ウラジーミル・ナボコフ「ロリータ」

mike-cat2005-12-07



買ってから気づいたのだが、いま非常にまずい本だった。
幼女がらみの事件が相次ぐ中、
新訳版を出すには、ある意味最悪のタイミングなのではないか、と。
もちろん、現実に起きている事件とは似ても似つかない物語だし、
だいいち、悪魔的なニンフェットを対象とするこの小説の主人公と
無抵抗の幼女をかどわかす異常者たちでは、あまりにもレベルが違いすぎる。
しかし、それでもひとくくりにしてしまえば、
いわゆるロリコン(厳密な定義では微妙なようだが)になってしまう。
イヤな事件のおかげで、何だかなあ、という気分の読書になってしまった。


それはさておき、「ロリータ」だ。
大久保康雄による〝旧訳版〟は、
エイドリアン・ライン監督による映画を観た後、すぐに読んだ。
「ダメージ」では、息子の嫁に手を出し、
エム・バタフライ」では、(オトコと気づかずに)ジョン・ローンを手ごめにした
ジェレミー・アイアンズの相変わらずの墜ちっぷりに感心し、
ロリータ役のドミニク・スウェインの、危険な雰囲気をイメージしながら、
ドギマギしながら再体験した記憶がかなり強く残っている。
ちなみにスタンリー・キューブリック版は観ていない。お粗末。


その〝旧訳版〟、旧とは書いたが、そんなに読みにくくなかった。
むしろ、こなれた訳だった記憶がある。
だが、この本の訳者若島正の解説を読むと、また印象が変わってくる。
この新訳版は、原書の文章に、より忠実に訳した、とのこと。
旧訳版は、やはり〝こなれすぎて〟いるらしい。道理で読みやすいはずだ。
もちろん、映画字幕の戸田奈津子みたいな誤訳とはまったく違うし、
シドニイ・シェルダンなどで知られる超訳とも、違う次元の〝こなれ〟だ。


じゃあ、新訳版はどうなっているかというと、訳者も振り返る通り、ゴツゴツしてる。
正直、読みやすいとは思えない。
主人公のハンバート・ハンバートによる、入り交じる回想と妄想は、
時に難解だし、時にとてもトリッキーな表現で、こちらを混乱に陥れる。
だが、読んでいくと、そのゴツゴツした硬質な文章が、
むしろ正確にハンバート・ハンバートの人物像を浮き彫りにしているような気がしてくる。


もとにしたテキストも別らしい。
旧訳版は1958年に初出版されたものらしいのだが、
新訳版は1970年にナボコフの加筆修正を加えられた版に、
さらにロシア語版、フランス語版を参照した上での解釈を加えたという。
なるほど、新訳版をわざわざ出す必然性が、ここで明快に見えてくるのだ。


ストーリーには、もちろん変化はない。
パリ生まれの大学教授、ハンバート・ハンバートは13歳の時、
初恋の相手アナベル発疹チフスによって、突如失った。
そのこころの傷が癒えず、いまだ幼いアナベルの姿を追うハンバート。
24年後、移住先の米国、ニューイングランドで出逢った少女は、
まさしくアナベルの転生、真性の〝ロリータ〟だった。


この小説でいうロリータ、ニンフェットに関してはハンバートなりの定義がある。
〝九歳から一四歳までの範囲で、その二倍も何倍も年上の魅せられた恋人に対してのみ、
 人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。
 そしてこの選ばれた生物を「ニンフェット」と呼ぶことを私は提案したいのである。〟
「マニアってやつはまったく…」と苦笑を禁じ得ない半分、
そのある種のストイックさというものには、独特の孤高も読み取れる。
巷に溢れるいわゆる〝ロリコン〟たちとは、やはり次元が違うのだ。
もちろん、〝禁断の果実〟には間違いがないのだが、
そこには恋愛(性愛)対象に対する、人間的なリスペクトがある(はずだ)。
対象の人間を、モノとしてしか見ない〝ロリコン〟とは、ベクトルすら違うのだ。


小説は、そんなロリータに魅せられ、墜ちていくハンバートの姿を、
警察の手に落ちたハンバートの回想という形でくどいまでに描いていく。
ちなみに、エロティックな描写は、あまり直接的ではない。
最大限に比喩を用い、それも周辺的な描写から、その〝核心〟を描く。
「何だよ〝核心〟って?」とかは、訊かないように。
アレがどうして、コレがどうなって、が直接的でない分、
想像力が強く喚起されて、えらくエロティックではあるのだが、
いわゆるポルノグラフィック的なものとは、微妙に趣を異にしているのが面白い。


で、ストーリーの話に戻るのだが、
そのハンバートの回想が、読んでいくうちにどうもおかしくなってくる。
前述した通り、回想と妄想がごっちゃになってくるのだ。
こちらも解説で触れられているのだが、どこまでが(小説内の)現実で、
どこからがハンバートの妄想であるのか、境界線が見えてこない。
こうした部分も、この小説をさらに難解にしているのだが、
それがまた、この小説の味わいでもあったりする。つくづく手ごわいのだ。


読んでいる最中は集中力をかなり必要とするし、正直読んでいてきつい時もある。
ある程度まとまった時間が欲しかったので、読むのにえらく日数がかかった。
しかし、それでも読んでよかった、という手応えは十分。
ときもとき、題材も題材なんで、声高に「面白かった」とは言えないところがつらいが、
小説世界と現実世界は、やはり別のモノとして考えたい。
(ちなみに、性犯罪者にはGPS機能付性欲減退ICチップを埋め込むべきと思っている)
あくまで小説の世界のことととらえ、ぜひ読んで欲しい作品だと思う。
(って、ここまで世に知られた名作を、いまさら薦めるのも何だが…)
ただ、新訳版を読むなら映画を先に見るのもテかとは思う。
映画のビジュアルにイマジネーションが縛られる、というデメリットはあっても、
読みにくい文章を読み進める推進力を得られる、というメリットには、なると思う。


ちなみに僕は読み終わって、また映画版を観たくなった。
ジェレミー・アイアンズ演じるハンバートが、「ロ・リイ・タ」と区切って名を呼ぶ冒頭、
そして初めて出逢った〝ロリータ〟の姿に目を見張るシーンが思い浮かぶ。
キューブリック版も観ずにどうこういうのも何だが、あれはやはりすごい場面だ。
「危険な情事」や「ジェイコブス・ラダー」など、
問題作を撮り続けるエイドリアン・ラインの独特のセンスが光る名作だ。
しかし一方で、サー・ジェレミー・アイアンズってつくづくヘンな俳優だな、
という思いも頭をよぎり、複雑な感じもあるのだが…