな謎の下に隠された、深遠な秘密が暴かれたとき、
物語は本当の、そして最後のクライマックスを迎えていく。
下巻に入ってからは、もうまさにページをめくる手が止まらない。
過去に読んだ真保裕一作品の中でも、3本の指に入る面白さだ。
(といっても、「発火点」「ボーダーライン」あたりは未読だが…)
この傑作に対して、東野圭吾がどんな誘拐を仕掛けてくるのか…
これまた、新しい楽しみができてしまうという、まことにもって贅沢な作品なのであった。

Amazon.co.jp誘拐の果実 (上)誘拐の果実 (下)