ヒラリー・ウォー「ながい眠り (創元推理文庫)」

mike-cat2006-02-09



きょうから宮崎&熊本たらい回し出張…
南国といっても、いまはさほど温かくないし、
あまり気が進まないのだが、まあ仕事なので文句はいえない。
でも、どうせヒマさえあればやってることは同じ、
読書だったりするので、まあ気にしないことにする。


で、気になりつつも手つかずだった、ヒラリー・ウォーに初挑戦。
〝フェローズ署長最初の事件
 被害者は身元不明。試行錯誤の末に掴んだ手がかりは?
 幻の傑作、新訳決定版〟とある。
ポイントは新訳。
古い翻訳ものが苦手な僕としては、新訳で読めるのは何よりの喜びだ。


1959年、コネティカット州ストックフォード。
きっかけはレストリン不動産での盗難事件だった。
盗まれたのは賃貸契約書のファイル。
そんな折、レストリン不動産の取扱物件で、死体が見つかる。
だが、見つかったのは胴体だけ。
頭と両腕、脚の大部分は切断され、内臓も摘出されていた。
誰が、誰を殺したのかも不明なまま、捜査は始まる。
遅々として進まない捜査に、ストックフォード署は追いつめられていく−。


ジェイムズ・エルロイのを思わせる猟奇殺人事件であるが
(むろん、こちらが先に書かれているのだが…)、作品はごく正統派の警察小説だ。
作品内でシャーロック・ホームズの推理が軽く揶揄される場面があるが、
そんな突飛な推理もなければ、劇的なトリックによる化かし合いもない。
朴訥なまでに、あらゆる可能性を検証し、徐々に犯人に迫っていく。
その地道な捜査、そして試行錯誤を丹念に描いていく作品だ。
そんな話、地味で面白くないだろう、なんて思うと大間違い。
これが読ませる、いや不思議なくらい読ませるのだ。


まず挙げられるのは、その設定の妙だろう。
誰が誰を殺したのかすらわからない、そしてその死因すら不明の猟奇殺人。
どこから手をつけてもわからない事件に、右往左往する警察、
それをかぎ回る新聞記者、予定されていた休暇を奪われ、いらつく判事…
ゆったりとした時間進行の中で、
そうしたさまざまな要素が細やかに、じっくりと描写されていく。
それはコネティカットの田舎町の雰囲気をリアルに彷彿とさせる。
小さな警察署の中の人間関係も含め、その息遣いが伝わったくるかのようだ。


そして、何よりフェローズ署長の魅力も見逃せない。
ホームズのような推理のキレもないし、驚くような特殊技能もない。
職務に熱心ではあるが、分からず屋ではない。
部下にも理解のある、人間味溢れる人物として描かれる。
だが一方で、警察という職業には、一定の距離も置いているのがいい。


事件の捜査に興味を示す息子を、諭す場面だ。
息子が尋ねる。
「いっしょに行ってもいい?」
「なぜ、そんなバカなことを訊くんだ?」
「どうしてバカなことなの?」
「まず、おまえには宿題がある」
「だけど、ぼくは警察官になりたいんだ。実習と宿題じゃ、比べものにならないよ」
「警察官にならなくてもすむように、おまえにはきちんと勉強して欲しいんだ」
警察官としての誇りはあっても、息子にまで同じ苦労はさせたくない。
警察官一般に共有の感情なのかも知れないが、
これを息子に向かって口に出してしまうあたりが、何とも言えない。
こんな、いかにも人間らしいフェローズが、
試行錯誤して事件に挑むのだから、作品そのものに深みが出るのも当然だ。


描いているのが殺人事件、それもリアルな警察小説である以上、
たとえ事件が解決しても、すべてよしとはならない。
何か割り切れない想いを残しながら、物語は幕を閉じる。
だが、物語の途中で描かれる、
報われない仕事の中に、かすかな希望を託すフェローズの姿が、
その割り切れないリアルな後味悪さを、微妙なさじ加減で中和する。
なるほど、こうやって警察官は折り合いをつけるのだな、と納得できるのだ。


ヒラリー・ウォーの作品は、フェローズ署長ものばかり、というわけではないらしい。
それでも、訳が新しいものを探して、ちょっと読み込んでみたいな、と強く思う。
巷で面白い、と言われている作家をいまさらほめるのもヘンだが、
確かにヒラリー・ウォーは面白そうだ。次に何を読むか、書店に行くのが待ち遠しくなる。

Amazon.co.jpながい眠り