グレイス・ペイリー「人生のちょっとした煩い」。

mike-cat2005-07-02



表紙につられて、手に取った。
しかし、一瞬買うのを戸惑う。
オビには
〝伝説の女性作家にして
  アメリカ文学のカリスマ 待望の第一作品集〟
だが〝村上春樹[訳]〟が、
必要以上に前面に押し出されているのが気にかかる。
素晴らしい作家であることも、訳者としての実績も、
すべて承知しているんだけど、何だか違和感…
より多くの読者の目に触れられるよう、との意図もあろうが、
そういうのも、過ぎるとかえって逆効果になりそうな、そんな気もするのだが…


とはいえ、読み出すと、奇妙にしてなかなか味わい深い10編による短編集だ。
正直、ストーリー自体は「何じゃ、こりゃ?」的な話もあるのだが、
細かい描写など、不思議なくらい読ませる部分が、随所にある。


冒頭の「さよなら、グッドラック」は、
ニューヨークに移り住んだロシア系ユダヤ人の女性の物語。
ある才能ある俳優の愛人としての暮らしを選び、
家族と半ば断絶状態となったローズ伯母さんが、自らの半生を振り返る。
伯母が語りかけるのは、姪のリリー、そしてその母である、自分の妹だ。
妹からみれば、〝あわれ〟にも映る自分の半生が、いかに実り多いか、懇々と語り続ける。
その語り続けた半生と、そんなローズ伯母さんが物語の最後で行う選択を、
どういう風に整理し、理解すればいいのか、読者は不思議な感覚に包まれる。


とはいえ、笑える部分もある。
ローズ伯母さんの愛人である俳優、ヴラシュキンだ。
長年何人もの愛人を囲ってきたヴラシュキンが、俳優を引退した途端、妻に見捨てられる。
愛人を囲うより、もっと妻を怒らせたのは何なのか…
〝彼女は男が一日家の中でごろごろしていることに慣れていなかったのさ。
 新聞に面白い記事が出ていたら声を出してそれを読んだり、
 朝飯を待っていたり、昼飯を待っていたりするのがね。
 だから毎日、朝から昼へ、昼から午後へ、彼女はどんどん腹を立てていった〟
原著の発表は1959年だという。
熟年離婚って、あちらじゃいまに始まったことじゃないのか、それとも先見の明があるのか。
そんな感心とともに、熟年オヤジの悲哀に、苦笑いを浮かべてしまった。


「若くても、若くなくても、女性というものは」も、どこかつかみどころのない一編。
この作品では、語り手である〝私〟の両親が、とても印象的だ。
〝私のお父さんは、もう何百回も聞かされたのだが、
 それはもう目が覚めるようなラテン系の男だった。
 人生の喜びを隅々までしっかり味わおう、というタイプだ。
 二人は深く、抜き差しがたく愛し合っていた。
 でもそこに私とジョアンナが生まれてきて、すべてを台無しにしてしまった。〟
結局、この父親はある日、さようなら、してしまう。
で、母親も、自分が被害者であるという信念を、一切ねじ曲げない。
娘に対し、複雑な感情を抱きつつ、嫌われるのもイヤ。
〝母は私に「拒絶された」と思って欲しくはなかったけど、
 それにもまして自分が「拒絶された」とは思いたくなかった。
 だから母は私に言う。お前は本当にうるさい子供で、毎晩毎晩泣きっぱなしだったよと。〟
救いがたい身勝手。
憤りを覚えるようなバカ親なのだが、それに対する〝私〟のユルく、散漫な受け止め方が、
その憤りを散らし、この小説に何ともいえない味わいをもたらす。
「こうだから、こう」みたいな明快な説明はできないけど、伝わってくる何かがある。


もうひとつ印象的だったのは「コンテスト」。
いまでいう、トリビアのコンテストのようなものに応募する女性に、〝僕〟が巻き込まれる。
この女性、ドティーの身勝手さが、かなりムチャだ。
自分ではロクに何もできないのに、〝僕〟フレディーに向け、こう言い切る。
〝フレディー、あなたは頭が切れる。私ひとりじゃとても見込みはない。
 あなたに助けてもらいたいの。いずれにせよ、私の方はもう、やるってはっきり決めてるの
 ドティー・ワッサーマンがいったん決意を固めたら、それはもうなされたも同じこと〟
あまりお付き合いしたくないタイプの、鼻息の荒い女性だ。
実は、どんな女にも、取り込まれたくない〝僕〟と、彼女の行く末。
ハーフ・ビターな展開に、戸惑いつつも、どこか笑ってしまい、ペーソスを感じる。
「面白かったか?」と聞かれても、イエスとは即答できない、複雑さだ。


こんな感じで、不思議な笑いと、奇妙なペーソスに満ちた10編。
文化的・時代的背景の問題もあるのだろうが、
一編一編噛みしめながら読まないと、何だかよくわからなくなる。
最初にふれた、村上春樹の訳は、原文を知らないのになんだが、とても読みやすい。
このヘンなお話。訳すのにも、かなりの苦労があったに違いない。
さすがだな、と思いつつ、それでも、やはり最初の感想に戻る。
せっかくのいい翻訳なんだから、それこそ、ここまで訳者を前面に押し出さなくても…。
村上春樹のファンが、この本に対し、どういう受け止め方をするのかよくわからないが、
僕はどうしても違和感がぬぐい切れなかった。