朱川湊人「花まんま」

mike-cat2005-06-16



本の雑誌」で北上次郎が高評価。
例によって、例のごとく鵜呑みにして読み始める。


オカルト要素を主題にした、6編による短編集。
といっても、おどろおどろしいホラーじゃなくて、
あくまでドラマの舞台設定として、
オカルト、というか超自然的要素が使われている。
舞台は、60年代から70年代にかけての大阪の下町。
雰囲気としては、ある種の猥雑さと、むんむんと漂うような活気だろうか。
実際の姿を知らない人間にも、独特の風情を感じさせる。


表題作の「花まんま」は、リインカーネーション=生まれ変わりがモチーフ。
タイトルの〝花まんま〟は、ままごとで作るお花のお弁当だ。
〝ご飯の部分が白いつつじで、ちょうど真ん中に日の丸弁当の梅のように、
 赤いつつじが丸めて押し込んである。
 おかずの部分には、公園に咲いていた他の花や葉っぱ、
 いろんな種類の草が、彩り良く並べられていた。〟
別におままごとをしたことがなくても、思わず郷愁を誘う。
この、花まんまが、ふたりの見知らぬ人間を結ぶ絆となる。
そして、物語のテーマは兄妹の絆。
花まんまは、そのドラマを彩る、美しい情景でもある。
なるほど、ため息のもれる、味のある作品だ。


「トカビの夜」は、切ない感動が胸を打つ、これまた味わい深い作品。
謎めいた書き出しで、物語は始まる。
〝ある夜、トカビを見た。
 まるで楽しくスキップするように、ぎっしり寄り集まった屋根から屋根へ、
 そいつは軽やかに飛び跳ねていた。わずかに欠けた月の下、
 ヒュウヒュウと奇妙な、けれど楽しげな声を挙げながら〟
下町の文化住宅に住んでいた、幼年時代の物語。
誰がいったか「およそ文化と名前のついたものに、文化をにおわせるものはない」
とは、けだし名言だが、この文化住宅もその例にもれない。
名前だけは、〝文化〟だが、単なる長屋。
薄い壁一枚で隔てられた隣家からは、くしゃみすら聞こえてくる。


そんな袋小路の中にも、不当な差別は歴然として存在した。
まあ、差別に正当なものなんてないが、慣例として〝不当〟をつける。
で、その差別とは、いわゆる「朝鮮人」の少年、チェンホに対する、冷酷な仕打ち。
病弱な少年チェンホが、人の優しさに触れ、目をキラキラさせる姿。
少年ながらに、いわれのない哀しみを背負わされても、ニッコリ笑う姿。
もう、これだけで哀しみに胸が詰まってくるのだが、
ここから先も、とことん切ない。
切ない限りの話なんだが、これが最後に、冒頭の場面につながる。
そこで、切なさはある種の感動を伴い、胸に迫ってくるのだ。
巧い。多少あざといかもしれないが、とことん巧い。
そんなわけで、ついつい泣かされてしまったのだった。


「妖精生物」は、
ある少女の〝性の目覚め〟を、ちょっとぼかしめながらに描いた作品。
ある日、高架下で売りつけられた「妖精生物」が、少女に不思議な感覚を経験させる。
掌に載せられる、クラゲのような生物だ。
〝掌から奇妙な湿ったぬくもりが伝わってきて、それが腕をつたって首筋にまで届く。
 そのくすぐったいような痒いような感覚に耐えていると、不思議と足がすくみ、
 頭の芯がぼやけていくような気がした。
 全身から何かが染み出てくるような甘さと、
 水の中に浮かんでいるような浮遊感が、頭の中で混ざり合った〟
で、この感覚に身を委ねていくと〝体の中で何かが爆発してしまう〟のだ。
実際、この少女は、その直前で妖精生物を、掌から下ろすのではあるが。


で、この妖精生物、「人を幸せにする」という触れ込みだったのだが、
少女は、そして周囲の世界がどう変わっていくのか。
猿の手」でも何でもそうだが、こういうものが人を本当に幸せにしたか、
思い出してみれば自明の理だが、苦く、切ない結末が待っている。
だが、その苦さと切なさが、深くこころに突き刺さってくる、不思議な作品だ。


「摩訶不思議」には、笑ってしまった。
ロクデナシな叔父、ツトムの葬式で起こった事件の話だ。
このツトム叔父がすっとぼけた人物なのだ。
主人公アキラは生前のある日に、叔父がのたもうていた人生訓を思い出す。
「ええか、アキラ。人生はタコヤキやで」と叔父。さらに続ける。
「楊子一本やと、クルクル回って食べづらいわな。
 楊子二本で横並びに刺したら、OKやろ?」
「そんなん、当たり前や。どこの屋台でも楊子二本くれるやんか」と、アキラ。
これにツトムが答える。
「つまりタコヤキ屋の親父どもも、この人生の真理に気づいとったちゅうことやな。
 やっぱり関西人は偉大やで」。
まだ、意味が全然わからないんだが、ツトムはここから強引に結論を導き出す。
「人生を味わおうと思ったら、女も二人おった方がええんや」。


ものすごい論理の飛躍ではあるんだが、
いい感じのロクデナシぶりが、こちらまでグイグイと伝わってくる。
で、作品ではこのロクデナシの往生っぷりが描かれる。
これがまことにペーソスあふれる物語になっている。
現実の世界において、こういうオトコを許せるかどうか、は別にして、
単純にこのロクデナシぶりを笑ってみるのが、楽しかったりする。


残る2編も、味わい深いが、いいかげん長くなったので、駆け足で紹介する。
「送りん婆」は、人の死をつかさどる秘密の呪文を操る仕事を描く作品。
「凍蝶」は、冬越えする蝶をモチーフに、孤独を描く作品。
これまたどちらも味わい深く、こころに迫ってくる。


以上6編。
比類のない感動、にまでは達しないが、
いずれもこころの奥にグッと迫ってくる傑作揃いだといっていい。
「トカビの夜」のところでも書いたように、
かすかに〝作為〟が見え隠れする部分もあるが、読後感を阻害するほどではない。
読んでみて損のない一冊、だと思う。
直木賞候補だったらしいが、「都市伝説セピア」も読んでみたい。
前日の町田康に続いてまた、気になる作家に出会ってしまった。