アンドリュー・トッドハンター「タイユバンの優雅な食卓 (文春文庫)」

mike-cat2005-06-17



フランス、パリの3つ星レストラン「タイユバン」に
アメリカのフードライター(エディターかも…)が、
見習いコック&ディナーとして飛び込んだ体験記だ。
シェフのフィリップ・ルジャンドル、そしてパティシエ
(本ではペストリー・シェフ、とある)のジル・バジョルらが創り上げる、
芸術のようなひと皿ひと皿と、その裏側を思い入れたっぷりにレポートする。
まるで、疑似「タイユバン」体験、といった感じの一冊だ。
ちなみにタイユバン、とは14世紀の料理人ギョーム・ティレの別名だという。
生涯のほとんどを王のために料理をして過ごしたティレは、
シャルル5世の求めに応じ、「ル・ヴィアンディエ」という本を書いたという。


タイユバンといえば、日本では恵比寿のタイユバン・ロブション
だったのだが、現在はタイユバンが撤退。
改装を施し、ジョエル・ロブションとして営業している。
http://www.robuchon.jp/index2.html
どうも、六本木の〝半端ダイナー〟ル・アトリエ・ド・ジョエル・ロブション同様、
ピザーラジョエル・ロブションの共同経営らしい。何でピザーラ


もちろん、「タイユバン」とは似て非なるものと承知の上なんだが、
タイユバン・ロブション」には一度だけ行ったことがある。
行ったんだが、あんまり記憶がはっきりしていない。
お味は、とてもよろしかったけど、正直印象が薄い。
僕の味覚の問題とも思うが、何だか〝普通に〟すごくおいしいだけ。
新鮮な驚きとか、何か〝特別なものを食べた〟感は、
意外と(あくまでも、意外と、だが)希薄だった。


覚えているのは、とにかくサービスが手厚かったことと、値段。
高い、というのは知っていたが、ちょいと計算違い。若かったんだよ…
ワインは白を1本開けて(赤はあんまり飲めない)、2人で7万円あまり。
むむむ、いい勉強になりました、と唸ったものだった。
あらためて、この本を読んでみると、
「タイユバン」の本質は、サービスと値段、このふたつに集約されていたことがわかる。
ちなみに、味の方の責任はロブションにあるのかな、とも思ってみたりする。
だってあのヒト、以前はともかく、いまは単なる商売人っぽくないかな、と。


それはともかく、サービス、のことで思い出す記述がある。
入店の時の、スタッフの態度だ。
〝優雅に立ち、上品で包み込むような笑みを見せる。
 わたしたちに会えてうれしいばかりか、
 近づきになれたのを感謝しているかのような印象を与える笑み。
 〜〜〜王族や海運王、 はたまたダニエル・オートゥイユエスコートされた
 エマニュエル・ベアールにしか向けられまいとするような笑みだ〟
確かに、そうだった。
いいとこ20代後半にしか見えない僕に対して、
濃厚なサービスを提供しながらも、堅苦しさは感じさせない。
その絶妙なバランスが、とても素晴らしかったのを覚えている。


この本でも、食事を終えた後の賛辞がこう記してある。
〝タイユバンでの仕事にある種の奇跡があるとすれば、
 それは厨房ででも、料理そのもののすばらしさにでもない。
 驚いたことに、料理以上に、サービスが素晴らしいのだ〟
客がレストランで過ごす時間を、とても特別なものにする。
その心遣いこそが、タイユバンの神髄なのだろう。
もちろん、味にだって不満はないのだ。満足もする。
ただ、それ以上にサービスが素晴らしい、ということだ。


この本の魅力は、そうしたタイユバンの魅力を紹介するだけではない。
このライターの綴る言葉も、かなり魅力的だ。
たとえば、メニューを選ぶ、という作業について。
〝こうした時間の大切さは、概して見過ごされがちだ。
 食前酒を誕生となぞらえれば、品書きをじっくり読むのは成長期にあたる。
 知られざる選択が許される人生の初期段階と同様、
 注文を出す前の何分間かは、きちんとその価値を知って楽しむべきである。
 このとき、このときばかりは、品書きに書かれたすべてがあなたのものなのだ〟


思わず、唸ってしまう。含蓄がある、というか、何というか。
ここでの選択が、そのヒトの一夜(人生)を決めるのだ。
そして、その時だけは、その一夜(人生)に、無限大の可能性がある。
これを読むだけでも、この作者の食に対する想い、というか、
食いしん坊ぶりが、伝わってくる。食エッセイはこうでなきゃ、という見本だ。
ブリヤ・サヴァランの
〝チーズなしで終わる夕食は、片目しかない美人のようなものだ〟という、
今日では政治的適正さを欠く言葉まで引用してまで、
チーズを食べたがる、その姿勢たるや、もうつくづく食いしん坊だ。


そんなライターと(その妻エリン)ともに楽しむ、
「タイユバン」での4時間(237ページ)にわたる、至福のディナー。
読んでいる間中、
「ああ、食べたい」「ああ、食べたい」「ああ、食べたい」の想いを、
無理矢理に封じ込めるのは、かなり酷ではあるのだが、
想像の世界で、何とか「タイユバン」を体験できる。
パリの店に行くのが、いつの日になるやら、
こちらはだいぶ想像が難しいが、ひとまずは、疑似体験終了。
しかし、読んでいるだけではやっぱりもの足りない。
口の中につばをため込んで、ひたすら時を待つとしたい。
ああ、大事なことを忘れていた。貯金もしないとね…